9月22日(木)

今日は、左下歯肉の部分が単なる歯周病ではないようだということで、紹介された病院の口腔外科へ行った。腫瘍ができており、これが良性なのか悪性なのかを細胞診にかけるとのことです。あ~あ、また細胞診か、とため息が出ます。変なところに飛び火しないでほしいと祈るばかりです。

 さて、妻から、部屋にこもって難しいことばかり言ってないでもっと楽しいことを考えなさいと言われたので、本日は、私にとって楽しいことであったマラソンについて思い出を振り返ってみたいと思います。

私がマラソンにまじめに取り組もうかなと思ったのは二十代後半である。最初に赴任したSZ高校でマラソン大会があり、担任として生徒とガチで対決してみようと思い、自分なりに練習を始めたころから、今年の7月、病魔に倒れて腎瘻をつくるまでの間、趣味としてのマラソンを四十数年間続けてきた。振り返れば教員生活のどこの時代をとってもマラソンに関する思い出がある。簡単に私のマラソン歴を紹介すれば、四十代前半くらいまでの間は、一年の中で春になったら練習を開始し、夏に少しまじめに走り、秋に校内マラソン大会もしくは、それ以外のマラソン大会にひとつ出てその年の練習は終わり。翌年の春までは一切練習しないという程度のもので、走り始めの春は体がとても重く感じ、肺もとても苦しいという状態からのスタートだった。それでも一応それなりの練習はやっていたので新任校(SZ高)では教員として生徒と対決し、クラスで2~3位、次のNN高では全校生徒中十数位、さらにその次のNK高では全校生徒中十三位と、案外速く走れたのでした。ただし、校内マラソン大会がある秋には、いつもその日程と重なるように部活動(バスケット)の大会があり、ほとんど学校の大会には参加できなかった記憶がある。そんな時には松島マラソンとか、仙台市民マラソンとかローカルな市民マラソン大会にひとつだけエントリーして、それを目標として練習していた。参加すること以外の目標を持たなかった市民マラソン大会のなかで、目標を変えてくれたのは子どもが小学生に育ち親子ペアの部に娘と参加した96年仙台放送ふれあいマラソンだった。1Kmの道路を親と子が手をつないで走り最後に道路から野原に入ってゴールするというコースだったが、娘がけっこう頑張って上位をキープして走り、4位か5位で野原に入った。あとはゴールまでの直線だ。ここで私は欲が出て娘の手を強く引っ張りながら最後のダッシュをかけ、2位でゴールすることができた。百組以上のペアの中での2位だから上出来である。娘と共に初めてマラソン大会で表彰状とトロフィーを手にすることが出来て、いたく感動した。さらにこの様子が仙台放送に流れて何人かの方から、TV見たよと言われた。なるほど、大会を選んでしっかり練習すれば入賞できるんだということを学び、それ以降は一人で走る大会でも年代別入賞を目標とするようになった。当時私は四十代だったが、四十代の部でも時々入賞できるようになった。そして表彰式に出るのがまた誇らしかった。次に赴任したTM高では校内マラソン大会はなかったが、職員達でマラソンクラブを作り、仙台市民マラソンにみんなで出るようになった。その頃から、長距離なんて大嫌いと言っていた妻も私と一緒に練習をするようになり、練習時間は増えていったし、年齢を重ねるごとに、より速くマラソンを走れるようになっていった。(続く)

9月20日(火) 

昨日、公立高校で最後に担任をした生徒からメールが届いた。みんなで集まって河原で焼き芋会をするので先生も来て。というものである。こういったお誘いは退職教員にとっては大変嬉しいものであり、卒業後のことなどの話を聞くのはすごく楽しいのだが、とにかく体がこんな状態になってしまったために欠席しようと考えた。しかし、妻から、「行きなさい。ひきこもっていてはダメ」という意見をいただき、考えを改めて参加することにした。その日は体の調子がよくなりますように!と祈るしかない。

