最近のマイブームといえば、サウナだ。



いま世の中でもブームとのことで、オジさんがサウナに入るだけのドラマとかが、地上波で堂々と流れていたりする。

で、聖地とかいって、静岡あたりのサウナがえらいもてはやされたりとか、

なんだかすごいことになってるようだ。



じつは個人的には、こういう流行りっぽいモノは、冷めた目で斜めに見ることが多い。

だからサウナのことも、わりと最近まで、なんだかなぁ、みたいな感じで斜に構えて眺めていた。


今となっては、ごめんよサウナ🙏って気分だ。


サウナのことを何もわかってなかったのに、へっ、って見下すような目線で眺めていたのだから。

ごめんよ、サウナ。


ただ、まあ、ちょっとだけ言い訳させてもらうなら、、、


サウナが体に与える生理作用のメカニズムに関しては、僕は、サウナが今みたいにブームになるよりずっと前から関心を持ち、情報収集し、日々実践し、自分の体でその効果を長年にわたって検証してきた、のである。


いや、正確に言えばサウナそのものではないのだが(後述)、、サウナ的メソッドが体にどう働きかけるか、については、ちょっとした蓄積があると自負している。


だから、今ごろになって「整いましたぁ」なんて軽々しいノリで取り沙汰される様子を見ると、へっ、なに今更言ってやんでいそもそもオレはなぁ、ってな感じの軽くひねくれた気分が、心の中にむくむくと立ち上ってくるのである。

へっ、そんなことはオレはとうの昔に知ってたよ。

ってな気分だったのである。


ただ、、、今から思えば、その「とうの昔に知っている」つもりだった中身とは、サウナの作用における一番大事なコア部分を欠いた、何とも中途半端なロジックでしかなかった。


これはもう、認めざるを得ない。


サウナの本当の作用を体感してしまった今となっては、ああ実のところ、何もわかってなかったんだなぁ、と思うのだ。


ここを知らずして俺はサウナのことなんかとっくに知ってるよ、みたいな顔をしていたことを、痛切に、恥じいるしかない。


サウナ、ごめんよ。


、、、と、これだけではなんの話をしているかわからないと思うので、きちんと説明しよう。


もう20年ぐらい前になるが、、僕は某健康雑誌の編集者として、「西式健康法」の連載記事を担当していた。


西式健康法。


西勝造氏が戦前に創始した健康法理論で、断食や独特の体操法を軸に、体の治癒力を高めることを目指す。

体を部分に分けてみる西洋医学的なアプローチのアンチテーゼとして一斉を風靡し、その後の日本の健康トレンドにも大きな影響を与えた。


で、、僕が健康雑誌の仕事を始めた当時は、西式の有力な指導者がまだご存命で、直接話を伺うことができたのだ。

特に、大阪八尾市の甲田医院院長、甲田光雄先生のところには、2年間ほど毎月通い、健康づくりの秘伝とも言える貴重な話をたっぷりと聞かせていただいた。

その中に「温冷浴」があった。

温冷浴は、西式健康法の主要メソッドの一つ。入浴時に温浴と冷水浴を交互に繰り返す。こうすることで自律神経の働きに揺さぶりをかけ、全身のシステムのバランスを取るのが狙いだ。


で、、その雑誌の編集方針が「記事にすることは必ず自分でやってみる」だったので、当時の僕は、温冷浴をずーっと、毎日、実践していた。

自宅のお風呂は浴槽が1つしかないから、温浴は普通に入浴し、そのあと、水のシャワーを浴びる。これを1分ずつ繰り返すのが基本だ。


これは今でも、しばしばやっている。体が重だるい時や、頭がカッカしてゆるまないような時にこれをやると、効果は絶大なのだ。


というわけで、、、西式の記事を何年も担当し、自らも結構のめり込んで実践していた当時の僕は、いつしか、西式健康法や温冷浴のことならたいていなんでもわかってるよ、という、ピノキオならちょっとばかり鼻が伸びかけたぐらいの意識を抱くに至ったのである


