このブログ、今年の4月以降はぱったりと更新が途絶えていたのに、今月に入ってちょこちょこと新しい記事が上がるようになった。
今日は、その辺の心境の変化について、ちょっと書いてみたい。
端的に言うと、、
以前はやっぱり、「どうすれば「いいね」がたくさんもらえるのか」みたいなことを、無意識のうちに一生懸命考えていた。
で、、それがじわじわとプレッシャーみたいになって、書くのがだんだんしんどくなり、つまらなくもなって、書く意欲がぜんぜん沸かなくなってしまった。
それで、「じゃあ、自分の気持ちが「書きたい」って思うようになるまで、書かない」と、自分の中でいったん決めたわけですわ。
いわば、断捨離のブログ版。“断ブログ”。
それがちょうど4月ころ。世の中がコロナで緊急事態で自粛自粛になっていたのと、同じようなタイミングだった。
「いいね」が欲しい、っていうのは、まあ、誰の心の中にもある、ごく自然な心理である。
根っこにあるのは、人から褒められたい、認められたい。あるいは、人を喜ばせたい、人の役に立ちたい。そんな気持ち。
誰かが、自分の投稿に「いいね」をつけてくれることで、そういった気持ちが軽く満たされる。
そしたら、嬉しい。
これはまあ、当たり前のことだ。
でも、、その「いいねが欲しい願望」が徐々に肥大化し、やがてブログとかを書くモチベーションの大きな部分を占めるようになると、、、
自分の中の何かが、ずれ始める。
「自分軸」が希薄になって、「他人軸」中心へとズレちゃうわけだ。
これはあらゆる物事に共通だけど、、
もともとどんなに好きだった行為でも、こんな風に軸がずれてしまうと、、
「楽しい」という気持ちが、どんどん失われていく。そして、やる気が下がっていく。
僕にとって、「文章で何かを表現する」っていう行為は、もともと仕事で長年やってきたこと。
だから、自分にとっては「得意なこと」の代表格だと思ってる(まあ、ものかきのプロですから)。
そして、好きなことでもある。子供の頃から、作文とか感想文とか、エッセー的なものを書くのは、けっこう好きだった。
でも、、、そういう「好き」で「得意」なものほど、「だったらそれを使って人の役に立ちたい」とか、「人の心をゆさぶるような素晴らしいブログを書いてやろう」とか、そんな感じの“野望”を抱くところにも、ハマりやすいわけだ。
「好き」であり「得意」なのだから、自分の意識としては、「自分が好きでやってるんだよ」というつもりなんだけど、、
むしろ、案外、「他人軸」にハマりやすいのである。
で、、じゃあそれが今、今はどんな心境になったかというと、、
「書かない」って決めたときの気持ちは、そのまま残ってる。
「別に、書かなくてもいいや」って。
でも、「まあ、かきたいことがあれば書いてもいいや」とも思ってる、って感じかな。
自分はものかきのプロだし、ブログももうなんだかんだ10年以上続けてきた。
「だから、書けるはずだ」っていう気持ちが、ずーっと心の奥にあった気がする。
いや、単に「書ける」だけじゃない。「人を唸らせるようなものが書けるはずだ」って思ってきた。
その裏返しとしての、「なのに、書けないなんておかしい」という気持ちが、ずーっとくすぶっていた。
そういうのが、何処かへ消えた。
「いいじゃん別に書かなくたって」
そう思ってから、ポツポツ書けるようになってきた。そんな気がする。