先日、友人と話しこんでて、「自分を大切にする」という話題になった。

 

何をすれば、自分を大切にしてるって気分になるかな? という問いかけで。

 

 

で、、、改めて考えてみると、案外、すんなり出てこないことに困惑する自分がいたりして。

 

 

それで、しばらく考えていた。

 

自分を大切にするって、具体的にいうと、例えばどんなことだろう?と。

 

 

で、、浮かんできたのが、こんな例。

 

 

 

例えば、今夜の晩御飯は何にしょうかな、、って考えて、うん、今の気分は餃子にビールだな、って思ったとする。

 

だけどその日は雨で外は寒そうで、冷蔵庫には餃子の準備はない。

 

思いついてしまった餃子の気分には悪いけど、いま冷蔵庫のありものでできるもので今夜は凌ごうか、、、

 

 

、、、という、そんなときに、、、

 

 

いやいや、餃子って思いついたんだから、初心貫徹でしょ!って思い立って、餃子を食べに、ダウン着込んで傘をさして家を出る。

 

 

(笑)(笑)(笑)

 

 

例えばこういうのが、僕にとっての、自分を大切にすること。

 

 

 

いや、笑い話みたいだけど、こういうのって大事だなーと、最近、ずーっと思っている。

 

 

 

 

ふと思いついたこととか、心に湧いてきたかすかな気持ち、感情などを、きちんと汲み取ってあげること。

 

あれが欲しい、とか、こんなことやってみたい、とか。

 

いま、自分は寂しい、とか、悲しい、とか。腹を立てている、とか。

 

ちょっと口に出しにくいけど、ほんとはあの人にこんなことを言いたい、とか。

 

 

 

とりわけ、うつっぽい気分とか、不安、心配といったいわゆるネガティブな感情は、そこに浸ると自分が不快になるので、できるだけ早く手放してしまいたい、って気分が働きがち。

 

その結果、、そんな気分は亡き者にしてしまえ、という感じの心理的力学が働いて、、自分の中のそういう気持ちが無視される、ということが起きやすい。


そりゃあ誰だってたいてい、うじうじしてる自分よりは、ポジティブで前向きな状態の自分の方が好きだ。だから、うじうじしてる方の顔が出てきてしまうと、「そんなんじゃダメ!」って、ぽいっとしてしまいたい気分にもなる。

 

 

それを、きちんと汲み取る。感じとる。

 

ああ、いま自分はうじうじしてるんだなって、認めて、そんな状態と向き合う。

 

そしてできれば、何かの形でそんな気分を表に表現する。

 

そういうことが、丁寧にできるといいな、と。

 

 

 

 

ただ、、、こういうタイプの気分には、一つ、ちょっと厄介な特徴があって。

 

「もう、どうでもいいや」っていう感じの、投げやりな心のあり方と、容易に結びついてしまうのだ。

 

 

 

具体的にいうと、、

 

 

 

うじうじしてる自分の気持ちを汲み取って、向き合っているつもりだったのに、、、

 

気がつくと、いつの間にか、、、心の中が「自分なんかどうもいい」っていう気分でいっぱいになってしまい、、

 

すると、、向き合うとか、認めるとかいう以前に、、、気持ちが、めげてしまう。



そう、、めげちゃうんだよね。

 

 


もう、どうなってもいいや〜自分なんて、っていう方向へ、ズルズルと行ってしまう。

 




だから、僕にとって「自分を大切にする」っていうのは、この「どうでもいいや」ってめげたくなる気持ちとの戦い、なんだな。

 

 

いや、戦い、っていう表現だと、ちょっとイメージが違う。

 

そんな、バシバシやり合う感じじゃなくて。

 

 

もっと、「根比べ」みたいな、粘っこい感じ。

 

 

 

「お前がどんなにどうでもいいやって投げやりなこと言っても、俺は絶対お前のこと見捨てないぞー」ってひたすらいい続ける、みたいな感じ。


諦めてない限りは、ゲームセットじゃないぞ、っていうような感覚。

 

 

 

その感じが、、「餃子って思いついちゃったんだから、雨の日でも、寒くても、餃子!」っていう時の感じと、ちょっと似てるのです。

 

今は、そういう練習を、日々、やっている、そんな気分。