ちょっと日が経ってしまったけど、、、

 

 

10/25(日)、からくり道場と同日開催の、ヒモトレワークショップ@からくりマルシェ(仮)。

 

ヒモトレ初体験の心理カウンセラー、ミユが、ステキな報告を書いてくれた。


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だけど道場の前に

からくり常連まーくんによる

ヒモトレ講座をやるということで

腰痛対策に

えいやっと行ってみた。

 

 

そしたらすごい楽しくて

居心地よくてね~~
 

 

なずさんのマスターやスクールを

卒業された方が多いせいか

 

はじめましての方も

ぜんぜん違和感を感じなくて

 

暖かく

だけど押しつけがましくない

絶妙な心地よさ。

 

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こんなふうに受け取ってもらえたのは、やった側としても嬉しい限りである。



で、、、この「押し付けがましくないけど心地いい」みたいな距離感こそ、まさにヒモトレの持ち味だと思うのだ。




今回は、参加者の大半がヒモトレ初体験だったこともあり、基本的なヒモトレ体験(体感)を味わってもらうことを、最優先にした。

なんか知らんけど、ヒモを巻くと、体の中で何か不思議なことが起きている。

 

そしたらカラダが楽に動くし、なんだか気持ちいい! 何これ?!

という感覚を、味わってもらいたい。それを一番の目標に設定した。

 

 

 

 

では、そのために、何が大切なんだろう?

 

 

 

セミナーとかワークショップという場で講師役をする場合、僕らはつい、何か有益なものを「伝えよう」と考える。

 

まあ、受講料をいただいて集まってもらうのだから、ある意味これは、当然のこと、ではある。

 

 

 

 

だけど、、、少なくとも、お伝えするものが「ヒモトレ」である場合、この「伝えよう」という意識は、むしろ邪魔になることが多いんじゃないか。僕はそんなふうに思っている。




「体感」とは、相手(この場合はWS参加者)の体の中で沸き起こる現象だ。

それが沸き起こるための素材や原動力など、必要な要素は、すべて、あちらのカラダの中に備わっている。

こちらから伝わっていくのは、「言葉」に代表されるような“情報”なわけだけれど、、、

 

それはあくまでも、あちらのカラダの中で起きる現象を誘導するためのきっかけでしかない。

 

適当なきっかけを、適切なタイミングでなげかければ、、、あとはあちらのカラダが、自然に、自発的に、グワーーっと反応を起こす。

 

そうなるように、初めから、なっている。カラダは、そうなっているのだ。

 

 

 

 

いい感じの反応が起きるために一番大事なのは、「カラダはそうなっている」という信頼感だ。

 

 

 

 

だけど、、、「伝えよう」という意識は、ともすればその信頼感をバリバリと踏み超えてしまう。

 

相手の反応の中に直接手を突っ込んで、グリグリ介入するようなことを、ついやりたくなってしまう。

 

これは、ココロ領域の言い回しでは「コントロール欲求」などと呼ばれるやつ。

 

本来、相手の領域のところに踏み込んで、自分の思惑通りに操作したくなる欲求だ。

 

僕らは、自分が「何かいいものを手にして」いて、それを「人に伝えたい」と思った場合、、、

例えそれが愛や善意を出発点にしたものであっても、、、(いやむしろ愛や善意が出発点だからこそ、かもしれないのだが、)

 

しばしば、「コントロール欲求」を、思いっきり発動させてしまう。

 

 

 

 

 

コントロールを手放して、相手の体内に備わった仕組みを信頼する。

ヒモトレを伝える上では、こんなあり方がとても大切になる。

 

 

 

 

そしてこのあり方こそ、まさに自分がヒモトレを通じて培ってきた実感そのもの、なのだ。

 

 

 

それがそのまま、その如く伝わった(=相手の体の中でそういう実感を呼び起こす現象が起きた)のだとすれば、、



いや、ほんと、嬉しい限りである。


 

 



先月の『ヒモトレ介護術』出版記念ZOOM対談イベントで、禅僧の藤田一照さんが、

 

 

ヒモトレを「部屋に飾られた一輪の花のよう」と例えてくださった。


何かを押し付けるとか、強要するといった圧迫感は何一つない。


もしかしたら、そこにあることに気づかれないかもしれない。


でも、、それがそこにあることで、人の心がフワッと明るく、晴れやかになる。