PASS THE BATON」という、セレクトリサイクルショップが好きだ。

東京には表参道と丸の内というオシャレかつ高級感のあるところに店舗をかまえ、店内には超絶オシャレな品物が並べられている。


“セレクトリサイクルショップ”とは、つまり、古着・中古品のお店だ。

古着・中古品というとすんごい使い古した感、くたくたがっかり感が出るので“セレクトリサイクル”というオシャレな語感にしたことにも作った人のセンスを感じる

語感はとにかくわたしはこのお店が好きだ。

 

わたしは高校生のころ、古着大好き! 一生派手仔(子は仔羊の“仔”を使うのですよ……)! 「Zipper(去年休刊してしまった古着系ファッション誌)ラブ みたいなタイプで、こういうデコ画像を携帯の待ち受けにしていた↓



 

懐かしすぎて悶絶した。笑

 

18歳から10年経ったいま、紆余曲折(?)を経てそれなりに落ち着いたものの、ひとクセあるデザインの服やカラフルな服が好きだ。


PASS THE BATON」には、わたしのそういうカラフル心をくすぐるヴィンテージ古着、アクセサリー、アンティークの食器などなどが置いてあり、かつアラサーが身につけてもおかしくない品の良さ兼ね備えていた。一点もののため自分にぴったり合うものを見つけるのは至難の技だが、そのぶんぴったりくるものを見つけたときの喜びはひとしおだ。


PASS THE BATON」は厳選されたセンスある「かけがえなさ」がキラキラちりばめられている素敵空間なのだ。

 

読書感想文なのになぜこんな話をしているのかというと、宮下奈都「羊と鋼の森」を読んでいるときに、まるで「PASS THE BATON」の店内にいるような気持ちになったからだ。


美しい言葉がいたるところに散りばめられている。それらは新しい言葉でもなんでもなく、普段から使うような言葉。それらの言葉たちは丁寧に、映えるように使われている。


読み手のわたしは物語のいたるところで著者のセンスを感じ、ほぉ〜っと圧倒されるのだ。

 

それは著者が言葉をじっくり使い込んできた経験のたまものだな、と思った

物語内容も「調律師」という職人的な職業がテーマになったものだ。

 

主人公の「僕」は、ある日高校のピアノを調律しにやってきた調律師の板鳥さんの技術に魅了され、調律師の道を歩むことに決める。高校卒業後に専門学校へ進み、どうにか調律師の技術を身につけて板鳥さんが勤める楽器店へ就職できたものの、毎日自分の技術の未熟さを思い知らされる……。


「僕」はピアノの経験もなく、クラシックの名曲すらおぼつかない。毎日お店のピアノ調律の練習をし、家でクラシックを聴きまくるけれど、板鳥さんをはじめ先輩調律師の技術にはとうてい及ばず、力不足に焦りを覚える。


けれど「僕」はへこたれない。なぜなら「僕」は調律師という仕事に魅了され続けているからだ。


「僕」は日々地道に調律を続け、こつこつ研鑽する。先輩たちの教えを真摯に受け止め、ときには失敗し、学び続ける。少しずつ経験を積み重ね、いつか板鳥さんのようになれる日を夢見てもがき続けるひたむきさにハッとさせられる。近道や「正しさ」などのない調律師という職業の奥深さにも惹かれた。

 

「羊と鋼の森」を読みながら、“好き”に理由なんてないということをつくづく感じた。


「僕」がなぜこんなにも調律師の仕事に魅了されているのかということは、明確に語られているようで語られていない。ただ、調律という仕事が好きで好きでたまらない、もっとうまくなりたい、という想いだけがひしひしと伝わり、その情熱が読み手の心を打つ。

 

わたしだって、どうしてこんなに本が好きなのか、書くことにはまっているのかはっきりと言葉にできない。けれど、好きで好きでたまらない、どうしたらもっとうまく書けるのだろうという気持ちがあるから、「僕」の言葉にものすごく共感できる。


音楽も文学も同じような性質のものだからかもしれないが、この物語から漂う美しさと底にある情熱に、わたしは共鳴し、始終うっとりしたのだった。

 

ピアノは鍵盤と鋼でできた弦と、羊の毛からつくられたフェルトのハンマーがいくつも組み合わされてできている。この物語では調律師の世界を「羊と鋼の森」にたとえ、「僕」がいつまでも森でさまよっている様子が描かれている。


この森の中は薄暗くてこわいところ、というよりは、荘厳で美しいところという風に描かれている。きっとこの森の中は空気が綺麗なんだろうなぁ、と思う。


著者というガイドに連れられちょうどいい森林浴をさせてもらえたような気分になった。

 

PASS THE BATON」と同じく、またこの世界に来たいなぁ、と自然と思わせられた一冊だった。