世の中に、「健康法」と呼ばれるものは、数限りなくあるよね。
あまりにいろいろありすぎて、自分は何をやったらいいのかわかんない、なんて思ってる人もいるかも。
僕は、健康雑誌で仕事していた当時から二十年以上に渡って、いろんな健康法を取材したり、ウォッチしたり、実践したりしてきた。
今や伝説的な存在となっている、今は亡き某先生のところに毎月通ってお話を聞かせてもらったり。ヨガの指導者養成クラスに入れてもらって、通常はなかなか接することのない奥深い内容の指導を受けたり、、といった、かなりスペシャルな機会にも恵まれた。
そういった場で教わったことを通じて、、、姿勢や歩き方、靴の減り方などは、以前とずいぶん変わった。子供の頃からの“持病”とも言える頭痛や便秘とも、かなりうまく付き合えるようになってきた。
一方で、、世間ではけっこう話題のメソッドだけどやってみたらこりゃあカスだな、なんて思ったものもあったなぁ。
、、といった具合で、こと「健康法」に関しては、本当にさまざまな経験があるのだけれど、、
今日は、その中から一つだけ選ぶとしたらこれ、というものを紹介したい。
いわば、僕が選ぶ、キング・オブ・健康法。
ジャジャジャジャジャ〜〜〜ン 発表!!!
はい、それは、、、
「呼吸法」です。
。、、。。
地味すぎ? そう思った人もいるよねきっと。
それとも、なんだ普通じゃん、って思ったかな。
もっとビックリするようなもの、衝撃的なものを期待してたとしたら、裏切ってごめん、笑
いやまあ、でも、しょうがないんだよ。
それぐらい、「呼吸法」というメソッドは特別な意味を持つものだと、僕は思っている。
今日は、その話をしよう。
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そもそも「健康法」って、何をするものだろう?
いろんな見方があるけど、ざっくり言うなら、この一言にまとめられるだろう。
「カラダの中の崩れたバランスを取り戻す」
例えば食事法なら、、
・不足がちな成分を摂る(オメガ3、ビタミン、ミネラル、ポリフェノール類、タンパク質など)
・過剰になりがちなものを抑える(総カロリー、糖質、飽和脂肪酸など)
・体に負担をかけるものを減らす(アルコール、添加物、人工香料など)
具体的にはいろいろあるけど、これらはどれも、本来あるべきバランスを取り戻すための方法だ。
足りないものは、足してやる。
多すぎるものは、減らす。
すると、いいバランスに近づいて、健康になる。一言で言えば、そういうことだ。
運動も一緒。体を動かす時間が本来の想定より足りないから、動かしてやる。カラダの中で動きが悪い部分があるから、そこを動かす。
本来のバランス状態から外れているのを正そうとして、やっていることだ。
それで、、だ。
足りないから、足してやる。これは、出発点が「足りない」であるからこそ、うまくいく。
だけど、もしどんどん足して、もういいってところまで行ってもさらに足して、ついに過剰になって、それでもまだ足したら、どうなるだろう?
答えは、、、おそらく、健康を損なうことになる。
オメガ3オイルがいかにカラダにいいと言われても、もしアマニ油を毎日ボトル1本飲んだら、そりゃあいくらなんでも過剰。下痢するとか、吐くとか、異常な反応が起きるだろうし、それでも摂り続けたら、カロリー過剰でいずれメタボになるだろう。当然だ。
「多すぎるものを削る」のも一緒。腹八分目や断食が健康法として成立するのは、「普段、飽食状態にある」という前提だから。飢餓に直面して、栄養失調や餓死と隣り合わせの人には、断食のメリットはない。むしろ危険なだけだ。
といった具合に考えていくと、、、
ある健康法が役にたつかどうかは、その人の「スタート時点の状態」に依る、という結論が導かれる。
ある人のカラダに、ある時点で、何かの要素が足りなかったとすれば、その時は、それを足すことが健康の助けになるわけだ。
だが、それが足りた時点で、その方法は用済みになる。
逆にいうなら、これは、、
全ての人の、あらゆる状態に役立つ健康法はない、ということでもある。
健康法の意義は、相対的なもの。絶対的な方法は、ない。
・・・というのが、僕の「健康法」に関する基本的な認識だ。
ところが、、、ここには、例外があるのだ。
その例外中の例外、例外の代表が、「呼吸法」なのである。
それはなぜか。
呼吸法とは、何をしているのか。
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呼吸法は、さっきまで紹介したような、不足分を足すという類いの方法ではない。
