この、なずさんのブログ記事
自分で、まさにこれと同じような話をブログに書こうって思っていたところに、この記事が流れてきて、ワオってちょっと驚いた。
なんか、すごいシンクロしてるわ。
まあ、僕が書こうと思ってたのは、またちょっと視点が違うんだけど。でも本質的には同じような話。
子供の頃、親や学校の先生から、よくこんなことを言われた。
「相手の気持ちになって考えなさい」
自分勝手じゃダメよ、相手の事情や気持ちを思い測りなさい、と、そういうお話だ。
で、、、それを踏まえて、僕はどういうことをやっていたか、と振り返ると、、
相手を「怒らせない」ように、相手の「“機嫌”を損ねない」ように、と注意しながら、いろんな行動をしていたように思う。
相手の気持ちというものを、“怒られるか怒られないか”を基準にして、選んでいたわけだ。
だから、子供の頃はいつも、心の中で、親や先生の顔色を伺っていた。友達に対しても、同じような感じだったかもしれない。
大人になってからは、職場の上司や同僚。付き合っていた女性。結婚してからは、カミさんに対しても。
こういう生き方は、もちろん、息が詰まる。楽しくない。自分でストレスを作り出しているようなものだ。
だから、いつもイライラしていた。
で、、、心屋で心のことを学び始めて、、、「自分がやりたいことを我慢しない」という方針に切り替えた。
人の顔色を見ながら生きてきた人にとっては、そのクセを剥がすための通過ステップとして、必要なことなのだろう。
人目ばかり気にしてきた人は、「自分の気持ち」が感じにくくなってるからね。「自分ファースト」生活を通じて、自分の気持ちを感じるセンサーを、磨き直さなきゃいけない。
さて、、、そんなふうに切り替えてから、数年が経ち、、、
気持ちセンサーもかなり回復してきて、実生活でも「自分がしたいことを選ぶ」がかなり板についてきたのだろう。
と、、、そこまでくると、心の中に、面白い変化が現れてきた。
「自分の気持ち」の中に、「相手を大切にしたい」「相手と一緒に楽しみたい」というような、自分だけの楽しみにとどまらない(止まりたくない)気持ちが、自然に湧いてくるようになったのだ。
自分の楽しさや幸せにフォーカスしているのだけれど、その中に、相手の存在が入ってくる。相手が楽しんでいるから、自分も楽しい、という感覚が湧いてくる。
で、だ。
ここからがちょっとおもしろいところ。
こうなると、、、相手の希望や都合に気を配るようになるので、結果として選ぶ行動は、子供の頃からやってきた「相手の気持ちを考える」というのと、少し似てくるのだ。
「相手を怒らせない」と、「相手を大切にしたい」。
どちらも、言葉で説明すれば、「相手の気持ちを考えて行動する」になるだろう。
だけど、、、心の中身は、全然違う。
前者はいつもイライラしてるんだけど、、後者は、自分の幸せな感じがどんどん広がっていく。
前者は、相手が自分の意図からズレるとイラっとするんだけど、、後者は、相手が自分の予想から外れると、「あ、それもよさそうじゃん❣️」って面白がれる。楽しめる。
こういうのは、、自分で実感して初めてわかってきたことなんだなー。