先日のからくり道場でやらせてもらった、「ヒモトレ」のレッスン。


からくり道場主宰の心理カウンセラー、ひらいなずさんを始め、当日参加していた皆さんが、ブログで、興味深い感想をいろいろ書いてくれている。

 

 

なずさん。メンタル系の分野における、僕の師匠です。

アシスタントのちかさん。東洋医学の専門家で、心理カウンセラー。

アシスタントのしゅうくん。カメラマンでもあります。

受講者のさとちゃん。カウンセラーで、トランペッター。この日は九州からの参加。

受講者のふみみ。宇都宮でカウンセラーとして頑張ってます。


それぞれの視点からの考察や気づきがいろいろあって、とても面白い。

 

みなさん、ありがとうございます〜



このみなさんは、全員、心理カウンセラーなので、ヒモトレによって浮かび上がる「身体のバランス」というテーマを、自然に、ココロのメカニズムとの相関で捉えている。

 

 

例えば、なずさんはこんなふうに書いてくれている。

 

___________
 

一本のヒモで身体のバランスを整える

 

今までまっすぐだと思っていたのが

ちょっと傾いていたことに気が付くわけで

 

だから、最初は違和感

まっすぐなのに、傾いている感じがする

 

そこを、何度も何度も

ヒモを通じて

まっすぐな感覚を身体に伝えていく

 

心も一緒なんだな

「違和感を感じる」ことが始まりなのだ


___________

 

うーむ、、、なんか、深い。

 

 

それで、、

 

 

この「バランス」と「違和感」という関係が、ちょっと面白いな、と思ったので、今日はここを少し、掘り下げてみたい。

 

 

たぶん、ほぼ全編たとえ話、みたいな、つかみどころがわかりにくい話になると思うので、、、

 

 

まあ、気楽に読んで、なんとなく、ふーんって言ってくれたら嬉しいです。

 

__________

 

 

バランスについて考えるとき、僕は頭の中でよく、こんな動作をイメージする。

 

 

これ、何か名前ついてるのかな? 子供のころ、放課後の掃除の時間によく、ほうきやモップをこんなふうに手のひらの上に立ててバランスをとって、遊んでいたものだ。

 

 

まあ、ここでは仮に、「バランス棒遊び」と呼ぶことにしよう。

 

 

バランス棒遊びにおいて、手のひらの上に立てられた棒は、決して、一瞬たりとも静止しない。

 

 

この棒は、全く固定されていない。だから常に、どちらかの方向へ倒れて行こうとする。

 

 

その「倒れて行こうとする」方向を、手のひらのセンサーが即座に感知し、その重心が落ちていく方向へ手をわずかにずらして、棒の下に手のひらを滑り込ませ、倒れかけた傾斜を回復させる。

 

 

それにより、先ほどの「倒れて行こうとした」動きは、ひとまず解消される、、、が、同時にそれは、次の、全く異なる方向への「倒れて行こうとする動き」の始まりとなる。

 

 

そして、あたらに始まった「倒れて行こうとする動き」の方向を、改めて手のひらのセンサーが即座に感知し、その方向へ手のひらをわずかに滑り込ませて傾斜を回復させ、、
 

 

すると、また新たな方向への「倒れて行こうとする動き」が始まり、、、、

 

 

、、、、という動作を延々と繰り返すことで、この棒は、手のひらの上に立ち続ける。

 

 

習熟してくれば、棒の動きを極小に収めることは可能である。

 

 

しかし、その原理から考えて、棒が完全に制止することは、決して、ない。

 

 

常に、どちらかの方向へ、倒れようとし続けている。

 

 

だからもし、この動作の様子を連続写真に撮り、1枚1枚の棒の角度を精密に測定したら、、、

 

 

完全に垂直に立った瞬間は、ほとんどないと思われる。大半の瞬間において、棒はわずかに、どちらかの方向へ傾いているはずだ。

 

 

つまり、、、時間を止めて、それぞれの瞬間における状態を観察するなら、ほとんどの瞬間において、バランスは崩れている。

 

 

でも、時間を動かして、一連の動き、一つの流れとして眺めるなら、、、

 

 

棒は、バランスが取れた姿で、手のひらの上に立ち続けている。

 

 

アンバランスの中の、バランス。


バランスとは、本質的に、こういうものなのだと思う。

 

 

 

常に動きがあり、一瞬一瞬で見るとあっちとこっちのアンバランスを繰り返していて、、、でも全体の流れで捉えるなら、ある程度安定した定常状態がそこに現れる。

 

 

で、、、そんな安定したバランス状態をキープする上で大事な役割を果たしているのが、、

 

 

棒が倒れていく方向を感知する、「手のひらのセンサー」。

 

 

バランスが崩れていくようすを捉えるセンサーだ。

 

 

棒の重さが手のひらを押すベクトルが、地球の中心へ向かう鉛直線とぴったりと重なっていれば、その棒は今、垂直に立っていることになる。

 

 

棒が倒れ始めると、手のひらが感じる重さベクトルは、鉛直から微妙に乖離する。

 

 

そのズレを「違和感」として察知し、もう一度ぴったり重なるように修正する。

 

 

その積み重ねが、「バランスをとる」という作業になる。

 

 

 

つまり、、、

 

 

「バランス」という状態が本質的にアンバランスの連続である以上、その過程において、アンバランスの現れとしての違和感が生じるのは、むしろ必然なのだろう。

 

 

違和感こそが、バランス状態にいることの証拠、とさえ、言えるかもしれない。

 

 

 

なぜなら、、、こんなふうに棒をギュッと持った場合は、違和感を感じようがないから。


 

 

これは、バランス状態じゃないよね。

 

 

 

僕らは、物事のしくみやメカニズムなどを理解しようとするとき、つい、この棒をギュッと握った写真のような、静的な構造物として、事象を捉えようとする。

 

 

きっと人間の思考は、モノゴトをこんなふうに理解する方が、得意なんだろう。

 

 

だけど、、、世の中に実際に起きているほとんど全ての現象は、実は、動的なバランスの中にある。

 

 

体も、心も、動的なバランス=「アンバランスの連続」として、そこに現れる。

 

 

そのことを思い起こさせてくれる大事なサインが、「違和感」なのだと思う。

 

 

だから、、、

 

 

あれ、なんかちょっとズレてるかも。。

 

 

と思ったら、、、


それは、凝り固まっていた何かがとれて、バランス作用が動き出したサインなのかもしれない。