「呼吸が足りないから足している」のではないのだ。
そうではなく、呼吸法は、カラダ自体の「バランスを取る能力」を、高めているのである
カラダには、自分でバランスを調整する能力がある。
代表例は、自律神経。
自律神経は、興奮作用(交感神経)と鎮静作用(副交感神経)がある。この相反する二つの働きは、お互いにシーソーのように調整しながら働いている。
例えるなら、アクセルとブレーキ。
アクセルが必要な時は、ブレーキは不要。ブレーキから足を離して、アクセルを踏む必要がある。
アクセルが必要なのに、いつまでもぼんやりとブレーキを踏んでいてはまずい。
「今はアクセルが必要だ」と感知し、素早くブレーキから足を話してアクセルへ踏み換えることが大切だ。
そういう、切り替えの適切さやスムーズさを高めるところに、呼吸法は働くのである。
「足りないから足す」「多いから削る」
これはどちらも、スタート時点の状態を、私たちが「足りない」「多い」などと判定して、それを意図的に調整すべく、外から何かを足したり削ったりしている。
だが大抵の場合、その足りなかったり多すぎたりする要素をバランスよく調整する作用は、もともとカラダに備わっているのである。自律神経がその代表例だ。
また、体内の代謝産物や、血液中を循環する各種成分の濃度なども、本来、カラダが自動的に調節している。例えば血糖値が下がれば、肝臓の中のグリコーゲン分解でブドウ糖を作って血液中へ補充するし、20種類あるアミノ酸のうちどれかが不足していれば、肝臓の中ですぐにその成分が合成され、バランスのいい状態が回復される。そういうことを、体は自動的にやっている。
そして、体内で合成することができない成分(ビタミン、ミネラル、必須脂肪酸など)が不足している場合なら、その成分を多く含むものが食べたいという欲求が湧いてくる。
さらに、何かが過剰になっている場合なら、本来、「もういらない」という欲求(満腹感)が湧いてきて、摂食にブレーキがかかる。
そう、本来は、カラダに任せておけば、万事うまくいくはずなのだ。
だが、なぜかそれがうまくいかない。だから、カラダの中でバランスが崩れ、不足や過剰が生じる。
不足を足し、過剰を削るのも、一つの対応策ではある。
だが、問題の根源はむしろ、「バランスを取る働きがうまくいかなくなった」という部分にある。
だったら、そこの調整能力を取り戻すのが本筋だ。
そこに働きかけるのが、呼吸法なのである。
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自然医療の大家、アンドリュー・ワイル博士が書いた「ナチュラル・メディスン」という本がある。
古今東西のさまざまな健康法や自然療法を取り上げ、網羅的にその意義や使い方を解説した、この分野のバイブル的名著である。
この本の中に、呼吸に関するこんな一文がある。
『食生活と運動について書くとき、わたしはいつも「重要な要素だが、健康を左右する絶対的な決め手にはならない」と指摘することにしている。申し分のない食生活をして、きちんと運動しているのに、あまり健康ではない人たち、ひどい食生活で運動もしていないのに健康な人たちを、わたしは知っている。しかし、正しい呼吸をせずに健康である人には会ったことがない』
(ワイル博士のナチュラル・メディスン 増補改訂版 114ページ)
もう二十年以上前だけど、初めてこの一節を読んだとき、ヒューーって音を立ててカラダの中を何かが流れていくような気がしたのを覚えている。
健康って何なのか? というつかみどころのない問いに対する、非常に本質的な何かとの接点が、この文章の裏側にあるような気がしたからだ、と思う。
それぐらい、呼吸って、特別なものなのだ。
具体的なやり方は、、、まあ、いろんな方法があって、どれでもいいんだけど。
僕は、この「ナチュラル・メディスン」でも紹介されているワイル博士流のシンプルな呼吸法が好きで、ずーっとやってる。
こんな感じ。
1 まずひと息、息をフーッと吐き切る。ため息を吐く感じで。
2 「吸う」「止める」「吐く」を、「4カウント」「7カウント」「8カウント」の割合で何度か繰り返す。
3 カウントのペースは、その時のカラダの感覚に任せる。繰り返していくと、徐々にゆっくりになっていくことが多い。
4 4〜8サイクルほど繰り返して、もういいだろうって思ったら終了。普通の呼吸に戻る。
これを、1日の中でいつでも何度でも、思いついたときにやる。就寝前には必ず。
よかったら試してみて。