流転の佐保姫神社
流転の佐保姫神社
戦国の世、大和平野は国人が割拠して乱れていました。
乱れた大和を制したのが筒井順慶でしたが、永禄3年
(1560年)になって、松永弾正久秀が筒井順慶を
破って大和に入り、現在の佐保川天満宮や佐保姫を
祀る神社があった、多聞山を拓いて多聞城を築きました。
このときに、天満宮は佐保川沿いの現在地に移り、
佐保姫明神もこの地でともに祀られていました。
江戸時代に入ってから、佐保姫明神は川上の
今在家の地に移り、織姫とされる天棚織姫神社に
合祀されて、佐保姫神社と呼ばれていました。
天棚織姫神社
かってはここに佐保神社がありました。
明治に入って、明治28年に奈良市内東北部の
神社の統合整理に伴い、佐保姫神社は手向山
八幡宮内にある末社の松童神社に他の神々と
共に合祀されています。
狭穂姫の不幸は死後も続き、誕生地とされる
場所から転々と場所を変えて祀られ、今は佐保の
地の東端の若草山の麓に建つ手向山八幡宮に
やっと安住の地を得たようです。
手向け山神社の境内
本殿の南側一帯には住吉神社なとの祠が並んでいます。
松童神社
佐保姫神社が合祀されている松童神社近在の
12の神社が祀られています。
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