日曜討論で、世界の問題がいろいろ議論されていますが、人間の世界には様々な問題が山積しています。

温暖化の問題も自然災害が拡大されていく感じで、ますますひどく成ってくるようです。

人間世界に問題が有るという事は、人間の生き方が正しくないという事であり、人間が正しく生きていれば問題は無く、日々何事も無く過ぎて行く事に成ります。

人間が正しく生きるとは、どういう事か?、何故正しく生きられないのか?、その原因が人の自由な心だという事が分かりました。

みんな人が人間の世界で問題を起こす。

人に正しく生きれと言っても、我々を物扱いするなと言います。

人にとっては、人の心が一番大切なものであり、人を物扱いする事は正しくないが、人の体は創造されて生まれて來る物であり、人と体を同一視していると、人は人の体を物と認識する事が出来ないので、人は人間の世界で人として生きようとする事が、そもそも間違っている事に成ります。

問題は人間の世界で起きています。

人間の世界は、人の世界ではない。

人の世界は精神世界、人の苦しみは精神苦、人の思いの中に広がるのが精神世界です。

人間は精神世界では生きられない。

人間は人間の世界で無いと生きられない。

その人間の世界で人が人として生きる人の心が、人間にとっては厄介な問題になります。

朝起きて顔を洗い鏡を見ると人の顔が映りますが、人は鏡を見てその姿を人だと思っています。

つまり人と人間は同一の物として脳が認識しているという事です。

人を物扱いするな、人は精神だ。

人は物ではない。

人の体は姿形ある物、鏡には物しか映らない。

物で無い人は鏡には映らない。

人は物ではないが、人の体は創造されて生まれて來る物だと知れば、

人と体の分別論が生まれ、人が人の体を生かす姿が人間だという事に成ります。

自分とは物ではないので、「無」に成ります。

無とは何も無いと言う意味、自分とは「無」である。

答えの無いものが人であり、答えのある物が人間だという事です。

人が「無」に成ると、人の体の分別論が生まれて、人は物の世界で正しく生きるのが当たり前になります。

人の世界は精神世界、その人が人間の世界で人として生きる筋道は無い。

世界は人間の世界であり、人間の世界の問題は、人間が考えないと解けない。

その人間の世界で人は人の心が一番大切なものだとみんな思っているので、人間も心が一番だと考える事が道理として筋の通らない話に成る。

神様は完全自動の人間動物を創造された。

人間は動物、その動く物が、頭脳からの信号で自ら動く物、つまり自動の動物だという事です。

人は自動車と言う物の世界でみんな正しく安全運転を心掛けています。

物は正しく扱う事が当たり前、正しくないと物がトラブルを起こし、物は人の役に立たない物に成る。

物には道理が有るから、物は物事の正しい筋道で物として正しく有れば問題は無い。

人の体は生まれて來る物、人が「無」に成ると、人と体は人と物との分別論で物の道理が開かれて、人間動物は自ら動く物として人間の世界が自動になり、人間世界の問題が消えて行きます。

人が「無」に成らないと、人間動物は自動で動く事が出来ない。

人は物ではないので、道理も無く、自由であり、人それぞれの意見が対立して争い、思想勢力争いで戦争が起きて、人は互いに殺し合いする大問題が人間動物の世界に広がります。

世界は人間動物の世界であって、人の世界ではない。

人の世界は、人それぞれの心の中に広がる精神世界、その世界観が宗教思想となって、人間の世界に広がり洗脳と言う社会問題になります。

人間は動物、その動く物の体には人も心も無い。

人が「無」に成ると、人の体は自ら動く物、自動だという事がAIロボットを見て分かります。

動く物が頭脳によって自ら動く自動だという事です。

自ら動く車が自動車、人は自動詞の世界で当たり前に生きている。

人は人間の世界で問題を起こし当たり前に生きられない。

当たり前に生きられないから、未だに人は人間の世界で戦争を無くする事が出来ないのだ。

人が「無」に成らないと、人間は自動に成りません。

人間は自ら動く万能の動物なんだ。

人はその物を生かす命、その命を人は互いに殺し合う殺人鬼に成ってしまった。

命は殺す物ではなくて、命は生まれて來る物を生かし育てる生命です。

人が「無」に成らないと、人は人の命には成らないです。

人が人として生きる限り、人間動物の世界から人殺しは無くりません。

私達は人です。

私達が生きている世界は、人間世界です。

一人一人が正しく生きれば、人間の世界から問題は無くなります。