 さて、本日は現代世界の人間が陥っている病について二人の重要な指摘を挙げておこう。

 

No.15 「世界の中に自己を定位しようとする現代人がしばしば抱く誤解ないし幻想、それは自分という存在が自分の意志の産物   である、と思い込むことである。今、民主主義はその内部から崩壊する危険に晒されている。この危険は、民主主義が共産主義のような外部の敵と戦っているうちは顕在化しなかったが、実は当初から民主主義に内在したものである。トドロフの言葉によると、その危険とは「自分自身に酩酊する意志」の思い上がりである。民主主義は、人民、自由、進歩という三つの構成要素をもつが、それらが互いの制約を忘れて唯一の原理として暴走すると、それぞれはポピュリズム、新自由主義、政治的メシアニズムという怪物を生み出してしまう。(森本あんり・異端の時代)

 

これにあてはまる政治家の名前を具体的に挙げればトランプ、プーチン、習近平、安部晋三とその仲間達、維新の皆さんなどがすぐに頭に浮かんでくる(もちろんプーチンと習近平は本質的に民主主義とは関係ない)が、日本の政治全体が、どんどん謙虚さを失い、嘘を気にせず語り、民意と叫びながら独裁制をめざしているかのように思える。そしてそれは政治家だけでなく、そんな政治家を支持する国民の病といっていいと思う。さらに言えばこれは現代の科学者や知識人にも蔓延している病だと私は思う。自分の知識や自分自身そのものが理解不能なものの上に築かれていることを考えさえもしないのである。自分という存在が自分の意志の産物であるという思い違いというか思い上がりは、現代世界全体の病として世界中のあらゆる部分にまでその悪影響を及ぼしているのである。

 

No.16「そもそも私たちは、自分の決断で生まれたわけではなく、自分の決断で死ぬのでもない。生まれて死ぬという、この世の根本的な事態において、私たちの意志は全然関与していない。気がついたら、どういうわけだか、こういう事態にさらされていたわけです。このことの不思議に思い至れば、自分の人生について、自分の意志で決断してどうのこうのということが、いかに小賢しいことであるかにも気がつくでしょう。人間が自分の意志でできることなんか、たかが知れているのです。人生は自分の意志を超えているのです。(池田晶子・死とは何か)

 

この現実に立ち返らなければ人は本当の意味での謙虚さとか倫理とか道徳とかのスタート地点にさえ到達できないように思えるのである。

 

9月18日(日)

 薬を飲まなくても昨晩はそれなりに睡眠を取ることがでた。これは嬉しいことだが、寝ていると背中が凝ることと胃が重く感じることが今問題だ。2日前からなんだか胃が重くて、胃腸薬を飲んでいるが、どうもいまだにスッキリしない。癌と腎瘻によって体の生命活動のバランスが相当乱されているようで、体のいろんなところにしわ寄せが出てきている。困ったことだ。

 さて、このごろ驚いたことは、ヤフーニュースの見出しに「教会との接点報告漏れ」とか「教会との接点報告相次ぎ嘆く自民」とか、何と、あの統一教会を教会という言葉で略した見出しが見受けられるようになった。これはとんでもないことですよ。こんなふうにして愚かな日本のマスコミは言葉を破壊しているのです。「教会」関係者の立場からして見ると、統一教会という言葉にさえ、嫌悪感を抱きます。あんなインチキカルト詐欺集団に「教会」などという言葉を一切使わせたくはありません。キリスト教年鑑にも掲載されていないのは彼らがキリスト教だとは認められていないからです。キリスト教に寄生したただの寄生虫です。統一教会のために普通の「キリスト教会」のイメージがどれだけ損なわれてきたことか。マスコミは考えるべきです。元は「統一協会」の字だったはずです。本当に今からでも「協会」という元の字に戻してほしい。

