さっきアップしたブログ↓で
 



「相手のことを大切にしたい」という気持ちが、自分の心の中に徐々に出てきた、という話をした。


ちょっといい話にしすぎたっぽい気がして、少し反省している。笑


いや、嘘を書いてるわけじゃないんだけど。あれはあれで、本当に自分が感じてる話だ。


ただし、、、一つ条件があって。


あれは、自分の「機嫌がいいとき」に起きること、なのだ。


そう、機嫌がいいときは、、周りにいる人のことを大切にしよう、という気持ちが、自然に溢れてくる。


そして、そういう行動をすると、さらに自分の気分が良くなり、機嫌も良くなり、、するとさらに周りのことも大切にする、、、という好循環に入る。




ところが、、である。


きっかけはよくわからないけど、、、なんか、気がついたら不機嫌になってる、ということも、実際にはままあるわけで。


そういうときは、、人を大切にする、なんて気持ちは、、正直、まず、湧いてこない。


その代わり、、、自分の不機嫌さを人のせいにする、という、さっきのとは真逆の気持ちが、出てきたりする。


だいたいあいつがあのときあんなこと言ったから、、とか、あの話を聞かされてからなんか腹の虫が治らない、、とか。


そうやって、自分の不機嫌さをどこかに責任転嫁したくなる。


まあ、、冷静に考えれば、ほとんどの場合その責任転嫁は全くの濡れ衣で、、


単に、自分はいま不機嫌だ、というそれだけの理由で、何かを(誰かを)悪く言っているだけ。


だから、そこで悪者にされている何がしかの事情について、何が問題だろう?などと検討してもほとんど意味はない。そこには、問題など、何もない。あるのは不機嫌な気分だけだ。


そして、、、そんなときは、「相手のことを大切にしたい気持ちが出てきた」とか、「生きてるだけで感謝だよね」だとか、そういう、心が満たされていることが大前提のお話などは、琴線に、かすりもしない。


上機嫌のときだったら、ジーンと心に沁みてホロリと涙がこ取れたりしたような“いい話”が、、


全く真逆の、、は?なにそれ?みたいな塩反応になっちゃう。


こういうのはねぇ、、、まあ、どっかで機嫌を直してきてよ、というしかないんだよなぁ。。





「前提」が変わると、心の動き方がまるで変わる。


同じ人とは思えないほど、実に簡単に、あっさりと、大幅に、豹変する。


もうちょっと前提が安定してくれるとありがたいんだけどな、、、って思う。