自殺者年間10万人以上といわれている昨今。
何故自ら死を選ぶのでしょうか。

外国人投資家の言うがままに
法律を作り、政治献金をもらう政治に絶望するのかしら。
衆愚政治による民衆のエゴイズムに落胆するのかしら。
蒙昧主義に挟み込まれ、身動きひとつとれず、日○会議の策略によって戦争に抵抗感を抱かない自分に洗脳されることへの敗北感なのかしら。
自分の想定を振り切って計測不能なほど 世の中が汚なすぎることへの無力感なのかしら。

そうだとすれば自殺者はいたってまともな感覚の持ち主だといえます。

ここまで冷静に何故自殺するのか考えてはいなくとも、お金、人間関係、社会に疲れて「おそらく今より楽だと思われる自殺」をチョイスしてしまうのでしょう。

でもその「おそらく今より楽だと思われる自殺」はほんとに今より楽なのかという疑問が生じるのです。

自殺して完全に死んで生き返った人がいないので、本当はどうか とは言えないのですが、おそらく今より楽ではないと結論づけられるのです。


物質の状態変化に似ているのです。
氷が水になり 蒸気になりプラズマになる。
存在しているエネルギーが 何もなくなるということはありえない。
とすれば心のエネルギーも死によってなくなるということはありえないのです。

唯物論的に言えば
死によって自己が支配する意識は失われ、残されたものの心で生き続ける。死は本人には一切の感情を伴うことなく、永遠の自我の消失であるといわれます。死んだら何もなくなる。
これを信じれば自殺も正当化されるかもしれません。

しかし唯心論的には死んでも意識は継続されるというのです。
これだけならやはり自殺を正当化する余地はあるかもしれませんが、

テーラワーダ仏教も量子物理学も
答えはひとつ「刹那消滅」です。
唯心論に刹那消滅と物質の状態変化を掛け合わせて鑑みると、今現在、私の周りに存在する物質は(私も含め)存在しえない、幻の世界であり、時間という概念も存在しない。多重に存在する次元空間の中で、死によって解放された心のエネルギーは死の瞬間のモチベーション、例えば「無念」「怨み」などのエネルギーに引っ張られ
それ相応のエネルギーの次元空間に刹那に生まれ変わるということです。

それがいいか悪いか?
怨みや無念の感情でずーっと過ごしたい人には良いけれども
真にそれを求める人は殆どいないでしょ。
だいたい感情に任せて自殺し、死ぬ瞬間にバカなことしたと思う人が大半なんじゃないかしら。

だから死のうと思ってる人はまず
ちょっと止まって考えて。
深く深呼吸して、何が原因で死のうとしてるのか考える。
原因がわかったら一目散で逃げる。
プライドとか一切いりません。
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物理的距離はもちろん
他人によって規定された自分からも逃げるのです。

逃げてから考えれば冷静に判断できるものです。
借金地獄なら、逃げてから
カニ漁船乗るか自己破産するか考えればいいのです。
仕事で死にたいなら、逃げてから辞めるか非正規になるか事業起こすか考えればいいのです。

人間は地球の資源を奪うだけではないのです。作ることも同じだけやってます。
世界の人口が5億でちょうどいいなんて、ただのケチで自己中で未熟な思想です。
人間が多いほど地球は豊かになるのです。
腸内細菌が多いほど人間が健康なのとおんなじです。

だから自ら死んではいけないのです。地球はあなたに生きて欲しいと言っているのです。