 テレビのコメンテーターでは太田光や橋下徹がマスコミによる一斉の統一教会批判は信教の自由を脅かす危険があるみたいな、普通の宗教とカルトをごっちゃまぜにした恐ろしく雑な擁護論を述べているようだが、統一教会が何であるかも知らないおめでたいコメンテーターたちがマスコミで好き勝手なコメントを出すのってまあ、ここ数年いつも見られたことだけど、日本のマスメディアの堕落の象徴だと思う。立憲民主党とか統一教会問題に取り組む弁護団は宗教法人法に基づく教団への解散命令を求める声明をだしたようだが、いまやるべき一番重要なことはこれである。統一教会が普通の宗教団体ではないことをまず確認すべきである。伝道する時やものを売る時に自らの正体を隠して近づき、完全にマインドコントロールの段階を踏んだ状態で自らの正体を明かす。これが宗教か?そして教団内部においては上の者への絶対服従が求められ、自分の判断は厳しく禁じられる。つまり、この教団は初めから宗教を隠れ蓑とし、聖書をそれこそめちゃくちゃな解釈によって文鮮明を救い主とする教義に作り上げたものであって、しかも集まってきた何も知らない人達をあらゆる方法を駆使して念入りに洗脳してロボットのような信者に作り上げるシステムをもつ詐欺集団なのである。決して宗教などではない。Wikipediaによれば教祖の文鮮明は「16歳の時に、祈祷中にイエス・キリストと霊通し、再臨主の使命を継承するよう召命を受け、最初は拒んだが、最終的に受け入れたという。さらに聖書を学び、祈りを唱えるうちに、さらなる啓示を受けたとされている。」とある。これば、新興宗教の教祖によく見られる霊通であるが、これが嘘でなければ、彼が霊通したのはイエスキリストの姿に似せた悪霊であって、それに啓示を受ければ、あんなカルト宗教ができあがるのだろう。だから、統一教会の教義とその反社会的な行動は表裏一体であり、切り離して考えられるものではないのである。この団体を解散させられないのならいつまでも被害者は出てくることになる。

 

9月16日(金)

 昨日は、新潟から大学時代の友人が遊びに来てくれて、仙台の友人と3人で昼食を食べながら久しぶりに語り合うことができた。本当は三人で夏に旅行に行く予定だったのだが、私が突然とんでもない状態になってしまったため、予定を変更して、昨日の昼食会になったわけである。昼食会の間、私の体調は落ち込むことなく、珍しいことに食欲もあったりして、精神的な部分が体調にも影響しているということを確認することが出来た。持つべきは良き友である。

 さて、今日はあるニュースに腹が立ったのでそれを取り上げよう。IAEA(国際原子力機関理事会)はウクライナのザポリージャ原発からロシア軍の撤退を求める決議を採択したところ、35カ国中、ロシアと中国の2カ国だけが反対したとのことである。普通、原発に砲弾を撃ち込んだりしたらどんな恐ろしいことがおこる可能性があるかくらい、子どもでもわかりそうだが、わからない国がロシアと中国ということである。地球環境とか、人類の幸福などはどうでもよいということである。今日、ウズベキスタンでプーチンと習近平が会談したようだが、この二人というか、この2カ国には見事な共通点がある。その筆頭は「本当のことを言ったら殺される」ことだ。中国はその歴史から「文化大革命」や「天安門事件」を消し去り、ウイグルの強制収容所などについても国家を挙げて嘘をつきまくって隠そうとしている。本当のことを語る国民は刑務所に収監される。真実が怖いのだ。ロシアに関して言えばプーチンは嘘に嘘を重ねてその地位を得てきた人である。ウクライナ侵攻に関してもロシア側が出すコメントはほとんどが嘘。原発を攻撃しているのはウクライナだなどというばかげた嘘を誰が信じるだろうか!これまでも長い歴史の中でプーチンの隠し事を暴いた多くのジャーナリストは国家の手により殺害されてきた。今年に入って何人のオリガルヒがウクライナ侵攻に賛成しないというだけで家族ごと殺されてきたか!(もちろん、ロシアメディアは自殺とか事故死と報道)。本当のことを言えない国、言い換えれば、嘘の上に築き上げた大国、それがロシアと中国である。さらに言えば、国際法などの決まりを一切無視する国でもある。

