今日のお題はこれ
「うまくやろう」を手放したら、なんかうまくいくようになった
大事なことなので、大きく書いておくね。
これは、僕がいろんなジャンルで実感してきた、経験則。
物書きのお仕事でも、ギタリストとしての活動でも。
人間関係もそう。そういえば、「逆立ちがうまくなりたい」のような状況でも、そうだったな。
「うまくやろうと思う意識」っていうのが、何においても、驚くほど足を引っ張ってるんだよね。いやホントに。
例えば、ライブハウスでギターを演奏する機会があるとしよう。
そりゃあ、せっかくの機会だし、いい演奏がしたいと思う。だから、当日に向けて練習する。
それ自体は、まあ、誰でもやることなんだけど。
だけど、、、演奏日が近づくにつれて、緊張感がどんどん高まっていき、、
当日は、朝起きた時から吐き気を感じるほど、ガチガチになってる、、、なんてことが、以前の僕は、よくあった。
取り立てて大きなステージではなくとも、だ。せいぜいキャパ10人ぐらいのライブハウスの、ちょっとしたイベント的ステージでの演奏でも、ものすごく緊張していた。
実は、けっこう最近まで、そんな感じだった。
去年のある日。ライブ直前に、やっぱりそんな感じでガッチガチになって指が震えてきたりして、、
あぁ、こりゃあまともな演奏ができそうにないなぁ、、、みたいな気分になった時、、
ふと思いついて、カウンセラーをやってる友人にメッセを送った。めちゃガチガチだ、もうダメ、、みたいな感じで。
そしたら、こんな返事がきた。
「うまくやろう、は他人軸。
今のまーくんは、人目を気にしてるんだよ。
お客さんはどうでもいい。自分の中の心地よさに、意識を集中して。」
あ、そうか、オレはいま、人目を気にしてるのか。
この言葉が、ストンとふに落ちた。
音楽をやってる人(プロの演奏家)は、よく、「お客さんに喜んでもらえるようないい演奏をしたい」みたいなことを口にする。
これは、料金をもらって人前で演奏するのだから、ある意味当然のことなんだけど、、
「ココロのあり方」という観点から見た場合、、こういう考え方は、他人軸=「人目を気にする」というスタンスと、容易に混線してしまう。
特に、、普段から他人軸的なものの考え方でを採用しがちな人が、「うまくやろう」「喜んでもらいたい」などと考えると、、、
まあ、ほぼ確実に、自分を見失う。
はい、僕もずーっと、そこにいたわけですね。
「いい演奏をしたい」「喜んでもらいたい」といった表現では気づけなかったその落とし穴が、、
「人目を気にしてるんだよ」ってはっきり言われたら、「ああそうか」と、ストンと、見えた。
で、、そしたらね、、笑っちゃうほど肩が楽になって、、、
その日はとてもいい演奏ができた。
まあ、ミスもあったけど、ノリが抜群に良かった。何より、自分がとても、楽しめた。
そして、、、その日以降、ライブに向けて、以前のように極端に緊張することは、なくなった。
つまり、、
「うまくやろう」を手放したら、「人目を気にする気持ち」が抜けていった
ってことなんですわ。
最初にも書いたけど、、これ、、ほんと、いろんなことに当てはまる。
もう一つ例を挙げようか、、、
我が家に、ボディバランスボードっていうものがあるのね。
小さなシーソーみたいなものの上に両足で立って、バランスを取る。
これはもう、10年ぐらい前に撮った動画だな。。
で、、、これに、時計を見ながら、乗るわけですよ。
何分乗ってられるかな、って感じで。
すると、、、秒針がもうちょっとで一回り、っていうあたり、50秒〜55秒ぐらいになってくると、、バランスがグラグラして倒れそうになる。
で、、まあそこはなんとか乗り越えて、仮に、1分は無事クリアできたとするでしょ。そしたら、そこからしばらくは平安なのね。
でも、、、1分50〜55秒ぐらいになると、、、またぐらつきだす。。
そして、うまく2分をクリアできるとまた落ち着いて、、、、2分55秒ぐらいから、またグラグラ、、、
、、、みたいなことを、笑っちゃうぐらい見事に、繰り返す。
これは、どう考えても、、
「もうちょっとで大台だ、うまくやれよ!」
っていうココロの声に反応して、、バランスを崩しているのね。
うまくやろうとすると、うまくいかなくなる。
カラダに任せておけばいいのに、、つい、うまくやりたくなる。
都合よくコントロールしたくなる。いい結果を出したくなる。
そうやって、、、自分軸を見失うから、、バランスが崩れる。
「うまくやろう」から遠ざかるほど、結果として、うまくいく。
心に留めておいてね〜