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和顔悦色施(わげんえっしょくせ)
といいますのは、優しいほほえみを湛えた笑顔で人に接することをいいます。
心からの笑顔にまさる美しさはありません。
純粋無垢な笑顔に接する時、人は一瞬人生の苦労を忘れ、生き甲斐さえ感じます。
笑顔はまわりを和ませ、トゲトゲしい対人関係をスムーズにします。
自分が苦しい時、辛い時さびしい時、笑顔をするのは苦しいことです。
無理して笑う、これもつかれることです。
ですが、自分がさびしい時、苦しい時はまわりの人の中にも同じような
つらい思いをしている人がいるはずです。
だから、思い切って、精一杯の笑顔をプレゼントしてあげましょう。
あなたの思いやりの心と勇気に生きる力をもらった人はきっと
あなたに感謝の言葉や感謝の眼ざしで返してくれるでしょう。
それがあなたを支えてくれる力になるのです。
「施しは生きる力のもとと知れ」
どうですか。笑顔、ほほえみって簡単なようでむずかしいですよね。
ましてや自分と何の利害もないあかの他人に対して笑顔で対応するなんてね。
こんな話があるのですね。
ある残虐な殺人を犯して死刑囚になった男についにお迎えの日が来た。
死刑囚は連れ出しに来た刑務官に正座して深々と頭を下げ、お世話になりました。
とお辞儀をした。そして顔をあげるとニッコリと微笑んだ。
透き通るような笑顔だった。
その場にいた刑務官が定年退職して慎ましやかな余生を送っていた。
娘が孫を連れて帰省したとき、孫をあやしながら本当に純粋無垢な孫の笑顔を見つめていると、あの正座してお世話になりましたと言って刑場の露と消えた死刑囚の笑顔が蘇った。
たとえ許されざる罪を犯した者とはいえ、懺悔の限りを尽くし、改心の情を示した上で何のみかえりも求めない清冽なる生命の残照のような笑顔にふれたとき、人としてそれを無下にすることが、はたして人の道にかなったことであったのか。
引退した刑務官は地域のボランティアとして夕刻になると通学路に立ち、子供達の安全を見守っている。
やりはじめてから最近妻が、なんだか顔が柔和になってきたと言った。
人づきあいが苦手だったがご近所さんと通りで出会うと、世間話しで盛り上がることもあった。
ほがらかないい笑顔なさってますねと言われると、いやいやと謙遜しつつもなんだか嬉しい。
あの死刑囚の笑顔は本当で嘘がなかったんだとこの頃わかるようになってきた。
いまだにあの笑顔をこえる笑顔に出くわしたことがないからである。