中国の隣国に対する侵略的威嚇、ロシアのあの戦争のやり方、歴史的にこれらの国は国際法など端から無視、抗議されればそういうことはやっていないと嘘をつく。ロシア、中国、そして実は統一教会も中身は全く同じなのだ。自分の利益が第一、倫理や正義は一切なし。もちろん、国民の命もどうでもよい。と書いてきて、日本という国がこのロシア、中国、統一教会にこのごろかなり似通ってきているのではないかと怖くなってきた。

9月14日(水)

このごろニュースを見ていて、うんざりする言葉がいくつかある。そのうちの筆頭は「丁寧な説明」である。今回は安部晋三元総理の国葬に関して岸田総理が「丁寧に説明をする」とのこと‥。丁寧な説明という言葉がさかんに使われ出したのは、森友学園問題あたりからではなかったか。モリカケサクラいずれにおいても安部晋三元総理が、本当のことを説明したら大変なことになるので絶対に説明出来ないことについて「丁寧な説明」が必要と言い出したような気がする。それ以来、本当のことはいえないヤバイ案件についてはいつも、丁寧な説明が必要という言葉を意識的に自民党は使うようになった。だから、国会やインタビューなどで丁寧な説明をしていきたいなどという言葉を聞くだけで、私は無性に腹が立ってくるのである。ところが、テレビも新聞も、この言葉をそのまま何事もなかったかのように使っているのを見ると、本当に情けなくなる。なぜ、ここまで何度も何度も貶められてきたことば「丁寧な説明」に対する抗議や指摘がなされないのだろうか。日本という国はここにきて嘘、偽りのオンパレードに慣れっこになってしまっている。丁寧な説明以外にも「個別のことについてはコメントを差し控える」とか「仮定の話に関してはコメントできない」といった、政治家が説明しなければならないことを一切無視するという見るに堪えがたい傲慢な態度が当たり前のようになってしまっている。そして、こういった言葉に対して反論するマスコミもなく、こんな言葉がそのまま放置され認められるような国に日本は堕落したのである。私がどうしても理解できないのは、モリカケサクラいずれにしても安部元総理の答弁は嘘、偽りのオンパレードだった。桜を見る会に関する虚偽答弁は実に118回に及ぶものであったことが確認されている。とにかく、誰が聞いてもすぐにわかる嘘を何度も何度も語っていたことを思い出す。それなのに、その嘘を支持する連中がいつでも沢山いた。その人達は本当は嘘だとわかっているのに嘘を擁護するのである。私はそのような下劣な精神を恐ろしいと思う。どんなに嘘をついても、選挙に勝てばOK。権力を維持できればOK。そして権力者にしっぽを振って近づいていく下劣な人間達。プーチンを見ていればわかるが、嘘を平気でつける者は泥棒になる。そして泥棒はやがて人殺しになるのである。国会が異常に軽視され、野党からの要求があっても無視される異常な国、ニッポンである。国会答弁などで嘘が語られたら、それをしっかり指摘して訂正させようとする雰囲気などどこにもない。与党か野党かの問題じゃない。重要なことは真実が嘘か。それだけである。統一教会関係の自民党による調査でも多くの議員が「資料はすべて廃棄したのでわからない」「昔のことで記憶にない」「本人に統一教会の人ですかなどと聞くことはできない」などと嘘をつきまくっている。全体の9割が統一教会だとわからなかったと解答したそうだ。これを信じるおめでたい国民って一体どのくらいいるんだろうか?そして幹事長などはこの虚偽の上にふんぞりかえって質問者を威嚇している。こんな三流国に落ちぶれてしまった日本。「嘘はどうごまかしても嘘です。許せません。」こんな単純なことを日本人は言えなくなってしまったのだろうか。

