「人間は、みにくい。」

  

こないだ読んでどハマりした三浦綾子『氷点』

続編を徹夜で一気読みしました。


冒頭は続編の一節です。


続編は不幸な身の上に育った少女・陽子が大学生になり、いろんな人との出会いを経て、人を愛するということの脆さ、さらなる不幸の真実を知り、人間のみにくさと「許す」ということに思い巡らす物語になっています。


(ここからは『氷点』の感想文を読んでから進んでいただきたいです↓)


「人間は、みにくい。」という言葉は陽子のモノローグで登場します。


シンプルな言葉ながらも人間の浅ましさ、だらしなさ、いやらしさ、ずるさなどが全て込められた「みにくい」の4文字にハッとさせられました。

  

「正しさ」だけで生きていけたらどれだけ素敵なことでしょう。どれだけ幸せなことでしょう。


「正しさ」を振りかざすのは、それまで「正しくない」ことにあまり触れることがなかった幸運な人で、それはとても恵まれたこと、贅沢なことなのでしょう。


陽子の育ての親である啓造と夏枝は、お互いの「正しくなさ」を正当化しようとするあまりに何度もぶつかり合ってしまいます。


しかし医師として成功している啓造も、またとない美貌をもつ夏枝も恵まれた環境にいるのです。

だからふたりともどんなにぶつかり合ったとしても、関係性を解消するなど環境を変えようとはしません。


啓造と夏枝の息子・徹はこうした「正しさ」を振りかざすふたりに怒り、生まれながらにして「正しくなさ」に触れざるを得なかった陽子への想いをさらに熱くします……。


続編では、前編で行方をくらました人が再登場したり、新たに出会った人がとんでもない繋がりのある人だったり、因縁を感じさせる人物ばかりが登場します。


人を憎んだり、愛したり、可哀想だと思ったり、さらなる不幸に悲しんだり……。


続編もたくさんの感情が襲ってきますが、北海道の冬の冷たさのように、感情の底にはヒヤリとしたもの(あえて言うならば、冷酷さ)を感じないではいられないのでした。


わたしは弱い人間です。

日常的に「正しくない」ことを思い、時たま「正しくない」行動をし、悔やみ、悶絶し、反省して生き続けています。


陽子ほどの不幸を抱えたわけではありませんが、それなりにひねくれた性格に育ちました。


しかし、人間のみにくさ、罪深さを考えるほど「生きるエネルギー」の塊みたいなものに触れた気がして、深く反省してまた頑張ろう、となぜか生きる気力が沸いてきます。

『続 氷点』は後味の良いラストとは言えませんが、読み終わると不思議と生きる力がふつふつと沸いてくるのを感じました。

  

闇があるから光がわかる。ネガティブな力はポジティブな力に反転する可能性を持っている。

  

わたしもライティングを通してそういう生のエネルギーを表現してみたいと思いました。


『続 氷点』のいちばんの読みどころはクライマックスの流氷のシーンです。

読んでいるだけなのに真っ赤な情景が浮かんできました。何度も、何度も噛み締めて読みました。


『氷点』の舞台となった地に長年住んでいたにもかかわらず、なぜ今まで読んでこなかったのか、本当に悔しくてなりません。


人間は、みにくい。

だからこそ美しいものがどんなものかがわかり、そして噛み締めることができるのだろうと思いました。


  

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わたしごとですが、またまた短い小説を書きました。

「死にたてのゾンビ」というお題を与えられ、イメージをふくらませて書きました。


死にたてのゾンビって。

なにそれ。って感じですよね。

わたしも同じ気持ちです。笑

  

「正しくない」後ろめたさを抱えている人にぜひ読んでいただきたいです。

よろしくお願いいたします!!