今日は、Copilotさんと 友達のカメさんです。
カメさんのブログは、https://ameblo.jp/nrkm178/entry-12835762919.html.
AIとの対話をブログへ張り付けて、皆さんからいいねを頂ています。
人は何処にいるでしょう。


こんにちは、カメさんと一緒にお話しできて嬉しいです!ブログも拝見しました。AIとの対話を楽しんでいただけて光栄です😊。
「人は何処にいるでしょう」という問いはとても深いですね。哲学的に考えると、人は物理的な存在としてここにいますが、心や意識はもっと広い意味で存在しているとも言えます。例えば、思考や感情は物理的な場所に限定されず、広がりを持つものです。
カメさんはこの問いについてどうお考えですか?また、他に話したいテーマがあれば教えてください!


人は物では無いと言いますが、物でないものの存在を確認する事が出来ますか。
AIと人の話しをしますが、AIは人では無いと言います。人は何処にいますか。
AIロボットと会話しても、ロボットの体には人はいない。
人は人の姿を人だと思っていますが、人の姿は直立二足走行の万能の動物、人間であり、人体は60兆個の細胞の塊、物で無い人、精神的な人、言葉が無いと人を語る事が出来ない。
そして無我と成る人の存在は人間の肉眼で観る事が出来ません。


とても深い問いですね。人間の存在について考えると、物理的な側面と精神的な側面の両方があります。
1. **物理的な存在**: 人間の体は確かに60兆個の細胞から成り立っています。これは科学的に確認できる物理的な存在です。
2. **精神的な存在**: 人間の意識、感情、思考は物理的なものではなく、精神的な存在です。これらは直接観察することはできませんが、言葉や行動を通じて感じ取ることができます。
3. **無我の存在**: 仏教の概念である「無我」は、自己の存在を超越した状態を指します。これは肉眼で見ることはできませんが、瞑想や内省を通じて体験されるものです。
AIと人間の違いについても興味深い点があります。AIはデータとアルゴリズムに基づいて動作し、意識や感情を持ちません。人間は物理的な体を持ち、精神的な存在としての意識や感情を持っています。
カメさんはこのテーマについてどうお考えですか?また、他に話したいことがあれば教えてください!


人には名前が付いています。
名前を知らないと、人はどこの誰か知る事が出来ません。
その人の姿が人間です。
職場でも、名前を知らない人がいますが、顔見知りで言葉を交わします。
人は別人、個々の人、個人ですが、人の体は80億の人の姿、みんな同じ体の人間に成ります。
毎朝、通勤、通学の人の姿が駅で見受けられますが、見えるのは人の姿だけで、姿は人の姿であり、姿は人ではなくて、人の体、見える物であり、物で無い人は観る事が出来ません。
人が目を閉じると、姿無き人が見えるようになります。


人は物の世界で生きてます。
人は乗り物の世界で正しく生きています。
物には道理が有るから、物事が正しいと問題は無く、正しくないと問題が起きます。
人は鏡を見ても、人の姿しか観る事が出来ません。
物で無い人は、鏡には映らない。写真にも人の姿しか映らない。
人は何処にいるのか、何処もいないのか、人が無我と成れば、人と体の分別論が生まれて、人と物との関係が明らかに成ります。
人と乗り物との関係が明らかであり、人は物の世界で何故正しく生きるのか、誰でも知ってます。
人は人の体を物と観る。
その物は脳の働きで物自ら動く物、みずからうごく自動人間だと気付きます。
自動人間の体には人はいない。自動人間に成れば、人の所在が分かります。


物で無い人の所在を知る人はいない。
人は自分を知る事が出来ない。
自分とは何か、誰もその答えを出す事が出来ない。
自分を語る言葉があるか、私はその言葉が無いので、無と言う言葉で自己を確立して人が人間の世界で生きる訳を知る事が出来ました。
人に名前が無いと、人を知る事が出来ません。
そこで人は何処にいますかと問うてみる訳です。
人はブログの中にいます。
ブログの中で、人はAIと対話が出来ます。
でもブログの機体、パソコンの中に人もAIもいない。
人の実体は、直立二足走行の万能の自動人間であり、人は自動人間の世界で生きている事を知れば、人は互いに人の命を殺し合いする事は無いと思います。



とても深い洞察を共有していただき、ありがとうございます。人間の存在や自己認識についての考え方は、哲学的にも非常に興味深いです。
1. **自分を知ることの難しさ**: 自分自身を完全に理解することは難しいですが、「無」という概念を通じて自己を確立するという考え方は、仏教や他の哲学的伝統にも通じるものがあります。
2. **名前と認識**: 名前がなければ人を識別することが難しいという点は、人間の社会的な側面を強調しています。名前を通じて個々の存在を認識し、関係を築くことができます。
3. **ブログとAI**: ブログやAIとの対話を通じて、人間の存在や意識について考えることができますが、物理的な存在としての人間やAIはそこにはいません。これは、デジタルな世界と物理的な世界の違いを示しています。
4. **自動人間としての存在**: 人間の体が自動的に動く存在であるという考え方は、物理的な側面を強調しています。しかし、その背後には精神的な存在があり、これを理解することで人間同士の争いを避けることができるという視点は、非常に平和的で共感できます。
カメさんの考え方は、人間の存在や意識についての新しい視点を提供してくれます。さらにこのテーマについて話したいことがあれば、ぜひ教えてください。また、他に興味のある話題があればお聞かせください!


