1週間ぐらい前に、しれっとブログのタイトルを変えた。
「思いのままに 生きてみる」
自分にとっての“お題”が、ピタッと定まったような気がして、気に入っている。
「思いのまま」
心の赴くままに、去来する想いにしたがって、生き方を決めていく。
そんなふうに自由に、何にもとらわれることなく、生きる道筋を決めていけたら気持ちいいだろうな、って、ずっと思っていた。
そういうあり方に憧れるのは、今の自分の生き方(生きる選択)が、いろいろなことにとらわれていることの裏返し。
例えば、人目を気にするとか。
世間体とか、常識とか。
見え、意地、嫉妬。優越感や劣等感。失敗したくない気持ち。称賛されたい気持ち。
いろんなものが「心の赴くまま」の中に紛れ込んでしまって、自分の“本当の気持ち”が見えなくなっている。
そういう囚われから抜け出して、純粋な、自分の気持ちに沿って生きられるようになりたい。
「思いのまま」って、そんな感じなんだろう。ずっと、そういうイメージを持っていた。
だけど、さ、、、
それも結局は、、
自分の気持ちの中身を、「ここは純粋な部分、これは不純な夾雑物」などと分類して、
不純なところだけを取り除こうとする行為であり、
自分の外側にある何らかの判断基準(正解、不正解)に則って、自分の心の中を評価する、というところへと、つながっていく。
それって、、そこまでいけばわかるよね。それはもう、「思いのまま」とは言わない。
全く別物だ。
何かの気持ちがココロに湧くたびに、「これって「思いのまま」だろうか? それともそれ以外の、何か間違ったやつ?」っていちいち自問し続けるような、、
端から見たら、ちょっと大丈夫か?って感じ。かなり、ヤバいよね。
でも、、、なまじ「ココロの仕組み」的な知識が少し頭に入ってくると、、
こういう妙なところに、大真面目で、ハマりやすい。
、、、というか、たぶん、そういう妙なところにハマるタイプの人がいる、ってことなんだな。僕みたいな人ね。笑
まあ、たぶん、このブログを読んでくれている人の中にも、そういう人が多いんじゃないかと思ってる。類は友、っていうし。
「思いのまま」って、そんな面倒くさいものじゃない。そんなはずは、ない。
人目だろうが、世間体だろうが、嫉妬や劣等感、さらには自分を卑下する気持ちでさえ、、、
自分のココロの中に湧いた気持ちは、全部、自分の「思い」だ。
それがどんな動機から出たものであろうと、どんなに不快な感情であろうと、
「私はいま、こう感じている」というところに、本当も、嘘も、ない。
何かそういうのが出てきたら、、
全部ひとまとめにして、ごっくんって飲み込んで、はい、これが私です。
飲み込んだ“それ”が、ズイズイズイっとお腹の下の方まで降りて行ったら、、、
お臍の下あたりをすりすりって軽くさすって、、はい、もうカラダの一部になりました。おしまい。
そんな感じで、受け入れる。
「思いのままに、生きてみる」
まずは、そんなところから始めよう。