比叡山の話を聞いて思う事。

人は誰でも仏になれる、仏に成って仏教を広めなさいという事でしょう。

人は

仏の世界で生きられるかも知れないが、人間は仏の世界で生きる事が出来ますか。

 

人間は人間の世界でしか生きられないでしょう。

人は誰でも仏になれるかも知れないが、人間は人間以外の物には成れないでしょう。

 

また仏の姿が何故人間の姿に成るのか。

仏に手足がいるのか、目も鼻も口も耳もいるのか。

 

人が仏に成り、仏の生き方を説かないで、人間の生き方を説けば、人間動物は自ら動く物

自動である事を知るでしょう。

宗教思想が人間の世界に広がり、宗派間の対立で戦争に成り、人の命が犠牲に成るのは、

みんな原因は思想にある。

 

人間世界の問題は、人間が正しく生きれば無くなります。

人間が神になり、仏に成り、その結果問題が山積して、人は苦しみます。

 

人間は人間として当たり前に生きられる筋道は、物の道理の世界にあります。

物事が正しく有れば、問題は無いです。

人が「無」に成り、人間の世界から消えて無くなれば、人間の世界は自動になり、人殺しは無くなります。