10月13日(木)
最初にことわっておくが、本日のタイトル、「死ぬ気まんまん」はベストセラー絵本「100万回生きた猫」の作者である佐野洋子の著書のタイトルであり、今の私の気持ちを表しているわけではありませんので念のため。
10月11日の火曜日に泉区の緩和ケアの病院と手続きをしてきた。静かで優しい医者と看護婦を久しぶりに見た。直ちにCTを取った結果、両肺にこまかい転移が見られ、胸水もやや確認される。また、肝臓にもいくつかの転移とみられる部分がある。とのことでした。覚悟していたので別にショックはありませんが、いよいよ緩和ケアの世界に入ってまいりました。ここの病院は24時間訪問診療をしてくれ、大変な時には入院もできます。でも、こういう病院がある時代でよかった。
さて、ここからもらった薬(ステロイド)が効きます。昨日は朝食後にひとかけら飲んだら、一日中熱はでませんでしたし、少し食べ物も食べやすくなった気がしました。ここまでくると、いかに毎日苦痛を少なくして生きるかが問題になります。長く生きることが目的にはなりません。患者にとってこれは本当に大切な問題なのです。さて、生と死をみつめての世界を考えていたら、前述のタイトルを思い出したので今日はこのことを記しておきまっす。
佐野洋子が飼っていた猫「フネ」が癌で余命一週間とわかった時の猫の様子の記述である。
「苦しいのか、痛いのか、ガンだガンだと大騒ぎしないで、ただじっと静かにしている。畜生とは何と偉いものだろう。時々そっと目を開くと、遠く孤独な目をして、またそっと目を閉じる。静かな諦念がその目にあった。(一部略)私は毎日フネを見るたびに、人間がガンになる動転ぶりと比べた。人間の死に方を考え粛然とした。私はこの小さな畜生に劣る。この小さな生き物の、生き物の宿命である死をそのまま受け入れている目にひるんだ。その静寂さの前に恥じた。私がフネだったら、わめいてうめいて、その苦痛をのろうに違いなかった。私はフネのように死にたいと思った。(一部略)太古の昔、人はもしかしたらフネの様に、フネの様な目をして、普通に死んだのかもしれない。(佐野洋子:神も仏もありませぬ)
こう語っていた佐野洋子は間もなく自分も乳ガンを宣告され、その後脳に転移するのだが、その時の主治医との対談集「死ぬ気まんまん」を出版するころには、フネを超えてまさに死ぬ気まんまんの領域にまで到達していた。そしてこの主治医も医者らしくないなかなかの人で、「佐野さんの死ぬ気まんまんはもう少しみんなに知ってほしいですね。死ぬのは当然のことだ。みんな仲良く元気に死にましょうと、日常診療でも患者さんに紹介したりしています。」と言っている。.
現代日本では死ぬときはみんな病院でという環境で、死が我々の生活から分断されてしまっており、
死は自分と関係ないもの、遠ざけたいもの、忌まわしいものという感覚がしみついてしまっています。人は生まれて死ぬという単純な真実を受け入れられないことは全く不幸なことである。
だから突然がんなんかになると、本人も周りの人も激しくうろたえてしまうのである。
そして必要以上の治療を行い死を遠ざけようとする。これは患者にとってはただの苦行に過ぎない。
何のために生きるのか、全く心の準備が足らない。ある修道院では毎日の挨拶が「メメントモリ(死すべきことを忘れるな)」だった。自分はいつ死ぬかわからないということを常に意識して生きることはとても大切なことだと思う。それからもう一つ、今の時代に生きる「死とは無だと思います」と明るく答える大勢の人々へ。無とはないことであり、死が無であるのならば、「死はないと思います」と言っていると同じことですよ。私も実は死はないと思っており、だからこそ、死という世界のその後を体験できることを期待しているわけです。