最近、自分のギター演奏が、以前とは変わってきたなーーって思ってる。


パフォーマンスの中身というより、それ以前の、演奏に臨む姿勢の部分で。


 

 

そして、、、過去を振り返ってみると、自分の「臨む姿勢」は、ちょうど振り子が振れるように、大きくあちらに行ってまたこちらに戻ってきて、というように、振幅している気がする。

 

 

というわけで、、、今日は、自分が「ギターに臨む姿勢」の推移を、時系列で振り返ってみたい。

 

 

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僕がギターを弾き始めたのは、中学生の頃。時代は1970年台の後半だ。


当初はフォークソングの弾き語りばかりだったけど、、たしか高校生の頃に「ラグタイムギター」というソノシート付きの教則本を手に入れて、、、

 

 

ソロで弾くインストギター、特にラグタイムスタイルのギターにハマり始めた。これが1980年あたりだろう。


そこから、ステファン・グロスマンや打田十紀夫さんなどの楽曲集などを手に入れては、載っている曲を練習する、というスタイルで、ギターを弾いてきた。


あるいは、楽譜がなければ、CDで聞いた曲を耳コピしたり。


いずれにしても、誰か(プロの人)が作った既存の曲を習得する、というやり方ね。


ずーーっとそんな感じでやってたんだけど、、、


2000年前後、大きな転機がやってきた。


「Acoustic Breath」というオムニバスCDシリーズに、参加する機会をもらったのだ。


これは、アコースティックギター音楽を世に広める目的で、1999年頃に始まった音楽プロジェクト。



プロアマ問わず、多くのギタリストから自作のインスト曲を募って、それらを1枚のCDにまとめ、販売する。


最終的には2006年頃まで続いて、、6枚ほどのCDが作られた。


その第1弾が世に出て、第2弾の募集が始まったとき、、、


第1弾に参加したギター仲間から、僕にも声がかかった。「やってみない?」と。


その時点で僕は、自作曲を作るなんて、やったこともなかったんだけど、、、


何だかこれはやってみたいぞ、という衝動に駆られて、、、とにかくもえいやえいやっと曲を作り、、機材を揃えて自宅で録音し、、締め切り間際にようやく、プロデューサーに提出した。


当時はまだ会社員だったし、かなり大変なチャレンジだったけど、、、とにかくも、やり通した。


すると、、、その曲は無事に採用され、、なんと、市販の音楽CDに、僕の楽曲が収録される運びとなったのだ。


その嬉しさと達成感を支えに、僕は自作曲を作り続け、、2006年までのシリーズCDには、ほぼ毎回、1、2曲の楽曲が収録された。


さらに、収録されなかった曲もいっぱいあったので、、、この頃、なんだかんだ全部集めたら、たぶん20〜30曲ぐらいは作ったんじゃないかなぁ。


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さて、、、それで、だ。



この頃の経験を経て、、自分の中で、一つの価値観が形成されたわけだ。


「自分で作ったオリジナル曲じゃないと、演奏する価値がない」という価値観だ。


これは、アーティストとか、表現をする人たちの世界においては、わりと広く受け入れられている考え方だと思う。


人真似ではなく、自分オリジナルの作品スタイルを追求し、構築し、発表していくことが、とても大事、と。


自分も、CDに自作曲が収録されるような表現者の端くれなんだから、コピー曲とかやってないで、オリジナル曲で勝負しなきゃ。いつしか僕は、自分のギター演奏について、そんなふうに考えるようになっていた。


なので、当時、出演したライブでは、ほとんど自作曲ばかり弾いていた。


、、、まあ、表現において「自分のスタイル」が大事だ、というのは、今でもその通りだと思う。


ただしそれは、、、自分の立ち位置というか、“中心軸”がずれなければ、の話だ。


どういうことかというと、、、


表現をする人にとって、「自分のオリジナル」「自分のスタイル」といったフレーズは、とても魅力的だ。


誰もがそれを渇望している。何とかしてそれを実現しようと思う。思いたくなる。


で、、その思いのあまり、どこかから“借りもの”の「自分のスタイル」を持ってくる、というようなことが、あんがいよく起きているんじゃないか、と思うのだ。


本来、自分の体の中から湧き出てきたもので形成されていくところを、他所からの“接木”みたいな形で、手っ取り早く、見栄えよく、「これが私のスタイルでございます」などと、仕立ててしまう。


いま思えば、自分は、おそらくそんな感じのことをしらす知らずのうちにやっていた。


そうやって、「自分はオリジナルで勝負してる」というふうに、思い込んでいた。


“自分らしさ”という称号が欲しいという理由だけで作り上げた、ハリボテの自分らしさ。自分オリジナルといいながら、その中身は、他者評価への羨望、つまりは他人軸。


まあ、、、、それでも自作曲をつくり始めた当初は、自分の中からほとばしる何かを感じていたかもしれない。初めから100%ハリボテってことはなかっただろう。

 

 

でも、、、ある程度の経験を積み、周囲から「自分のスタイル」への認知や評価がある程度固まってくると、、、


やがて、自分の外側に確立され始めたその「自分のスタイル」を、自分が追いかけるようになる。さらにその後には、そのスタイルに、追いかけられるようになる。。。


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そんな表現活動は、楽しくない。自分の中のエネルギーを枯渇させる。


だって、自分の中から湧き出るものが根源ではないからね。



2006年あたりから、僕はだんだん、ギターを弾くことが嫌になっていった。


オリジナル作りも、ライブ活動も、徐々に先細りになって、、、やがて、何もしなくなった。


その後、、何回かちょっと元気が回復して少し活動しては、またやめる、、という感じのことを繰り返していたんだけど、、、


今年に入ったあたりから、つきものが取れたように、とてもスッキリした気分で、演奏できるようになったのだ。


何が変わったのかというと、、、


「オリジナルじゃなきゃダメ」という発想を、やめたのである。

 

 

音楽は、「音」を「楽」しむもの。楽しむためのどんな音楽を奏でるか、といういう点において、オリジナル曲と既存の曲に、本質的な差はないだろう。

 

 

だったら別に、いわゆるコピー曲、自分が敬愛するミュージシャンが作った曲を演奏して楽しんだって、いいじゃん。



ある時から、そんなふうにふっと気持ちが吹っ切れた。「オリジナルでなきゃ」という呪縛が、ぽこっと、外れたのだ。

 

 

そしたら、、、なんだかいろんなことが、笑っちゃうほど楽になった。


youtubeなどで「この曲弾きたい」っていうのを探して、コピーするのが楽しくなってきた。



従来、いつもひどく緊張して、重苦しい気分で臨むことが多かったライブ演奏も、素直に、楽しめるようになった。


そして、、先月、ついに、人生初のソロライブを開催するに至った。


すごく楽しかった。全時間の半分ぐらいを、喋って、笑って過ごした気がする(笑)


こんなふうにして、あたらしい世界が開けてきた気がするのだ。


あの呪縛は、、、何だったんだろうな?


そして、、、


もし自分オリジナルの音楽世界というものがあるとしたら、、、


今、自分がやっと手にした、「楽しく奏でる」という音楽体験を積み重ねた先に、いつしか生まれてくるものなんだろう、と思う。



 

 


 

9月11日(土)には、2回目のソロコンが既に決まっている。


ライブハウス「国分寺クラスタ」のスケジュールページ


とても楽しみだ。