親戚のおばちゃんで、ちょっと苦手な人がいたのね。
おしゃべりで世話好きで、気のいい人なのよ。
でも、なんか、相性が合わない。
その家へ遊びに行くと、もう大騒ぎで、いろいろ出してくれる。
さあこれも食べなさい、こっちも美味しいよ、遠慮しないで、ほらほら。
ありがたい、という気持ちもあるけど、本音で言うと、ちょっと鬱陶しい。
帰りにはお土産もいっぱい持たされたりして。
でも、、それも、なんというか、ちょっと、イマイチな感じのものが多いんだよね。笑
いや、もらっといてその言い方があんまりなのはわかってる。
でも、、まあ、せっかくだからありがとうって言ってもらうけど、正直、そんなに嬉しい感じではない。
、、、っていう感じで、悪い人じゃないのはわかるけど、なんだかなぁ、、って、ちょっと苦手意識があった。
それが、、、あるとき。 自分もけっこう大人になってからね。
どんなきっかけだったかは、よく覚えてないけど、、、
ふと、、こんな思いが、ふっと降りてきた。
あれ、、あのおばちゃん、、僕のことを、、大好き、なんじゃないか?
なんかね、、ふと、そう思ったのよ。
それで、、そう思ったら、それまで鬱陶しいとしか思えなかったいろんな行動が、
ああ、、大好きだからやってるんだ、そっかそっかぁ、、って、スーッと、見え方が変わったの。
まあ相変わらずめんどくさいとか、センス悪いなーとか、そういうのはあるんだけど、
でも、、そこまで嫌じゃない。
っていうか、、ああ、あのおばちゃんも、なんか可愛いなー(笑)、、みたいな感じ。
それまでは、そのおばちゃんの行動を、目に見える表面的な部分だけでしか捉えていなかった。
すると、うっとうしい、めんどくさい、かえって迷惑、、みたいな反応しか湧いてこなかった。
それが、何かの弾みで(笑)、目に見える行動の向こう側にある「気持ち」と、接点ができてしまったわけね。
そしたら、それだけで、、、目に見える行動の意味合いが、全く違って見えるようになってしまった。
これは、「そう思わなきゃ」って自分に言い聞かせたとか、動機を読み取る努力をしたとか、そんなのじゃなくて。
本当、何かのはずみで、ふと、そんなふうになってしまったのよ。
こういうのって、、面白いなーって思うのよ。
人間は、身の周りのあらゆる物ごとを、色眼鏡で見て、意味付けしてしまう生き物です。
「偏見」や「先入観」のオンパレード
偏見なしにモノを見ることは不可能、と言っていいほど。
そこには、ネガティブな偏見もあれば、ポジティブな偏見もある。
あらゆるものは、どちらかの方向に偏って、解釈されているんだろう、おそらく。
と、いうことは、、、
自分がいま、ネガティブな印象を抱いて見ているものは、、
おそらく、本当のところは、そこまでネガティブじゃない。
実際はたぶん、もっとニュートラル。もしかしたら案外ポジティブかもしれない。
でも、ネガティブさをうんと増幅する色眼鏡で見ているから、ネガティブに見えてる。
何かのはずみで違う色眼鏡に付け替えたら、全く違って見えるはず。
もし、色眼鏡を付け替えたら、どんなふうに見えるんだろう?
そんな仮定をした上で、少し想像してみる。
もし、あの人が実は私のことを好きなのだとしたら。
もし、私がみんなから愛されているのだとしたら。
もし、私がいるだけで、みんなが幸せになるのだとしたら。
そう、仮定の上の妄想でいいので。
っていうか、どうせどっちにしたって、偏見なんだから。
だったら、仮定してもいいじゃん、別に。
、、ぐらいの気楽さで、もしもそうだったらどんな感じになるんだろう、って、ちょっとだけ、イメージしてみる。
もしかしたら、いま自分がいるのとは全く違う世界の空気が、ふっと感じられる、かもしれない。