テレビ東京の人気深夜ドラマ、「孤独のグルメ」が、シーズン8に突入するそうだ。

 

深夜ドラマとしてはかなり異例の、ロングランシリーズだという。

 

まださほど注目が集まっていない初期の頃から見てきた僕としては、嬉しい限りである。

 

このドラマ、見どころは山ほどあるけれど、、、

 

健康という観点から、一つ、僕がとても注目、というか、ほとんど“心酔”しているセリフがある。

 

主役のゴローさんが、仕事とかいろいろひとしきりバタバタした後、「さて、飯だ」となった時に出てくる、決めセリフ。

 

「いまのオレは、ナニ腹だ?」

 

肉なのか、魚介なのか、中華なのか、パスタなのか、はたまた餃子なのか? と、自分の内から湧いてくる食の欲求ベクトルを、誤りなく見極めようとして発せられるこの言葉。

 

食を愛し、一つ一つの食の機会を大切にせんする、「食べ物ラブ💕」な気持ち。

 

そう、もしあなたが、真に健康でありたいと願うなら、、、、

 

ものを食べるときは、食に関するあらゆる健康情報に優先して、真っ先にこのセリフを思い浮かべるべきだ。僕はそう思う。

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●●はカラダにいい、▲▲成分が■■病を防ぐ、ダイエットにも有効、肌ツヤが良くなる、認知症を防ぐ、、、

 

テレビの健康番組や雑誌、新聞などでは、連日、こんな形で、さまざまな食べ物が紹介されている。

 

まあ、一つ一つの情報は、それなりの何らかの根拠があって言われているのだろう。

 

だから、そういったお話の中身自体はおおむねその通り、と、まあ、一応そう受け止めるとして、、

 

だが、そこで得られた知識をベースに食生活を構成することが、果たして健康的なのか? と、僕は思うわけだ。

 

昨日のあの番組で、オカラが●●に効くって言ってたから、今夜はオカラづくし!カラダにいいのよ!!

 

、、って、、、食事は、薬ですか? 「何が食べたい」とかは、どうでもいいんでしょうか?
 

 

実際、多くの人が一斉にテレビで紹介された食材を買いに走る、という現象は今でも時おり起きるみたいで、その都度、スーパーなどの店頭から、特定の食材(例えばオカラとか)が売り切れたりする。

 

そんな現象こそ「病んでいる」ように見えるのは、僕だけだろうか?

 

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まあ、、、社会現象のことは一旦横に置くとしよう。

 

個人の行動選択として考えた場合、「いまのオレは、ナニ腹?」を大切にした方がいいと僕が考える理由は、主に二つある。

 

一つ目。

 

食欲は、極めて原始的な欲求である。

 

生き物として、生きていくための成分(エネルギー源、カラダの素材、ビタミンミネラル類、その他諸々)を体内に取り入れるべく沸き出る、本能的な衝動。

 

そこには、「いまカラダに必要なものを取り入れる」という当然のニーズがあり、そのニーズに応えられるシステムを身につけた生き物が、進化の過程で生き残ってきた、はずである。

 

例えば、運動(労働)をしてカラダが疲れた時は、甘いものが欲しくなる。
 

炎天下で汗をたっぷりかいた後は、喉が乾く。と同時に、塩味が濃いものを美味しいと感じる。

いま、カラダが必要なものを、欲する。そしてそれが、美味しい。そんなふうに感じるように、本来、私たちの体はできている。

 

だから、「いまのオレは、ナニ腹?」と自問して、「そうだ、今日は、餃子だ!」っていう衝動が湧いてきたとすれば、、、

 

そこには、餃子から摂取できる何らかの成分を、自分のカラダが求めているはずなのだ。

 

まあ、、100%そうだ、とまではいわない。でも、そういう何かがある、という解釈は、生き物の原理原則に則って、決して的外れではないだろう。

 

だとしたら、「ナニ腹?」という衝動に沿って食べることで、カラダのニーズに合致したものを摂取しやすい、つまりは健康維持に役に立つはずだ。

 

 

二つ目。こちらの方がより現実的な理由だが、、

 

本能的欲求と、知識ベースの方針が、異なっていたとする。

 

まあ、ダイエットしたいと考えた場合などに、よく起きる現象だろう。

 

「食べたい、でも、食べたら太るからダメ」みたいな状況ね。

 

そうなったとき、僕らはしばしば、知識ベースで欲求を押さえ込もうとする。

 

「食べたらダメ」を通そうとするわけだが、、、

 

生存のために身につけた本能的欲求は、そんな簡単に抑え込めるものではない。

 

しばらくの期間、我慢できたとしても、必ず反動がくる。

 

だって、カラダ的には「食べないと死ぬ」って思ってるんだから。抑えるほど、欲求は強まる。

 

そして、どこかで必ず、破綻する。

 

で、、、その破綻が、一時的な「どか食い」という形で現れるぐらいなら、まだいい。それで本能的欲求は満たされ、ココロも落ち着くだろう。

 

でも、それで収まらない場合もある。

 

特に、何らかの事情によって、「ダイエットしなきゃ」的な願望が、自身の存在価値の根拠と強固に結びついてしまった場合は、厄介だ。

 

こちらはこちらで、自分の存在をかけて、欲求を抑えにかかるから。

 

そうなると、、、矛盾する二つの欲求の狭間で、最終的には、拒食、過食、嘔吐といった摂食障害になってしまったりする。

決して特殊な話ではない。今の世の中、この系統の状況に苦しむ人は、驚くほど多い。

 

で、、これは以前、ダイエット指導で評判のある栄養士さんに取材で聞いた話なのだが、、

 

摂食障害の問題を抱えてやってくる人に対する、最初の指導は決まっていて、

 

「何でもいいから、好きなものを食べなさい」なのだそうだ。

 

すると多くの人は、まず「えー、だって●●は体に悪いし、太るし、無理無理」などと答えるという。

 

そして、いわゆるヘルシーな食生活にしがみつこうとする。

 

「これが正解」「あれはダメ」といった「正しい健康情報」に縛られて、頭でっかちになって、「ナニ腹?」が全く見えなくなているのだ。

 

そこを説得して、お菓子でも揚げ物でもジャンクフードでも何でもいいから、とにかく「あれ食べたい」って思ったものを食べる、という路線に乗せる、という。

 

すると、、最初は大抵、「太るからダメ」って我慢していたお菓子やら油物やらに走るのだけれど、、、

 

しばらくすると、「トマトが食べたい」とか、「お魚が美味しい」とか言いだすそうだ。

 

そうやって、自分の中の「食べたい」「美味しい」を思い出すことができれば、問題は自然と、解決に向かうという。


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食に関する健康情報そのものが悪いとは、僕も思っていない。

 

でも、ものには優先順位がある。

 

「食べる」という生き物の最も根源的な行為において、一番の拠り所は、本能だ。知識は、あくまで参考に過ぎない。

 

「今のオレは、ナニ腹?」


さて、、今日の晩飯は、何にするかな。