 

9月13日(火)

 さて、片思いの彼女に話しかけてからというもの、私の心は一日中そのことで一杯だった。

そして、彼女は東京の大学へ進学し私は地元で浪人生活に入った。彼女はお手紙書くからね。とは言ってくれたものの、待てど暮らせど、お手紙は私には届かなかった。そして、むなしく時間は流れ、ついに破局がやってきた。(結局初めから片想いにすぎなかったってこと)彼女には東京で彼氏が出来てしまったのだった。夏休みに実家に帰ってきたときに電話で、会いたいと話したところ、悪いけど私、今あなたには会いたくないの。という感じの返事だったように記憶している。これで失恋を悟った私は、ひたすら落ち込んだ。その年の夏は梅雨が長くて、全く私の心模様そのものだった。アグネスチャンのアルバムに入っていた「ウイズアウト ユー」を繰り返し聞いた。高音で泣き叫ぶようなアグネスの声は私の心そのものを表現してくれていた。片想いの世界にどっぷりはまり込んでいた私は初めて体験する失恋という深い穴に落ち込んでしまって、息をするのも疲れるという感じで毎日を過ごしていた。生きていることがつらく、自分の悲惨さを繰り返し思い出しては落ち込むという毎日だった。ひたすら孤独を感じていた。何もする気がおきない。何の力もわいてこない。ある日、苦しくてどうしようもなく、私は目的もなく近くの山道や野原をただ歩き回っていた。そこで眼にしたのが、ヒメジョンの花だった。中学校の校舎の裏に毎年咲く花で、以前から名前は知っていた。この花がいくつかまとまって咲いていた。それを見て、私は感じるところがあった。今の自分とこのヒメジョンの花を対比させてみた。自分がこんなにつらいのは、自分が自分を傷つけているからだと悟った。ヒメジョンの花は全く飾っていない。他者の眼など気にせず、一切の自己主張もせずに、ただ、自然のままに素直に素朴な白い花を咲かせているだけだ。こんな生き方をすれば自分も救われるのではないか。結局、自分を傷つけているのは自分自身なのだ。人から同じ言葉をかけられても全然傷つかない人と、大いに傷つく人がいる。傷つけているのは他人の言葉ではなく、その言葉を繰り返し自分に聞かせている自分自身の言葉なのだ。それからというもの、私は、音楽を聴きながら自分の境遇を嘆くことをやめた。自分を捨てれば自分は傷つかない。ヒメジョンのように生きていけば、こんな苦しみを感じることなく生きていけるのではないか。自分を捨てられない者は自分によって傷つけられる。自分を捨てれば、自分を傷つける者はいない。この悟りは大きかった。私はヒメジョンの花を見て、苦しい惨めな毎日から抜け出すことが出来たのだった。私の片想いはこのようにして2つの意味を持つ「自分を捨てること」を私に強烈に教えてくれた。私は42年以上教員生活をしてきたが、生徒達に一番多く語ってきた言葉がこの「自分を捨てること」だったように思う。

 

9月13日(火)自分を捨てること

薬のお陰で、昨日の夜はそれなりには眠れた。でも何かをしたあとは眠くなる。恐らく、体力がそうとう落ちているためと思われる。今日も30分ほど銀行へ行ってきたが、やはりその後すぐに寝たくなる。体力をつけるには‥。ああ、走れる体であればどんなにいいだろう。

