いまはもう、こういう気持ちが出てくることはなくなったんだけど、、、

ちょっと前、少なくとも半年前ぐらいまでは、こういう不思議な心理が自分の中にあった。

 

 

 

人と、何かやりとりをしてて、その中で、相手のために何かをしてあげた、としよう。

 

そしたら相手が、「ありがとう」に続いて、こんな言葉を言ってきた。

 

 

 

「こんなことしてくれるなんて、優しいね〜」

 

 

 

まあ、通常、これは、褒め言葉だよね。



だから、こんなふうに言われたら嬉しくなるのが、普通だと思う。

 

 

 

 

だけど、、、こんなふうに言われたとき、なぜか僕のココロの中には、むかっと腹が立つ気持ちが湧いていたのだ。

 

 

 

 

「優しいね」と言われるのが、嫌いだった。

 

 

 

 

いまはもう嫌いじゃないよ。これから説明するココロの中のからくりに気がついて、「あーそうだったのかー」って思ってたら、だんだん気にならなくなったから。




でも、半年前ぐらいまでは、間違いなく、嫌いだった。




ちょうど半年ぐらい前、、、仲の良い友達からたまたま「まーくん、優しいね〜」って言われたことがあって、、、

 

 

 

で、むかっとなって、「お前に俺の何がわかるんだ!」って思わず切り返してた。笑



相手もびっくりだよね。優しいね〜って言った相手がいきなりキレてくるなんてさ。笑



自分でも、さすがにびっくりした。笑



で、、、これは何がどうなってるんだろう??って考えたわけよ。


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「優しいね」って言われたら、めちゃ腹が立つ。

これは、「優しい」という言葉に対して、自分の中で、何か通常とは違う意味づけをしてるから、起きている現象だろう。


だから、この「優しい」という言葉を、自分が、主観的に、どう捉えているのかを観察するのが、解明への第一歩となる。
 

 

 

 

それでは、自分が人に「優しくする」のはどんな時で、その時自分の心の中にはどんな気持ちがある? と考えてみた。



すると、、、とても面白いものが、見えてきた。



自分が「優しくする」相手は、必ずしも、好意を抱いている相手ではない。



いや、好意が発端となるやさしさもあるとは思うんだけど、そちらの振る舞いのことを、僕はたぶん「優しくする」とは呼んでいない。そういうのは「好意」であり、「親切」である。



「優しくする」という言葉は、僕の中ではなぜか、それとは違う文脈に結び付けられているのだ。




典型的には、「怒らせたくない」相手。

 

 

こいつを怒らせたくない。不機嫌にしたくない。そうなったら僕が困る。だから、優しくする。

 

 

優しくすることで、怒りや不機嫌さが相手に湧いてくるのを、回避しようとしている。

 

 

 

 

つまり、僕にとっての「優しさ」とは、相手が自分にとって都合の悪い状態へ行かないようにコントロールするための手段、なのである。

 

 

 

なんでこんなひねた解釈にたどり着いたのか、そのルーツはよくわからない。今も、よくわからない。

 

ただ、事実として、自分はどういうわけか、心の奥で、そんなふうに思っていた。

 

優しさとは、相手をコントロールしようとする、こざかしい術。

 

 

 

 

 

そして、そんなことだから、、「優しさ」を発揮するときの自分の気持ちは、決して、心地よいものではない。

 

 

むしろ、相手が怒ったら嫌だ、怒ったらどうしよう、という不安や不信感でいっぱいになっている。

 

 

その不安が実現されたらいやだから、優しくする。

 

 

 

 

 

なんでそんなふうに思ったんだろうね〜不思議だ。

理由はよくわからないけど、、、とにかく、そういうことだったのである。

 

 

 

 

だから、、誰かが自分に「優しいね〜」なんてニコニコしながら言ってくると、、、

 

 

 

なに能天気なこと言ってんだ、俺がどんな思いで人に優しくしてるかなんて、お前、なにもわかってないくせに、、、という感じの、ひねくれた気持ちが湧いてくるのである。




不思議なことしてたな〜〜笑



ふと思い出したので、書いておいた。



こんなことしてる人って、僕以外にもいるんだろうか?



もし「共感できる!」って思った人がいたら、コメント欄に書き込んでね〜笑