「専門」とは、極限られた知識(やりかた)を持つ一方向で熟練された者をいう。
例えば、家族を持つあなたが一戸建ての注文住宅を買ったとしよう。
間取り・キッチン・照明・外観など理想通りのマイホームを想像する。
が、細部までは及ばない・・・・・。
及ぶはずがないのである。
あなたからの情報を取り入れ対応するどんな建築家・設計士・住宅会社でも、つまり「エージェンシー」はあなたのイメージを「びったり」に重ねることは不可能だからだ。
人の色感覚にみられるように、「青」にも多種多様な「独自色」があり、それは生得的な感覚なのである。
ただ単に反射が表した鏡面状の「色」ではなくそれぞれの系統の経験と生命により表される「独自の色」であり「エージェンシー」により理解されるものではないのである。
そして又聞きによる「エージェンシー」からの注文による専門家、つまり「エージェント」は細部に触れるが、
細部は「エージェント」より決定づけられた情報により細部の細部まで専門の知識を働かせるのである。
だから
完成し、いざ住んでみると、不満な部分が残るものだ(心当たりの人もいるだろう)。
それはなぜか?
そこに住んだ人が全体を知る者(外観を含めた内部(一貫性)の観察者であり、
オーナーも「エージェンシー」なのである。
外観を観察するのが「エイジェンシー」であり、
「エージェント」は、 機能を観察するのである。
つまりあなたは、社会的交換理論の中でただ単に、入力と出力の計算、支払いと受け取り、という利己的主義と利他的主義が入り混じった混沌とした世界の中で暮らしているだけのことなのである。
つまり、不満とは混沌とした世界での「やりかた(専門)」の中で独立した利己的・利他的な手段を選択してるにすぎないのである。