『旧三縄発電所跡』
明治40年、西讃地域に電気を供給していた讃岐電気は景山甚右衛門を社長に迎えた。同社長は、当時盛んになってきた水力発電に着目し、徳島県祖谷川の水を利用した三縄発電所を建設し、高松市を含む県下一円に電力を供給する事を計画した。この三縄発電所は、出力2,000kWで当時としてはかなりの規模であり、四国では最大であった。このため資金調達は困難であったが、「水力発電の父」とも呼ばれる福沢桃介の援助を得て、明治43年に資本金を120万円に増資するとともに社名を四国水力電気と改称した。明治43年3月には福沢桃介を社長に、取締役に松永安左右衛門を迎え、景山は副社長に就き、同年5月に三縄発電所の建設工事に着手した。三縄発電所は、大正元年11月10日から営業運転に入ったが、この時の送電電圧の3万3,000Vも当時四国では最高であった。
現三縄発電所が操業開始したのは昭和34年、それと同時にこの発電所は運転停止となったそうです。
余談とはなりますが…
四国では、明治28年に徳島で点灯したのが初めてで、発電は石炭による火力発電(250kW)
だったそうです。
そんな旧三縄発電所…
徳島に残ってる、数少ないレンガ造りの旧い時代の遺構となってます。
その建物の存在は知ってはいましたが、なかなか訪問する機会をつくる事ができずにいました。。。
建物の状態は良いとは言えませんが…
興味のある方はごゆっくりどーぞ( ̄▽+ ̄*)
少し…探すのに時間をとりましたがwww
現三縄発電所の約500m上流にひっそりとありました。。。
意外にも旧発電所までの道は荒れてませんでしたね。
さて…見えてきましたよ。
じゃあ…入ってみましょう。
内部中央辺りに蓋はされてますが、大きな穴があいてます。
発電用の機材が設置されてた跡でしょう…
天井は残ってますが…
このトタン屋根もいつまでこの状態であるんでしょうね…
入って右側の壁…隣りの建物と繋がってたんでしょうが…
隣りの建物は土砂の流入によりほとんどが埋まってます。
屋根も落ち、壁の一部がかろうじて残ってるだけとなってます。
外…
と言うか、隣りの建物の方に出てみます。
屋根はありませんが、元々は建物内ですw
では、建物の外に出てみますね。
この壁も…土砂に押しつぶされるのを待つだけなんでしょうかね…
下の河原側にもコンクリートの遺構が見えます。
それにしてもキレイな水です♪
ほんじゃ、河原におりてみましょうかね(*^-^)b
しかし…ほんとにキレイな水です。
とても下流にダムがあるとは思えませんね♪
おっと!!
川じゃなくて、発電所でしたね(^^ゞ
河原から見上げるとこんな感じです。
あ…穴発見(*゚Д゚) ムホムホ
て、発電用水の放水口でしょうけどね♪
近づいてみます。。。
奥は…
急勾配な放水路の上には更に穴www
ズリズリと滑りながら…カメラをかばいながら…
ええ…よじ登りましたよw
上から登ってきた放水路を♪
あ……
こらっっ!!
ジャマじゃ、たま!!ヽ(`Д´)ノ
放水路用のゲートがあったんでしょう…
では…しばし穴探索を。。。
真っ暗なのでフラッシュ撮影です。
てか、少し入った所で土砂に埋まってました…
つーーーか。。。
何してんねん(笑)
放水路トンネルを出て気がついたんですが…
隣りにもう一つ穴があったんで入ってみました♪
点検用の通路だったのかな???
内部より外を。
あれ?そういえば、たまは?
とか思ってたら…
ソコかい(-_-;)
つーーーか、危ないから降りてこーーーーーーい!!!!
ばかっ(笑)
時折…バカが写り込んでますがwww
こんな感じの旧三縄発電所跡でした♪