前に「ヒモトレ」フェスでご一緒した、広島「バランスからだ塾」のやすたまさゆきさんが、Facebookでこちらの記事を紹介されていた。2、3日前のことだ。
 


こちらの廣瀬選手を、やすたさんは中学生の頃からご存知だという。おそらく、やすたさんの元で、子供の頃からからだの感性を磨いたことが、現在のプロ活動を支える基盤となっているのだろう。


この廣瀬選手、おもしろいことに、1960~70年台に作られた旧式のパターを愛用しているという。


当時のパターは、ミートポイントが非常に狭く、現代のクラブと比べたらミスヒットしやすいらしい。だから、現在のプロツアーで使う選手はほとんどいないという。

 

だが廣瀬選手は、「ミートポイントが狭いから、集中しないといけない。それがいいんです」と言って、このクラブを使っているのだそうだ。



それで、、ですね、、



この記事を読んだとき、僭越ながらワタクシは、「ああ、これは、自分も一緒だな」と思った。


 

今日は、その話をしたい。

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僕は、Gibson社の戦前もののギターを愛用している。


現在、所有するギターは9本ほど(前より少し減った)。そのうちGibsonが7本。戦前のギブソンが、5本。


まあ、ここまで偏ったラインナップを所蔵している人も、世の中、かなり珍しいと思う。


時々、「どうして戦前Gibsonなの?」と聞かれる。まあ、「音が好きだから」とかざっくりと答えるんだけど、、


自分でも、それだけじゃ、あまり的を得た答えになってないな、と思っていた。


だって、戦前のGibson以外にも、いい音がするなーって思うギターは、たくさんあるから。Martinの戦前ものだって凄まじくいい音だし、現代のギターにも、素晴らしいものはいくらでもある。


だけど、自分が弾いて、あ、これだ!って思うのは、なぜかGibsonばかり、なのである。


これ、なんなのだろう?って、自分でも少し、不思議だった。


それが、先に挙げたゴルフの記事を読んで、、「ああ、そういうことかー」って、なんとなく、腑に落ちた気がしたのだ。


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Gibsonという楽器は(特に昔のGibsonは)、先程の旧式パターとちょっと似ていて、、


いい音が出る、押弦・撥弦のミートポイントが、かなり狭い。


うまくそのポイントを抑えて弾けば、魂をくすぐられるような色っぽくもせつない素敵な音色が出る。


でも、その音が出るための許容範囲は、極めて狭い。


同じぐらい古い時代のギターでも、例えばMartinはもっと弾き手に寛容だ。少しぐらいポイントがずれても、けっこういい音で鳴ってくれる。


さらに、、最新の製造技術で作られた現代のギターは、もっともっと寛容なものが多い。


寛容な方向に性格づけされたギターが、量産されている。


極論すれば、どんな弾き方をしても、いい音で鳴ってくれる。


その方が、音色のバリエーションも、たやすく変化させられる。


道具としての操作しやすさや安定性、ミスの少なさ、といった観点から見たら、昔の楽器とは比べものにならないほど使いやすいわけだ。


それはもちろん、悪いことじゃない。


だけど、、、僕は、そういうギターを、「欲しい」とは、あまり思わないのだ。

 

 

そうではなくて、どちらかというと、ミートポイントのレンジが狭くて、一種類の音しか出ないような、、


ちょっとクセの強い楽器の方に、なぜか、惹かれる。

 

合理的に考えれば、ミートレンジは広い方が便利なのに、なぜか、狭い方が、好き。


その方が、感覚的に、“しっくりくる”。


弾いてる実感がある、というか、自分が“音楽してる”という状態に、気持ちよく入れる、そんな感じがあるのだ。


で、、、その辺の感じ方が、先の記事で紹介されていたゴルフの廣瀬選手と、似てる、と思った。


彼女は多分、鍛錬的な意図で難しい道具を無理に使っているわけじゃない、と思う(大リーグ養成ギブスじゃあるまいし)

 

そうではなく、理屈で考えたら使いこなすのが難しい道具のはずなのに、彼女にとってはおそらく、そっちの方が、しっくりくるのだ。


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ギターを弾くときは、右手の指先で弦を弾くわけだが、その時、指の皮膚や爪と、弦の間の「角度」「圧力」「リリース速度」などを変化させることで、いろいろな音色が出る。


だから演奏中は、指先に意識を集中して、弦の接触感覚や圧迫感、リリーススピードなどを、一音一音、モニタリングしている。


その感覚と、耳で聞く音の鳴り方を瞬時に比較して、弾き方をコントロールしていくわけだ。

 

 

ミートポイントのレンジが狭いというのは、角度や圧力の許容幅が狭くて、ちょっと動かすと音が敏感に変化してしまう、ということだろう。


だからコントロールが難しい、となるわけだけれど、、


実はそれは、、コントロールを楽しむには好都合、というところにもつながってる。

 

 

これは、車のハンドリングに例えると、わかりやすいかもしれない。


いわゆるスポーディーな味付けの車は、ハンドル操作やサスペンションの硬さ、ブレーキなどがダイレクトで、ドライバーの操作にキビキビと反応するように設定されている。

 

そうすることで操作が難しくなる面もあるが、、、だからこそ乗って楽しい「Fun to Drive」感も高い。


街乗り用のファミリーカーではあじわえないような、キュンキュン加速してキュキュッと曲がる感覚が、楽しめるわけだ。


それと同じようなことが、Gibsonの古いギターや、60年代の古いパターでも、言えるのではなかろうか。


操るには少し技術が必要だけれど、操作してる感がダイレクト故に、楽しいのだ。


安定的にうまく弾くことより、そっちの方が、僕にとっては大事なんだろう。


と、、、そんなふうに考えたら、自分のGibson一辺倒の嗜好が、なるほどーーっと理解できたような気がした。