最近、自分の中に、この2種類の人生観=ある意味全く真逆の人生観が共存してる、と感じている。


「仕返しの人生」と、「感謝の人生」である。


「仕返しの人生」っていうのは、突き詰めて言うなら、自分という存在や、存在のあり方に何らかの恨みを抱き、自分の人生を“仕返し”と位置付けて生きていく、そんな人生観だ。

 


一方、「感謝の人生」っていうのは、自分が存在していること自体を感謝と受け止めて、ありがたいなぁという思いで生きていく、そんなあり方。


言葉にすれば、いかに真逆なのかが良くわかる。


だけど、、、不思議なことに、自分の中にはこれらが両方とも、存在している。


共存、と書いたけれど、厳密にいうと、同時に存在することはないような気がする。一方が現れると他方は消え、さっきまで消えていた他方がのし上がってくると先の方はまた消える、、、といった具合に、瞬間瞬間では、このどちらかが自分の中を100%占めている。


ただ、どちらが占めているか、か、時々入れ替わる。


入れ替わると、もちろん、人が変わったようになる。


いやまあ、そうはいっても、他人の目にどれぐらい違って見えるかはわからない。ぱっと見は、案外、さほど違わないのかもしれないけど、、

 

 

自分の感覚としては、心に立ち上ってくるモノの見え方とか、感情の種類が全く変わるので、あれ、って気がつく。


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「仕返し人生」の時、どんなことが起きるかというと、例えば、、、


高速道路を車で走っているとしよう。よく知らない道なので、コースの選択はカーナビの指示が頼りだ。


インターチェンジに差し掛かり、分岐が迫ってくる。さて、どっちに進むんだろう?


なのに、カーナビ音声は、何も言わない。。

 

 

おいおい!?どっちなんだ?!


、、みたいな状況において、「仕返し人生」モードの自分は、無意識の反応で、見事に(かなり高い確率で)、間違いの方のルートを選び、そちらへ進む(笑)


推奨ルートから外れたことを検知したカーナビは、新たなルートを検索し直し、、大幅に遅れた到着予定時刻を表示する。


そうなった時、仕返しモードの自分は、勝ち誇ったようにこんなふうに呟くわけだ。

 

 

「なんだよ、お前(カーナビ)の指示が悪いから、間違えたじゃないか、予定から30分も遅れるよ、どうしてくれるんだ、全く!」


、、、はい、これはほぼ実話です。全くもう。

 

 

で、、これには後日談があって。。



後日、同じルートをまた車で走る機会があった。このときは「感謝の人生」モードで、鼻歌など歌いながら上機嫌で走っていたわけよ。


インターチェンジに差し掛かる。カーナビは何も言わない、、、


、、、けれども、僕は何事もなかったかのように、正解ルートを進んでいった。

 

 

そう、その分岐は、平常心で眺めると、「メインルート」と「細い枝分かれルート」がはっきりと区別できるようなものだったのだ。


カーナビが何も言わないんだから、安心して、メインルートを道なりに進めばいい。わざわざ細い分岐に入っていく必要は、ない。


と、、普通の感覚を持っている人ならそう判断できるような、そんな分岐だった。僕自身、感謝モードでは、なんの問題もなく正解ルートを選べた。



だが、、「仕返し人生」モードの時は、その分岐が「おい!どっちへ進むんだよ!!」っていうふうに見えたわけだ。そして、「どうして指示が出ないんだよっ!!」っていうキレた感情が、湧き出てきた。

 

 

あげく、わざわざ(無意識に)間違いの方を選んで、、「おまえのせいだどうしてくれる!!」、、というわけだ。

 

 

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当然のことだが、仕返しモードのときは、身の回りでトラブルがいろいろ起きる。特に人間関係は、なかなかうまくいかない。


ただ、このモードが、ハングリー精神的な作用として働いた場合は、成功のための努力のエネルギーになることもあるようだ。


自分は10歳ぐらいから50過ぎまで、仕返しモード中心で生きてきたような気がするんだ。


その間、進学とか、仕事の面では、それなりの成功を収めた。いい学校に行って、いい会社に就職して、けっこうな給料をもらって。フリーランスのライターになってからも、仕事にはほとんど困らなかったし、自分の著書を2冊、出版できた。

 

 

でも、人間関係はなかなかうまくいかなかった。それに、ある程度成功した場合でも(例えば自分の著書が出版されたような時でも)、それを「楽しいこと」とはあまり思えなかった(ほっとしたという気持ちはあったけど)。


50代も半ばを過ぎて、心屋で心の仕組みなどを学び、いろいろ実践するようになってから、少しずつ、感謝モードの人生観を実感できるようになってきた。


それと共に、普段の生活の中に、嬉しいこと、楽しいこと、「ありがたいなぁ」としみじみ呟くようなことが、いろいろと見られるようになってきた。

 

 

そして今は、リビングから富士山が見える家にカミさんと2人で住んで、ああ人生の中で今が一番幸せだなぁなんて言葉を交わしたりしている。5年前の自分が見たらびっくりするだろう。


、、、と、そんな日々だけど、、、長年慣れ親しんだ仕返しモードに戻っているときも、いまだによくあるんだな、これが。


そんな時は、なんだかなぁ、、って思ったりもするんだけど、、、


まあ、、ありがたいことに、窓から富士山を眺めてると、またすぐ「ありがたいなー」が湧き出てくるのよ。




ありがとう〜〜