で、、サウナである。


当時、サウナは特にブームではなかったけれど、健康ランドやスパ、ちょっと気の利いた銭湯なんかには普通に設置されていたし、自分でもたまに入る機会はあった。

で、、、思ったわけだ。


これは要するに、温冷浴と一緒だな、と。


サウナの横にもたいてい水風呂があり、火照った体でざぶんと飛び込むではないか。

そしてまたサウナに入って、また水風呂、、というサイクルを繰り返しているではないか。

自分でもやってみて、ああ、はいはい、って思った。

ああ、なるほど。サウナっていうのは、西式の温冷浴と一緒だな、と。


でも、サウナは体が温まるのに数分かかるけど、温冷浴なら温浴1分冷浴1分のサイクルで回せるから、こっちの方が効率いいよな。

そうかそうか、もうわかったよ。


、と、こんな具合で、僕の中では、「サウナ=できの悪い温冷浴のようなもの」という構図が、すっかり確立していたのである。


ごめんよ、サウナ。


僕は君のことをなにもわかってないのに、わかった気になっていた。


いま、サウナがブームになってみて。

例のサウナのドラマなどをみると、サウナと温冷浴には、一つ、決定的な違いがあることに気がついた。


温冷浴
冷浴→温浴→冷浴→温浴→冷浴・・・


サウナ
サウナ→冷浴→外気浴→サウナ→冷浴→外気浴・・・


温冷浴は温と冷の単純な繰り返しなのに対して、サウナは、その間にさらに、「外気浴」が挟まっているのだ。


そしてじつは、いまのサウナブームのキーワードである「整いました〜」という感覚は、この外気浴のタイミングで生じるのである。


そう、じつは、サウナのサイクルでは、この「外気浴」という部分が、非常に大事なのだ。

これが、温冷浴にはなかった部分なのである。

ごめんよサウナ。ずっと気がついてなかったよ。



メカニズムから考えてみよう。


温冷浴とサウナはどちらも、体の自律神経機能に働きかけるメソッドとみなせる。

冷刺激→交感神経
温刺激→副交感神経

という逆の刺激を交互に繰り返すことで、自律神経の働きのバランスを取る。

この狙いは、共通だ。


ただし、温冷浴では、温浴と冷浴を間断なく繰り返す。

自律神経にとってこれは、交感神経と副交感神経を強制的にガチャンガチャンと切り替えられるような働きかけ、といえるだろう。


対して、サウナはどうか。


温刺激と冷刺激の後に、外気浴というニュートラルな時間帯がある。

これを自律神経の立場から見るなら、、

交感神経から副交感神経へと強制的にガチャンと切り替えられたあと、、、

強制力が解除された、いわば“野放し”の時間帯がしばらく続く、ということになるだろう。


おそらくは、この“野放し”の時間帯に、、、

自律神経は、自力で、ジワジワと、“ちょうどいい”ところへシフトするのだ。

強制力を持つ刺激(温と冷)の間に、体が自律的に動ける時間帯を、わざわざ設けているのだ。

それが、気持ちよく整うためのカギなのである。


野放しにするからこそ、あの「整いましタァ」の気持ちよさが、湧き上がってくるのだ。



実際に両方やって比べてみれば、その違いを実感できると思う。


温冷浴は、とてもスッキリ気持ちよく仕上がるメソッドではあるが、ケミカル工場でA液とB液に浸すような即物的な感覚があることも否定できない。

これは実は、西式健康法の底流に流れる空気感だと僕は思っている。そしてそれはおそらく、西氏がもともと土木や建築の専門家であることと関係している。身体の扱い方が、思いのほか即物的なのだ。


対してサウナのサイクルには、身体の自律的な生命活動を引き出そう、という意図が感じられる。根底にあるのは、身体を、モノではなく、生き物という有機体として扱う思想だろう。

特に、「外気浴」というニュートラルな時間帯をあえて設定してあるところに、そういう意識があるように思えるのだ。


あえて色分けするなら。


西式は、病気や不調を治すための治療法的色彩が強くて。

サウナは、生活を快適に充実させるためのボディケア的な色彩がより強い、ってことだろう。


まあ、サウナはもともと北欧の風土の中で生まれた文化的な存在なので、生活色が強いのも当然なのだが。

でも、日本では「健康メソッド」のような文脈で扱われることも多いから、つい、「どうすればより効く?」みたいな目で見たくなってしまうのだ。


そういうことじゃないのだよ。


サウナ→水浴のあと、イスに座ってしばしぼーっとしていると、、

まるで皮膚の産毛が1本ずつ立ち上がっていくかのような、

じゅわーんという、染み入るような皮膚呼吸っぽい感覚に、身体中が覆われていく、、

あれは、効く、とか、そういうことではないのだよ。


ひたすら、気持ちいい。


ひたすら、快感。


それは、結果として「健康」という作用にもつながるものかもしれないけれど、健康という人為的目的を志向する中からは、あの気持ち良さは、まず生じることはないだろう。


そこに、サウナの本質がある。


、、と、いまの僕は、そんなふうに思うようになった。


長いこと誤解してて、ごめんな。

知らなかったよ。


そして、ありがとう。サウナ。





※ちなみに、実は西式健康法の中にも、「裸療法」という外気浴を主体としたメソッドがある。思い返すと、甲田先生は温冷浴とともに裸療法もやった方が本当はいい、ということを何度かおっしゃっており、もしかすると、そうすることで、サウナの「整いましたぁ」的な境地にいたる、ということなのかもしれない。想像でしかないが、、、