片方の味方で言うのはたやすいのだが、
先生によるケースもあれば逆の生徒からのケースもある。
そして言葉は基本的に自分の思った通りに伝わる事もあれば都合の良いように解釈される事ある。
そして全く伝わらない事もある。
性格を利用し手を出すように誘導されてしまう事もある。言葉は便利な反面。解釈をコロコロ都合良く利用し解釈する。
子供も大人も。
丁寧に対応する事がかえってイラつきを生む事もありえる。子供に話を聞いてもらいたくば、話を聞いてあげる事である。聞いてもらった体験により、
聞く耳を始めてもつのだ。
優しく問いかけたからと事なきを得たとしても、
根に持つ事はあり得るから。
(舐めくさってバカにしてやがると子供が思う事はありうる。)
この対応が正解というのが無いから先生達は苦しむわけで、終いにゃ見て見ぬふりすらしてしまいかねない。子供達にいかに想像力(将棋・囲碁で言う所の手を打った後の数手先を読むという奴です)と相手を思いやる力をつけさせるか、あと自己中心主義の危険性を認知させるか。
先生とて対応しきれない時は逃げていいと思う。
子供に問題がある時は家庭か、過去に何かあったかだから。包み込む事は大切だが、それも忍耐がいる。褒めてもらいたい、認められたい欲求が大人も子供つよいからな。
自分の思い通りに行かないのが当たり前で、
思い通りにいく事は奇跡だから。
思い通りに行かないから無理やり排除しようとしてブーメラン食らうか、上手くサーファーの様に波に乗るかでまた違う気がするのだが、
失敗は早めに経験しておくにかぎる。
失敗を知ってる者、どん底を知る者はつよい。
成功体験しかしらないと、色々な無理をしてしまうから。
想像力と、数的先が読めるとまた違った見方ができるからね。
負けを経験する事は悪いことでは無い。
叱られる事は悪いことでは無い。
叱られる事によってしか、見えない世界もある。
ルールを変えたきゃ、相手を排除するより
ルールをどうしたら変えらるかを考えた方が数倍偉いし、有意義。柔良く剛制せばまた違った道も見えたかもしれないのにと某少年に言いたいなぁと独り言。
正論を唱えるには、リスクが伴う。
そして、時に正論は正論になり得ない。
正論は理解されない事もあると踏まえて動く事かな。おもうね。






