は~とふるが目指す訪問看護 ②ていねいさ | 多摩市の訪問看護は~とふる多摩センターのブログ

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訪問看護ステーションは~とふる多摩センターの代表シバタが訪問看護事業所の日常や、看護師の活躍を通じて思うことをお伝えしていきます。ひとりでも多くの方々に訪問看護の存在を知っていただけたら幸いです。訪問看護を目指す看護師さんも募集中です。

訪問看護ステーションは~とふる多摩センター

「中の人」で代表のシバタです。こんにちは!

 

今回も前回同様、「は~とふるが目指す訪問看護」と題して、お話をさせていただきます。

 

私たちの大目標『地域に根差したあんしんケア』を支える3本の柱が以下の通りです。

 

やさしさ
ていねいさ
わかりやすさ

 

今回の記事では、三つの原則のふたつめ「ていねいさ」について、詳しくお伝えいたします。端的にいえば、「日常の所作について、せっかくするなら雑にするより、品よく」ということになります。

 

 

 所作における「ていねいさ」

 

たとえば、物を雑に置くと、ガタッと硬く耳障りな音がします。喫茶店でお水やコーヒーを雑にテーブルに置かれドキッとした経験はありませんか。せっかくのくつろぎタイムに影をおとしますよね。在宅療養で穏やかにお過ごしになりたい方や、平時でさえ精神的に不安をお持ちの方であればなおさら。一部の方がお使いの補聴器も品質によってはこのような硬質な音を敏感に拾ってしまうことがあるそうです。

 

音のことだけでなく、切ったテープを近くの椅子のヘリに何枚もペタペタと貼り付ける。バケツに水を注ぐ時、勢いよくジャバジャバと跳ねる水滴をまき散らしながら入れる。ご利用者様の頬にかかった数本の髪の毛に気付かない、または気付けないなど…普段の生活での何気ない「所作」の中には、振り返って一度考えると、ほんのちょっとの見直しで大幅に改善できるものが意外に多いものです。

 

二択でシンプルに考えれば、「冷たさより温かさ」「硬さより柔らかさ」「暗さより明るさ」「厳しさより優しさ」「下品より上品」などのように、物事を二択に捉えることで、どちらが療養者に対する所作としてふさわしいか明らかに分かります。

 

しかし、支援する私たちはそれなりに元気に日常を過ごせているためか、品よくふるまうことの大切さつい忘れてしまったり、結果優先の風潮で多少のミスは見過ごされたりされがちな世界に生きているために、所作の「ていねいさ」に鈍感になってしまいがちです。

 

「中の人」である私自身が一番気を付けなければならないのではないかと思うくらい、この点においては未熟さを痛感せざるを得ません。

 

 言葉づかいにおける「ていねいさ」

所作のほかにもうひとつ「ていねいさ」を心掛けたいと考えるのは、言葉づかいについてです。

 

医療・介護の業界は、他の業種と比較して接遇における言葉づかいについての成熟が少し遅れているように感じています。なかでも気になるのは、支援者が利用者様に対して発するいわゆる友達口調、俗にいうタメグチです。

 

他業種から参入した私自身、看護師さんもヘルパーさんも、支援をお仕事とされている方々は皆さまとても真面目で誠実だと痛感しています。目の前の利用者様に対して心から健康と安定を願いながら、時にはご自分の損得を顧みずひたむきにお仕事をされている様子を何度も目にしています。

 

結果として、そこに親しみやすい空間が作られ、お付き合いが長くなるなかでご利用者様の満足度も高まり、相互で絆が深まりケアの質が高まることになります。

 

しかし一方で、そのフレンドリーさの延長線上で、支援者のなかには「敬語は堅苦しいので」と、親しみのひとつの表れとして、いつの間に、または意図的に友達口調になってしまう方もいらっしゃるようです。

 

在宅療養者の多くはご高齢者。皆さまとても謙虚で、なかには子や孫のように若い支援者の来訪を心待ちにしておられる方も多く、友達口調容認の空気が作られやすいことは確かに間違いありません。しかし、私たちはご利用料金をいただいて提供しているサービスであるということや、すべてのご高齢者様がフランクな対応を歓迎しておられるとは断言できないことを考えると、所作同様、品の良い、感じの良い接し方が望ましいと考えております。

 

 なぜ、「ていねいさ」が大切なのか

確かに、「目の前のご利用者様が喜んで受け入れてくださっているんだから、どんな接遇をしていても、現に親しんでもらえているからいいじゃないか」という主張も存在するかもしれません。

 

しかし、は~とふる多摩センターの立場としては、私たちは行政から許認可をいただいている「社会集団」であり、地域の「社会資源」であると自己認識しています。利用者と支援者との間のみで許されることでも、少し遠巻きから様子を見ている周辺のご家族やご関係者、多職種等の目に、その光景をどう映るかを想像する力が必要だと考えます。

 

フランクな対応が許されるのは、そのケアがいつでもミスなく完璧にこなされている場合のみです。もし何かの誤解でその関係性に亀裂が生じてしまったら、それまでの対応は「なれなれしかった」に変わり、修復不可能な事態にまで発展する可能性だってあります。今風な言い方をすると「蛙化現象」と表現すればいいでしょうか。そうなったら、健康と安全、安楽を願うケアどころではなくなってしまいます。

 

余談です。私は毒蝮三太夫さんが大好きなのですが、あの方は毒舌キャラクター、「世間に容認されている」からこそ、その裏にある相手への尊敬が際立ち、老人ホーム慰問での一見失礼とも思えるビックリ発言を、高齢者様たちはむしろ期待し、喜び、笑い、「いやーおかげで元気になった、マムシさん来年も来てね!」とおっしゃるのだと想像します。あれはあの方の素晴らしい「特殊能力」なのだと思っていますし、一般があの境地を目指すべきではないのだろうなとも思います。

 

「中の人」である代表シバタも、プライベートでは、実父が訪問看護を利用しており、さしずめ私は利用者家族です。提供側、利用者側のダブルスタンダードを大切に、事業所が進むべき道をいつでも深く考えていきたいと思っています。