さて、前回は詩を作ることによって自分の心が解放されたことを書いたが、その続きである。もちろん、詩を書いて心に自由を取り戻し、それで終わりというものにはならないのが世の習わしである。詩を書いて救われた翌年、ついに私は片思いの彼女に話しかけることに成功した。わかりやすく説明しておくと、片思いの彼女は、中二の秋ころ私のクラスに転校してきた子で、中三は別のクラスだったので会話したこともなかったが、恐らく、私の顔と名前くらいは覚えているのではないか?という程度の関係である。当時はすてきな子だな程度の感覚で、中学生のころは家が離れていて近所で見かけることもなかったのが、高校生になったあと、私の家の近くに引っ越してきたので同じバスを利用するようになったのである。あれは忘れもしない高三の快晴の夏。久しぶりに学校からの帰りのバスで一緒になったのだった。次にバスで見かけたら、とにかく話しかけるぞと前もって私は自分の中で決断していた。今それをしないと、大学進学などで遠くに行ってしまい、一生会えないかも知れない。後悔はしたくない。チャレンジする。と決めていたのだった。バスの中の私はもう、緊張しまくりだった。なぜか知らないが、心の中にはミシェル・ポルナレフの「シェリーに口づけ」が繰り返し鳴り響いていた。バスは停留所に到着した。彼女が先に降りる。後から降りた私は少し距離をおいて彼女のあとを歩く。そして同じバスから降りた何人かの人が途中で脇道にそれ、私の前を歩くのは彼女だけになった。今だ。私は足を速めて彼女の横につき、そして彼女の前に立って挨拶した。「こんにちは」。彼女はびっくりした表情で「こんにちは」と答えた。この瞬間の映像が私の目に焼き付いている。そしてこの時、私の耳には心臓の鼓動がしっかり聞こえていたのである。私が人生の中で最も緊張した瞬間である。「小心者の恥ずかしがり屋で女性に自分から話しかけることなど無理であった。」という当時の私が、なぜ、自分から話しかけることができたか。実は前もって頭の中でシミュレーションしていたのである。そして結論は自分を捨てれば何でもできる。と悟ったのだった。小心者で恥ずかしがり屋で話しかけるのは無理でも構わない。それで構わないから、とにかくバスを降りたら彼女を追って行き、彼女の横に自分の体を置け!そこまでがおまえの仕事だ。それで万事OKだ。それ以外のことは考えるな。自分の体を物理的にただ動かすことに集中しようと考えたのだった。私はそれを前もって決断し、自分を捨てて自分の体を動かすことだけを考えていたのである。話しかける内容とかは多分ほとんど考えていなかったと思う。こうして、片思いの彼女との接点を私は作ることが出来た。自分ができないのなら、自分を捨ててやれ。この悟りのお陰で私は自分の思いを達成することができた。この意味に於ける「自分を捨てること」を①としよう。この時点では「自分を捨てること」その②の存在については全く悟ってはいなかった。彼女に話しかけたあと、私はすごく嬉しい想いをもって帰宅した。ところが、その日のうちに、わけがわからないまま、心がまたまた重くなってしまうのだった。まるで、未来の重荷を背負わされたように。この自分の心の動きは全く予想外のことだった。

 

9月11日(日)

 頻尿対症薬はよく効くので助かる。だが別に困ったことがある。それはこのごろ背中が凝ることである。左右の肩甲骨のツボの部分と左脇腹近辺のツボが凝りまくって、小さな磁石を貼っているのだが、なかなかその凝りはおさまらない。元気な頃は、毎週かなりの距離をランニングしていたのが、腎瘻を作ってから完全に動かなくなってしまったことも原因になっているかもしれない。今日も教会学校と礼拝を終えてすぐ帰宅。体に疲れを覚えていたので、妻に3ヶ所のツボを押してもらって少し寝た。でもいまだにツボの凝りは消えない。