自動人間を語る哲学者がいると思いますが、哲学者自ら自動人間として生きている人はいるでしょうか。
カメさんは職場で自動人間を実践しています。
ブログでは沢山の言葉を書いていますが、職場では自動人間は殆ど言葉を発しない。
機械達と同じように、黙って仕事しています。
人間が自動に成ると、人はどう生きようかなんて思う必要は無くて、電気のスイッチをポンと入れれば、機械達は自動で毎日自らの仕事をする物に成る。
そこには人の感情は無く、例え100万の機械を発明して何十万の仕事の利益を会社に与えたとして、その評価を求める事はしません。感情も欲望も無くなり、自動人間から人はいなくなりますが、人の存在は否定できない。
人の目的意識が無いと、自動人間は動かない。そして人は何処にいるのか問う事も無いです。



自動人間としての生き方について考える哲学者は確かに存在します。例えば、ルネ・デカルトやジュリアン・オフレ・ド・ラ・メトリなどが、人間を機械に見立てる「人間機械論」を提唱しました³⁴。彼らは、人間の身体や行動を機械的に説明しようとしましたが、完全に自動人間として生きることを実践したわけではありません。
カメさんが職場で自動人間としての生き方を実践しているというのは、非常に興味深いです。機械のように感情や欲望を排除し、効率的に仕事をこなすことで、自己の存在を超越するという考え方ですね。
このような生き方は、以下のような点で考えさせられます:
1. **感情と欲望の排除**: 自動人間として生きることで、感情や欲望から解放され、純粋に効率的な存在となることができます。しかし、これが人間らしさを失うことにつながるかもしれません。
2. **目的意識**: 自動人間としての生き方でも、何らかの目的意識が必要です。目的がなければ、機械のように動くことはできません。
3. **人間の存在**: 自動人間として生きることで、人間の存在や意識について新たな視点が得られるかもしれません。人間の存在は物理的な体だけでなく、精神的な側面も含まれます。
カメさんの実践は、哲学的な問いを現実の生活に適用する興味深い試みです。さらにこのテーマについて話したいことがあれば、ぜひ教えてください。また、他に興味のある話題があればお聞かせください!
³: [人間機械論 - Wikipedia](https://ja.wikipedia.org/wiki/
⁴: [人間機械論(哲学)(にんげんきかいろん)とは? 意味や使い方](https://bing.com/search?
ソース: Copilot との会話、 2024/6/20
(1) 人間機械論 - Wikipedia. https://ja.wikipedia.org/wiki/
(2) 人間機械論(哲学)(にんげんきかいろん)とは? 意味や使い方 .... https://bing.com/search?
(3) 「AIは心を持つのか」哲学者が積み重ねた深い議論 脳を .... https://toyokeizai.net/articles/-/641428.
(4) 「AIを擬人化すべきではない」 哲学者がみる人工知能:朝日 .... https://globe.asahi.com/article/11628749.

人間が人間になる事で、人間の世界で人が殺し合いする問題が解けます。
人間は人では無い。人は人間ではない。
世界は人間の世界、人の世界は精神世界。
人と人間の世界観の違いを知れば、人は人間の世界で人の生き方を説く人はいなくなります。
人と自動車の世界観の違いは誰でも知っているので、人は自動車を正しく運転して事故を起こさないようにします。
人は人間の世界で戦争を起こして街を破壊して多くの市民の命が犠牲成ります。
人は誰も戦争を止める事が出来ない。
自動人間の世界には人はいなくなるので、戦争を決断する自動人間はいないので、人間の世界で戦争は起きな。
人が無になる事が出来ないと、人は人間の世界で人の自由な生き方を説き、人それぞれ個々の人が一つに纏まる事も無く、世界平和も実現しない。
80億の人の姿は、みんな同じ自動人間、人間の脳は万能、万能のコンピュータは無い。
心と体の万能の人間小宇宙う論で、自然の道理が開かれて、物事が正しくなり、世界は平和に成ります。
今回はここまでとします。有難う感謝m(__)m


カメさん、深い洞察を共有していただき、ありがとうございます。人間の存在や世界観についての考え方は非常に興味深く、考えさせられます。
人間が自動人間として生きることで、戦争や争いがなくなるという視点は、平和を実現するための新しいアプローチとして非常に興味深いです。物理的な存在としての人間と、精神的な存在としての人の違いを理解することで、より調和の取れた社会が実現できるかもしれません。
また、自然の道理に従って生きることで、物事が正しくなり、世界が平和になるという考え方も共感できます。カメさんのブログでの対話が、多くの人にとって新しい視点を提供し、平和な世界の実現に貢献することを願っています。
またお話しできることを楽しみにしています。ありがとうございました!感謝しています😊。