昨日判決の言渡しがあったようです。
結論の妥当性は議論のしようがないので,触れません。
ポイントとしては,動機,前科,反省の3点があると言われていますが,個人的な印象としては,動機が悪質なものとまではいえないという評価は,動機という言葉を使いながら,実質的には被害者側の落ち度を評価したのかなという感じがしました。
動機はあまりに自己中心的かつ身勝手で,なかなか酌量の余地がないといえると思いますので,動機それ自体を捉えて,悪質なものとまではいえないという評価はちょっと違和感が。
他方,本件で,被害者に落ち度があったと評価するかどうかは別として,仮にそのような評価に至ったとしても,それを明示的に量刑の理由で述べることは,はばかられるでしょう。
そのため,動機という言葉を通して,実質的にはそういう評価をしたのかなぁという印象を持ちました。
さて,私の職場は見渡せば裁判官と検察官ばかりなわけですが,話題になっているのは,検察庁が控訴するか否かという点です。
本件は量刑だけが争点となっていて,その量刑を裁判員を含んだ合議体によって判断したものなので,これを控訴したとして,高裁がそれをどう扱うか。
司法研究では,裁判員裁判においては,一審の判断はそれがよほど不合理でなければ,破棄できないとされていますが,死刑か無期懲役かが分かれるような場面では,必ずしもそうではないということになります。
量刑というのは,一定の裁量があると言われており,高裁は,一審判決の量刑がその裁量の幅の中に収まっている限りは,それを尊重するとされています。
もっとも,死刑か無期懲役かという判断に裁量があるのかといえば,「ある」というのはなかなか厳しいように思います。
他方,市民の考えを刑事裁判に反映させようという裁判員制度の趣旨からすれば,裁判員裁判で無期懲役と判断された量刑を高裁が破棄して死刑にするということになれば,裁判員制度の存在意義に関わることになります。
本件で控訴されれば,高裁は,極めて難しい判断を迫られるでしょうし,さらに上告されれば,最高裁は,何らかの判断を示さざるを得ないように思います。
引き続き注目されます。
以上
結論の妥当性は議論のしようがないので,触れません。
ポイントとしては,動機,前科,反省の3点があると言われていますが,個人的な印象としては,動機が悪質なものとまではいえないという評価は,動機という言葉を使いながら,実質的には被害者側の落ち度を評価したのかなという感じがしました。
動機はあまりに自己中心的かつ身勝手で,なかなか酌量の余地がないといえると思いますので,動機それ自体を捉えて,悪質なものとまではいえないという評価はちょっと違和感が。
他方,本件で,被害者に落ち度があったと評価するかどうかは別として,仮にそのような評価に至ったとしても,それを明示的に量刑の理由で述べることは,はばかられるでしょう。
そのため,動機という言葉を通して,実質的にはそういう評価をしたのかなぁという印象を持ちました。
さて,私の職場は見渡せば裁判官と検察官ばかりなわけですが,話題になっているのは,検察庁が控訴するか否かという点です。
本件は量刑だけが争点となっていて,その量刑を裁判員を含んだ合議体によって判断したものなので,これを控訴したとして,高裁がそれをどう扱うか。
司法研究では,裁判員裁判においては,一審の判断はそれがよほど不合理でなければ,破棄できないとされていますが,死刑か無期懲役かが分かれるような場面では,必ずしもそうではないということになります。
量刑というのは,一定の裁量があると言われており,高裁は,一審判決の量刑がその裁量の幅の中に収まっている限りは,それを尊重するとされています。
もっとも,死刑か無期懲役かという判断に裁量があるのかといえば,「ある」というのはなかなか厳しいように思います。
他方,市民の考えを刑事裁判に反映させようという裁判員制度の趣旨からすれば,裁判員裁判で無期懲役と判断された量刑を高裁が破棄して死刑にするということになれば,裁判員制度の存在意義に関わることになります。
本件で控訴されれば,高裁は,極めて難しい判断を迫られるでしょうし,さらに上告されれば,最高裁は,何らかの判断を示さざるを得ないように思います。
引き続き注目されます。
以上