 さて、私が高校生の時、感じた詩の力について書いてみたい。高校二年生の時である。その頃の自分は空想の世界に生きていることが多くて、今考えても、受験を前にしながら勉強に集中することもなく、ショーもない毎日を送っていたなあと反省せざるを得ないのである。そのころの空想の一番手が片思いの彼女である。(二番手はプロレスであった)。どちらも高校へはバス通学だったのだが、学校帰りのバスで一緒になることがほんのたまにあって、彼女はこのごろ私の実家の近くに引っ越してきたらしく、降りるバス停は同じであった。私の頭の中は、学校の授業よりも帰りのバスで会えることを期待することでいっぱいだったように思う。思い込んだら命がけ‥そうした毎日を送っているうちに想いが募って生きることが苦しくなってしまった。想いが募って重い負担となってしまったのである。どうしたらこの苦しみから解放されるかを考えた。そりゃあ、普通だったら、片思いの彼女に話しかけてお友達になってもらえばいいというところだろうが、当時の私は小心者の恥ずかしがり屋で自信というものがなく、女性に自分から話しかけることなどとうてい無理であった。そこで、なんと、詩を書き始めてみたのであった。それまで、詩なんて自分から作ろうとしたことなど一度もなかったのだが、自分の心に素直に、言葉を探しながら綴ってみた。そして推敲を繰り返しながら自然な言葉の流れと、自分の心の想いをできるだけ単純に表した詩が完成した。この詩を繰り返し読んでいると、私の心の苦しみが取り除かれ、心が自由になっていることを感じた。なんと大きな詩の力よ!なんと大きな言葉の力よ!救われたと思った。自分でも人生で初めて感じた不思議な体験だった。言葉とは自分の想いを自由にし、解放する力をもっているのである。詩とはこのためにあったのか!ということを悟った青春期の出来事である。

 

9月10日(土)

 昨日は、夕食後に頻尿対症薬を飲んでみたら、これが以外に効いた。トイレに行きたいという感覚がなかなか出てこないのである。それでも昨晩は無理矢理下から尿を絞り出すと、今度は尿道付近に痛みを伴う変な感覚が生じてまた、眠れなくなってしまったのは失敗だったが。それでも24時間効いているようで、いまだにトイレに行きたい欲求があまり出てこないのは素晴らしい。この薬はうまく使えば役に立ちそうだ。

 さて、若いうちに自らの本然を見いだすことについてふりかえってみよう。私自身に関して言えば、小学校入学前から昆虫に関して感じるものがあった。それで幼い頃の一番好きな遊びは虫取りだった。近くのヤブガラシの花に集まるアオスジアゲハとか、庭の草花に飛んでくるアゲハチョウとか近くの沼を飛んでいるシオカラトンボとかが幼い私にとっては最高の獲物だった。さすがに沼を飛び交うオニヤンマやギンヤンマは自分には手の届かない遠い世界のトンボで、神からの聖なる使いのように見えた。それでも小学校の高学年の頃になってその沼で初めてオニヤンマを捕獲したときには驚きと緊張と歓びで両手が震えたことを覚えている。この昆虫好き本然というやつは、残念ながら私の3人の子どもには伝わっておらず、孫にもその気配が見られないのは残念なことである。本然は遺伝しないのかも知れない。

 また、小学校2~3年生ころ、家で初めて買ったばかりのテレビに映ったプロレスに惹きつけられた。力道山が外人レスラーに攻撃されて頭から血を流していた。私はわくわくしながらテレビ画面を注視していたら、母が「こんな野蛮なものは見てはいけません」とチャンネルを変えられてしまった。(当時はチャンネルなんて2つか3つしかなかったが)。翌日、学校の友達に、力道山はその後空手チョップで反撃して勝ったということを聞いて、その場面を見られなかったことをすごく悔やんで母とけんかしたことを覚えている。しかし、母もまた、妥協しない人で、「プロレスは野蛮で残酷だから見てはいけません」と言い続けたので、プロレスは野蛮で残酷で見てはいけないもの、人目を隠れてこっそり見るものというダーティで恥ずかしいイメージが当時の私の中にできてしまった。でも、思い出せば、小中高と友達とプロレスごっこを楽しくやっていたことや、一番楽しみなテレビ番組がずっとプロレスだったことを考えるとやはりプロレスは私の本然なのだ。そして私が25歳の時に「私プロレスの味方です」という村松友視の本がベストセラーになり、そのころから、プロレスを見ることに感じていた罪悪感が薄れていったように思う。自分も自信をもってプロレスの味方であることを宣言しようと思った。私は力道山~豊登~馬場~猪木と、日本プロレスの始まりの頃からずっとプロレスを見続けてきた。リングサイドで試合を鑑賞したこともある。印象深いのはボボ・ブラジルの黒い巨体が私の前を通り過ぎたとき、その迫力に感動したことである。(その時、ボボブラジルのお尻は私の顔より高い場所を通過して行った)。アンドレ・ザ・ジャイアントの最盛期にも試合を見に行ったが、そのときは2階席だったので、彼が巨大であることはよく

