僕がやっているライターというお仕事は、「取材」→「執筆」という2つのステップで成り立っている。



まず「取材」で、人の話を聞く。最低でも1人。時に2人、3人と話を聞いて回る場合もある。


取材の時はたいてい、会話を録音する。

 

そして、「執筆」に際して、最低でも1回は聞き返す。2回、3回と聞くこともある。




多くの場合、、、聞き返すたびに、新しい発見がある。

 

「そうか、この人は、これが言いたかったんだな」と、気づくわけだ。

 

 

 

 

これは、逆にいうと、、

 

最初の会話(取材)の時は、僕はそこに気付いていなかった、ということなのである。

 

 

 

 

録音(=最初の会話)を聞き返して気づくのだから、相手は初めから、そのことについて話している。
 

でも、録音の中の自分は、それを、全く聞いていない。キャッチしていない。

相手の言葉に全く気付かず、堂々とそこをスルーして、先へ進んでいたりする。

 

 

 

 

ホント、笑っちゃうぐらい見事に、スルーしている。

 

 

 

 

こういうのを発見するたびに、、、

 

 

 

 

「ああ、人間はホントに、自分が聞きたいことしか聞いてないんだなぁ〜」って、実感する。

 

 

 

 

以前は、録音した取材のやりとりを聞き返すのが、苦痛でしかなかった。

吐き気がするほど、聞くのが嫌だった。

 

どうしてそんなに嫌なんだろう? って考えた時、、、

 

 

 

 

自分がそうやって、思い込みや先入観にしばられて、相手の言うことをきちんと聞き取れていない、という現実と向き合うのが嫌なんだな、、と思い至った。

 

 

 

 

若い頃は、取材で全く録音をしなかった。どんな長いインタビューも、手書きのメモだけでこなしていた。

 

もちろん、今よりずっと記憶力が良かった、という事情もあるけれど(笑)、、

 

それ以上に、もし録音して聞き返したら、なんだか記事が書けなくなるような気がしていた。

 

 

 

いま思えば、当時は、取材の場で「そうか、こういうことか!」ってパッと感じたそのインスピレーションに沿って、ババババっと執筆してしまう、というやり方で、記事を書いていたのだと思う。

 

 

 

これも、ノンフィクション系の記事を書くときの、一つの有効なやり方ではあるが、、、


 

自分の思い込みを外し、もともと持っている世界観(思考の枠組み)の外側に出るのは、このやり方ではなかなか難しい。

 

外側の情報を、初めから、フィルターで除外してしまっているからだ。

 

録音を聞き返すと、その「除外してる」様子が、ありありと記録されている。

 

 

 

だから、以前は、それを聞き返すのが苦手だった。

 

 

 

 

 

今は、笑えるようになった。笑

 

 

 

「あ、またここも聞いてないわ、ホンマ、あかんなぁ、笑」って、自分で突っ込めるようになった。

 

 

 

そしたら世界がグングン広がり始めた。人との付き合い方も、ずいぶん変わった。


 

以前は見えていなかったいろんな面白いことが、向こうから飛び込んでくるようになった。

 

 

 

 

どうやって、笑えるようになったんだろう?

 

まあ、歳をとって人間が丸くなった、というのもあると思うが(フィジカルにもだいぶ丸くなったし、、笑)、、、

 

 



以前はね、ココロのどこかに「録音したら負け」みたいな感覚を持っていて、、意地でもメモだけで記事を書くんだ、それが俺のプライドだぁ〜〜みたいな方向に突っ張っていたような気がする。



その「突っ張った感じ」に関して、「これって、なにと戦ってるんだろうね?」って、ふっと少し傍観者的に見られるようになった瞬間があった、そんな気がするんだ。

 

 

 

「負けるが勝ち」的な感じに目覚めた、といいますか。



そしたら、いろんなモノの見え方が、変わり始めた。



今もまだ、変わってる最中だと思う。