とても美しい物語を読みました。

 

わたしが平野啓一郎さんの物語世界を完全に理解するには、軽く20年以上はかかるんじゃないか……と少し絶望しました。笑


何気ない一文に潜んだ膨大な知識量、語彙力の豊かさ、文学だけでなく音楽、美術、宗教への造詣の深さというか「造詣深い」なんてありきたりな日本語で良いのか? と思うくらいの“深さ”が随所に染み渡っていました。

 

一語一語に圧倒され、嘆息させられ、知識のないわたしはひとつひとつの言葉に引っかかり、いつまで経っても読み進まずちょっと困りました


ええい! と背伸びしてなんとか読み終えましたが、これほどまでに美しい世界を持つ人がいるのだなぁ……ということ、しかもそれが「あたりまえ」に備わっていることしばらく打ちひしがれてしまいました。

 

平野啓一郎『マチネの終わりに』は、わたしにとって多国籍の高級料理店に連れていかれたような物語でした。

 

何が出てくるのかよくわからないけれど、おそらくフランス、スペインあたりのヨーロッパ料理が下地になっている感じ。


店内は格式高さと品の良さに満ちていて、わたしは場違いなところに来ちゃったんじゃないか……!? とドギマギしながら料理が来るのを待っています。

 

食べ方の作法なんて全然わからないので、とにかく出てきた料理をひとつずつ片づけていきます。


とりあえずおまかせでとにかくお店のおもてなしをされるがままに受けますが、なんとも落ち着かないという感じがずっと続きます。


わかるのは、出てくる料理がとても美しいことくらい。しかし味わってみても、美味しいけれどこの味の良さまではよくわからない……


そんな風に思いつつ平気なふりをしてコースを楽しもうとします。

 

わたしはひとりでこの料理店に来ているのですが、味と空間に集中しきれず、まわりの様子をついちらちら見てしまいます。


すると、わたしの斜め前くらいのテーブルに座っているカップルが、なんだか不穏な空気に包まれているのを発見しました。


味と空間には集中できないくせに、なぜかそのカップルの会話だけは鮮明に聞き取れます。しかも、なぜか彼らの心の声まで聴こえてきます。


しばらく聞いていると、彼らの心の声はお互いを理解し合い、お互いに寄り添おうとしているのに、実際の会話ではなんとも噛み合わず、まったく真逆の方向に行こうとしています。

 

わたしは居ても立っても居られませんが、そのふたりに声をかけてその誤解を解くわけにはいきません。コースの途中に席を外すことはお店のルール違反だからです。

 

彼らの様子を気にかけながら、わたしはメイン料理を何品か食べ続けます。


この料理店のメインはとても複雑な料理で、噛めば噛むほど違う味を感じます。なんじゃこりゃ……と嘆きつつ、カップルの会話に耳を傾け続けます。

 

聞いている方からするとすごく単純な話なのに、カップルの間ではどんどん話がこじれていきます。そしてとうとう後に引けないところまで行ってしまい、わたしは食べながらあちゃー! と思います。


その頃にはだいぶお腹がいっぱいなのですが、ふたりの行く末が気になり、がんばって出された料理を食べ続けます

 

ふたりのこじれた関係はどうにも元通りになりそうになく、残念だなぁ……と思いながら締めのデザートに移ります。


締めのデザートははち切れんばかりになったお腹に優しく、これまで背伸びして緊張していた身体がいくぶんかほぐれます。

 

カップルも同じ様子で、ピリピリ感はいつの間にか無くなり、穏やかな雰囲気に変わっています。


最後の一口を食べ終える瞬間、ようやくふたりは仲直りができそうな兆しが見えはじめ、わたしはホッとしてお店を後にするのです……。

 

『マチネの終わりに』を読んでいない人からしたらまったく不可解な感想ですが、読み終わってからわたしは「あぁ、わたしにもっと教養があればこの物語の良さをもっと味わえただろうに……!」という悔しさがこみ上げてきました。

 

わたしのななめ前に座っていたカップルというのが、この物語の主要人物・蒔野(まきの)聡史と小峰洋子です。


この物語は彼らの恋愛物語なのですが、この物語の主題は恋愛だけでなく、宗教、戦争、芸術などの他分野にわたるテーマが潜んでいるように感じられます。


要するにわたしは一番わかりやすい恋愛物語にしか目がいかず、読み終わってホッとしつつもなんとも言えない悔しさを味わっていたのでした。

 

物語内で唯一恋愛以外のところで目に留まったのは、「ルカによる福音書」に登場するマルタとマリアの話でした。


突然家にやってきたイエス・キリストを姉のマルタはもてなそうとあくせくのですが、妹のマリアはただじっとキリストの横に座って話を聞くばかり

マルタが給仕を手伝わないマリアを咎めようとキリストに不服を申し立てるのですが、キリストは「マリアは良い方を選んだ」と言うのです。

 

この話の解釈から恋愛の話に展開されるのですが、たまたま先日「フェルメール展」に行き、フェルメールの「マルタとマリアの家のキリスト」の絵を観ていたので、あぁ、あの絵の話か! と話に入り込むことができました。



 『マチネの終わりに』の世界を完全に理解するには、あとどのくらい音楽を聴きこみ、文学に精通しなければいけないのかと思うと途方に暮れますが、今はひとつでもわかったので良しとしよう、と思うことにしました。笑

 

できれば『マチネの終わりに』を読み終わった後に「フェルメール展」に行きたかった……! と思ったので、もし『マチネの終わりに』を読まれたら、フェルメール展に行くのもおすすめしたいです。

 

美しいということは、自分の「手に届かない」ものだと感じるからこそ美しい、ということもあるのかもしれないと思いました。