わかったが、近くでその迫力に接することが出来なかったことが惜しまれる。プロレスを見るなら1階席でプロレスラーに接近して見るのがおすすめである。さて、プロレスという本然もまた、私の子ども達には遺伝せず、孫にもまだその気配は見られない。やはり、残念ながら本然は遺伝しないようである。

9月9日(金)

 今日は大学病院に行って、主治医に今の状況を訴え、腎瘻から出てこないで、膀胱内に流れる尿に対する尿意を少なくする方法などを聞いてみたのだが、結局、良い方法というものはないとのこと。あまり効かないかもしれないが、睡眠導入剤と頻尿対症薬を試してみるようにとのことで2種類の薬をもらってきた。せめてこれらの薬が私にとっては効くことを願っている。

 さて、人生の晩年にあたり、自分の人生を振り返ってみると、学生時代までの人生と、就職以降の人生と、大きく二つに分けられるように思う。自分の生き方とか価値観が不安定に揺れ動いていたのが学生まで。就職してからあとは結婚しても子どもができてもその価値観はほとんど変化していないようだ。小林秀雄は「いろいろ作家を見ていますと、大体二十代で方向が決まって、それからあとはほかのことは考えていませんね。考えられないに違いない。僕も不思議なことだが、振り返ってみますと、二十代でこれはと思ったことは変えていませんね。それを一歩も出ないのです。ただそれを少し詳しくしているだけですね」と語っている。(人間の建設)私が学生時代に読んだブーバーの本にも全く同じようなことが書いてあったことを覚えている。恐らく人間の発達段階というものなのかも知れないが、いかに二十代までの時間というものが人間にとってその人を形作る重要なものであるかを示していると思う。具体的に考えてみると、私のブログの根幹をなしている「がん」「哲学」「宇宙」「教育」「教会」「マラソン」のうち、最初の「がん」以外はすべて私が二十代までに目覚めたものであり、しかもほとんどは学生時代までに既にその世界にはまり込んでいた。ただ「がん」だけが六十代に現れた異端のシロモノである。カラオケをやれば歌いたくなる歌はみんな学生時代までの歌。そして心にしみいる歌もみなそうなのである。若い頃に聞いていた歌はその頃の自分の心情が旋律と共に蘇ってくるので、しみじみと聞くことができる。ところが、就職後にはやった歌などを効いても当時の自分の心情が蘇るなんてことはほぼない。まあ、就職後とか結婚後は忙しくて余裕がなかったということもあろうが、それにしても心にしみる割合が全然異なるのである。思えば私が高校教師を志望した理由のひとつは、この、最も人が変わりうる敏感で不安な年代を共に過ごせるという仕事に大いなる意義を見いだしたこともある。恐らく、人間の本然はその人が20代までのうちに表出するのではないだろうか。

 サン・テグジュペリが言っていたように、人という粘土はしだいに乾燥して固くなり、一定の時間を過ぎてしまうともう形を変えることができなくなってしまうものなのかもしれない。鉄は熱いうちに打て!若者よ、自由があるうちに、乾燥して固くなる前に、自らの本然を見いだせ!