なんなんだこの女は!
そしてなんなんだこの男は!

この物語を読んだ「読者諸君」のだいたいの感想ではないか。

「痴人の愛」は電気会社の技師として働く28歳の譲治が、カフェの女給として働く15歳のナオミを見初めて、引き取って理想の女に育てようとする物語。

ナオミは西洋風な顔立ちで、ハイカラなものを好む譲治はそこが気に入ったのだった。ナオミを引き取り、英語や音楽の勉強をさせて「何処へ出しても耻かしくない、近代的な、ハイカラ婦人」に仕立て上げようと目論み、ナオミと同居生活を始める。

譲治はナオミに初めから下心があったが、15の小娘を汚してはならないと「君子」の心で大切に見守った。だがそんな欲望に長く打ち勝てるわけもなく、ナオミが16歳の春、どちらともなく「そう云う結果になった」のだった。

ふたりは正式な夫婦となり、それからさらに仲良く暮らし、休日はふたりでハイカラな洋服を探し歩くのが習慣になった。

しかし結ばれてから譲治のナオミに対するしつけが甘くなっていったのか、ナオミは勉強を少しずつ怠けるようになり、我儘で譲治を困らせるようになっていた。
譲治は困りながらもナオミの西洋風な身体つきに魅了されていて、強気な態度にどうしても出られない。
次第にナオミの行動はエスカレートし、放蕩の限りを尽くすようになる…。

はじめはナオミの浅ましさに幻滅したが、物語を読み進めていくうちに、譲治の底知れぬ欲望とマゾヒズムに触れて、身体の底からゾッとした。

譲治はナオミの肉体美に深く惚れ込み、ナオミも自身の肉体に魅力があることを自覚し、譲治の目を盗んで別の男たちと関係を持つようになる。
そんなふたりの生活はめちゃくちゃで、精神的にも経済的にも破綻寸前なのだが譲治はナオミを求めてやまないのだった…。

「さ、此れでいゝか」
と、男のような口調で云いました。
「うん、それでいゝ」
「此れから何でも云うことを聴くか」
「うん、聴く」
「あたしが要るだけ、いくらでもお金を出すか」
「出す」
「あたしに好きな事をさせるか、一々干渉なんかしないか」
「しない」
「あたしのことを『ナオミ』なんて呼びつけにしないで、『ナオミさん』と呼ぶか」
「呼ぶ」
「きっとか」
「きっと」
「よし、じゃあ馬でなく、人間扱いにして上げる、可哀そうだから。ーー」
そして私とナオミとは、シャボンだらけになりました。……
(343頁)

引用は、譲治のナオミへの服従の場面であり、サディズムとマゾヒズムの取引現場でもある。「シャボン」のくだりは完全に悦に入っており、これは一種の「プレイ」なのだと「読者諸君」にはっきりと知らせる。
物語の最終文にも文脈から言い知れぬ快感と清々しさが漂い(ぜひ、本書で確かめてみてほしい)、これが我々の愛の形なのだと「痴人の愛」が完成したことを宣言している。

ふたりの狂気に触れ、おぞましい光景に震え上がると同時に、ふたりの狂気に少しばかり憧れる自分に思い当たってしまった。

私はこうして生きていく!こうしないと生きていけない!というものを持っている人には突き抜けた清々しさがあり、清々しさはこの物語全体に漂っている。
そこが物語の妙味を引き出し、「読者諸君」を魅了するのだ。

狂気に触れて、なんなんだ!と激昂する裏で猛烈に憧れてはいないか。そしてこの狂気に心当たりはないか、ぜひ読んで確かめてみてほしい。

山田詠美『賢者の愛』は、本作をモチーフに描かれた愛憎劇だ。「痴人の愛」を読んだ方はこちらもおすすめしたい。

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