あー。めんどくさいー。


上下巻、重いわぁ〜。分厚いわぁ〜。

ページをひらくと、文字ぎっしり!

うへぇ。


大学生のときに一度読んだから、話の雰囲気とかざっくりしたあらすじは覚えてるけど、どんな展開だったか全く覚えてないわ……。


うえぇどんだけ時間かかるだろう。

あ〜めんどくさい……けど読むしかない……!

だってわたしが「読書会やろう」って言い出したんだから!! 





……忘れたころにやってくる、文学読み直しシリーズ

読み始めるまで超絶腰が重く、いままでこんなに腰が重いことあった〜!? 20キロの重りでもつけてんの〜!? ってぐらいに読み始めるまでうだうだしてしまった。

 

わたしは文学部出身だ。

文学部の日本文学科だった。


でも「文学部出身です」と言うことに後ろめたさがある。

なぜなら「料理の基本の“さしすせそ”」みたいな「文学部だったらこれくらい読んでるよね?」的な著名な文学作品をほとんど読んでいないからだ……。


社会人になってから「もっと本読んどけばよかった……!!」と何万回嘆いたかわからない。


就職は出版業界を志したが読書量の少なさ(ほかその他もろもろの理由)で玉砕した。

就活の失敗がいちばんのきっかけだが、その後の社会人生活においても「文学コンプレックス」は尾を引いていて、わたしはいまだに克服できないでいる。


「本の虫です」「趣味は読書です」と言える人が本当にうらやましくて、そういう人を前にすると「わたしなんかただの虫です……」とつい卑屈になってしまう(すげぇめんどくさい笑)。

 

でも、いつまでも怠惰な虫でいたらいかん!! と一念発起してはじめたのがこのブログ。

ブログを続けているうちに書くことに目覚め、いまではこのブログをどうにか仕事にしたい……という欲に燃えている。

で、このブログを仕事にしたい! と思えば思うほど、「文学コンプレックス」がちくちくと刺激されていたのだった。

 

というわけで昨年ごろからちまちま文学作品読み直しをしていたのだが、ずっと見て見ぬふりをしていた作品があった。

それがドストエフスキー「罪と罰」。


一回読んだけれど、ブログに書けるほど物語を覚えてない。

しかし、こんな文量の腰重(こしおも)な作品を読むのは、ひとりでは無理。


ということで大学時代の後輩ふたりを巻き込んで読書会を開催することにした。

その名も「コンプレックス読書会」(そのまんまw)!


「コンプレックス読書会」の目的は、大学時代にスルーしてきたものや挫折したものを読んで文学コンプレックスや積ん読を解消することと、備忘録的な感想の共有。

後輩たちはふたりとも文学に関わりのある職業に就いていて、積ん読解消かつ仕事にも活かせて一石二鳥!

ということでさっそく「罪と罰」を課題図書にしてこないだの土曜日に開催したのだった。

 

(前置きが超絶長くなってしまったが、それぐらい「罪と罰」の腰重さを伝えたかったのだ……失礼しました!)


ドストエフスキー「罪と罰」は、大学を中退して怠惰な生活を送る青年・ラスコーリニコフが金貸し業をする老婆とその妹を斧で殺害してしまう話。


「罪と罰」は上下巻・1000ページくらいの物語なのだが、「事に至る」までは早い。100ページくらいで「事に至る」。「罪と罰」のあらすじだけ知っているという人はけっこう多いと思うのだが、読んでいると「あれ、もうそんな展開?」と拍子抜けさせられる。


この物語のキモは「罪」をめぐる心情描写を中心としたあらゆる描写のおそろしいほどの細かさだ。

冒頭のわたしのうだうだな文章の解像度を10倍ぐらい上げてそれをあますところなく書き尽くした感じだ。


そのため、ひとつひとつの場面がむちゃくちゃ長い。海外ドラマ「24」のカメラのように密着している気分になる。

しかもその描写はラスコーリニコフだけでなく、家族や友人などたくさんの登場人物たちも同様な語られ方をする。


読みながらまったく物語が進んでる気がしない……と一瞬うんざりするが笑、それぞれのシーンに飽きさせない工夫(会話文でこれまでのいきさつを要約してくれたり、この場面がなくてはならない理由が書かれていたりする)がされていて、なんとか投げ出さずに読むことができた。


読書会でまず共有したのは、


えっと、誰がどれで、あれがこうなったんだよね?


というあらすじの再確認。


「罪と罰」で手こずる一番のポイントが登場人物の別称の多さだ。


ラスコーリニコフだけでも

①ロジオン・ロマーヌイチ・ラスコーリニコフ

②ロージャ

③ロジオン・ロマーヌイチ

④ラスコーリニコフ


この4パターンの呼び名が読むたびにコロコロ変わる。「たけしままりは」「まりちゃん」「まりは」「たけしま」と関係性によって呼び名が変わるのはわかるが、突然出てこられると「えっ、誰!?」となり混乱してしまうのだ。

こればかりは慣れるしかない。

初読のときはウィキペディアで人物相関図を眺めながら読み進めた。人物メモを取るのもおすすめである。


あらすじを再確認し、それぞれの感想・意見・疑問点などなどを共有。

「罪と罰」の罪はわかるが、罰の言及があまりにも少ない気がした。

主人公はラスコーリニコフなのか。ラスコーリニコフの大罪から、登場人物たちの「罪」があぶり出されてゆく物語なのか……。

ラスコーリニコフと、ラスコーリニコフの妹・ドゥーニャの勤め先(家庭教師)の家長・スヴィドリガイロフは対照的な存在として描かれている(一方は生き続け、一方は自殺する)。

などなど、様々な指摘にうなずき、それぞれ意見交換をした。


わたしが感じたのは、「罪と罰」の物語がいつまでも現代にあてはめることができるおそろしさだった。

こないだ読んだ桐野夏生『ロンリネス』は不倫という「罪」の意識にさいなまれつつも正しい道に戻れなかった人間の物語だが、構造的に「罪と罰」に通じるものがあると思った。


「罪と罰」は人間の弱さと罪深さを指摘し、心情を感じたそのままのようにできるだけ細かくとらえ、人間のあさましさと罪悪感を鮮明に描き上げた作品だが、その点が発表当時は画期的だっただろうし、その後の創作物にも多大な影響を与えているだろうと思う。


超大作のため敬遠している人も多いと思うが、起源的な価値のある「罪と罰」は一度は読んでおいても損はないだろう。


そして未だに人間の罪深さは変わらないし、「人の不幸は蜜の味」だ。だから今でもおもしろく読み続けられる。


わたし自身、「人の不幸は蜜の味」的にとても楽しんで読んでしまった。

人間は罪深いなと改めて思った。罪深さに3人とも深くうなずき、そんな感じで読書会は終わった。


そしてブログを更新するのも腰が超絶重くて2日もかかってしまった……怠惰な自分の罪深さを受け止めて反省したい。



読書会の場所はBUNDAN(日本近代文学館@駒場東大前にあるブックカフェ)で。レバーパテサンド美味しかった!

今後はコンプレックス読書会ついでに、東京ブックカフェめぐりもあわせてやっていく予定。
次回開催が楽しみ!!


【8/14追記】
おお!公式ハッシュタグの文学部ジャンルで1位いただきましたー!!
はじめてだー!嬉しい\(//∇//)\
これからもこつこつ読んでゴリゴリ更新していきますのでよろしくお願いします!