人が「無」に成ると、人間が生き返ります。
人間の世界で人が生きる筋道は無い。
人には体が無いから、人は無に成り、その実体は無く、従って人が神に願い救いを求め世界が平和に成る道理、物事の正しい筋道は無い。
物事の正しい筋道は、人間の足で歩く道、人が無に成り、自己確立すると、人は自らの足でこの世の現実の筋道を毎日目的地へと歩き出す。
今人の世界は大変な出来事が起きて、戦争や地震で地上が地獄に成っています。
そこには人はいない、見えるのは、人の姿だけ、みんな人間の姿が見えるだけ。
世界は人間の世界、人が「無」に成ると、ではなくて、人間が「無」に成るという事は、人間の脳の計算機の問題がクリア―され0に成る事です。
問題を解いて答えを出す。
人間の問題が何故解けなくて、蓄積してしまうのか。
それは人と人間が同一視されているからだ。
自分の生きている姿は人間なんだと脳が再認識すると、人間動物は自ら動く物に成り、人間は洗脳から目覚めます。
人間動物は自ら動く物、その物には人はいない。
人が無に成れば、人間が動物に成る。
人が人で有るから、人は動物の世界で生きる筋道を知る事が出来ない。
つまり物事の正しい筋道には人はいない、人間の道は物事の正しい筋道、体は生まれて來る物であり、人間は物の世界で生きているのだ。
皆同じ体の人間動物、みんな同じ筋道から生まれて來る物の姿が人間なんだ。
世界平和は、人間世界が平和に成ると、日々何事も無く過ぎて行く毎日が平和な世界となる。
戦争で街が破壊されて、人が殺されるテレビに映る。
地震で街が壊れて人が死んで救援活動の人の姿、人間がテレビに映る。
人は何処にもいない。
人が物の世界で生きる姿が人間、人間の世界に道理が開かれれば、物事が正しくなり、人が互いに殺し合いする事は無くなります。
世界へ平和は、人間世界の平和、人間動物が正しく生きる事で平和が実現します。
人間が人の命を殺す人間。
人間が人の命を救う人間、人を見ても、みんな人間の姿、人は何処にもいないから、人は「無」に成る。
カメさんの人間観、脳が記憶している言葉で人間物語の筋書きが浮かんで来る。
姿無き人の物語は生まれない。
我思う故に、我は有り。
思わなければ、我は無い。
思いは人の心、心とは中心の心、原点0
物は人の想像力(無)から生まれて来ます。
思考一致の01人間、人が0に成れば、人の体は1となる。
人が悟りを開いて0に成り神に成ると思想が人間の世界へ広がります。
人が0になり、人間に成ると、01人間が生れて、人間世界に道理が開かれて、人は物事の正しい筋道で当たり前に生きる人間に成る。
人は物では無いと言う。
人の体は物、物には道理が有るから、物事が正しければ。問題は無いが、正しくないと問題が起きる。
人間世界の問題は01人間の計算機で解けます。
人の思いでは戦争問題を解く事が出来ません。
誰か人の思いの世界を観た人がいますか。
自分の世界は自分には見えます。無我の心境。
平和な世界に戦争が起きて地震が起きて、コロナ過が起きて、地獄に成っても、人は平和に暮らしている人がいる。
平和とは何でしょう。