僕は3年ぐらい前から、心屋仁之助さんの心理メソッドを学び、実践している。

 

2016年に、別ブログでこんな記事を書いた。これがちょうど、心屋系のセミナーなどに参加し始めたころだ。

 

Hatena Blog : 最近のマイブーム:心屋仁之助さんのメンタルメソッド

 

それから3年。

 

自分でも、ココロの状態がずいぶん変化したのを感じる。

 

やってしまったことを悔やむとか、言い訳するとか、自分を責めるとか、そういうのがとても少なくなった。

 

とはいえ、悟りの境地ってわけじゃない(笑)。イヤなこととか、イラっとする場面、嫌いな人とかは、普通にちょこちょこある。

 

でも、だからどうっていうことはない。

 

ココロの上がり下がりもある。でも、それもどうっていうこともない。

 

感情や気分がいろいろ動いたとしても、それに振り回されたり、引きずったりことがなくなった、という感じ、かな。

 

あーまた怒ってるなーまあしゃーないよねこの状況じゃねーまあそのうち鎮まるからちょっとまってーなー、、、みたいな感じで、けっこうゆるゆると自分のココロの動きを眺めていられる。

 

おかげさまで心理的には、すごく楽になった。

 

どうやって、こんなふうになったんだろう?

 

・・・という話を、今日は書いてみたい。

 

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心屋さんが、本やセミナーを通じて伝えているメッセージは、ごくシンプルだ。

 

具体的な行動アドバイスは、次の2点にほぼ集約できる。

 

「本当はやりたくないのに、我慢してやっていることを、やめよう」

 

「本当はやりたいのに、我慢してやっていないことを、やろう」

 

要は、「本当は、、」という自分の気持ちに、正直に生きよう、ということだ。

 

これ、、「そういう生き方ができればいいよね」、ってところは、誰もがうなづくと思う。

 

ただ、そのあとにたいてい、「そうは言っても現実はさ、、」とか、「でも、本当にやりたいことなんてわかんないよ」とか、そういう感じのエクスキューズがいろいろついてきて、結局は、「そんなの無理」って思っちゃう。

 

そんな捉え方になる人が、多いんじゃないかな。

 

「本当にやりたいこと」なんて言い方をすると、何かこう、人生をかけて取り組むライフワークみたいなことを想像しちゃって、かえって構えがちなんだけど。。

 

そこまで大ごとじゃなくて、いい。

 

むしろ、身の回りのごく些細なものことにおいて、「本当はどうしたいの?」って問いかけることが、とても大事。

 

例えば、お昼ご飯に何を食べる?みたいな話。

 

仕事が忙しかったりすると、つい、「時間もないし、蕎麦でいいか」みたいな発想になりがち。

 

家に一人でいる時なども同様。あまり手間かけたくないし、洗い物も増やしたくないから、つい、「ま、蕎麦でいいか」とか思っちゃう。

 

そういう時に、ちょっとだけ手を止めて、一息ついて、「本当は、いま、何が食べたい?」って、自分に聞いてみる。

 

あの、孤独のグルメのゴローちゃんのように、だ。「いまの俺は、何腹だ?」って、きちんと、聞いてみる。

 

そしたら実は、焼肉が食べたいって思っているかもしれないわけだ。

 

そういう気持ちを、できるだけかなえてあげる。そんなに難しいことじゃないはずだ。

 

で、、、まあ、そうやってちゃんと聞いてみたら、やっぱり「蕎麦」っていう答えが浮かんでくることもある。

 

これ、案外よくある。「蕎麦でいいや」とか妥協っぽく言ってる言葉が、実はちゃんと本心だった、っていう。

 

でも、それだったら、「蕎麦でいい」じゃなくて、「蕎麦がいい!」って堂々と言うほうが、気持ちいいでしょ。

 

「でいい」と「がいい」では、大違いだ。

 

 

こういうことを、身の回りの、些細な、無理なくできるところから、コツコツと積み重ねていく。。

 

すると、、、

 

徐々に、「自分は、本当は何がしたいのか」というココロの動き、衝動に対するセンサーが、敏感になっていく。

 

いちいち立ち止まって考えなくても、「今日の昼はパスタで決まり!」とか、パッと出て来やすくなる。

 

すると、もうちょっと大きめの決断、例えばあのコートが欲しいんだけどちょっと高いよなぁ〜、なんていうのも、スパッと決められるようになる。

 

「えー、それじゃ、お金かかって困るでしょ?」って、思うだろうか。

 

「本当にやりたいこと」「本当に欲しいもの」がクリアになってくれば、同時に、、

 

「本当はそれほどやりたいわけじゃないのに、雰囲気でなんとなくやってた」とか、

 

「本当に一番欲しいものじゃなくて、妥協して安い物を買ってた」とか、

 

「これが欲しかったわけじゃない、お金をガーッと使ってストレス発散したかっただけ」

 

とか、そういうのもだんだんわかってくる。

 

で、、こういう半端な気分でやっていたことって、それでは心が満たされないので、かえってズルズルなんだかんだと出費がかさむ要因になりやすいのだ。

 

むしろ、「これが本当に欲しい」っていうところにズドンと行っちゃう方が、満足度も高いし、出費もそれで完結する。

 

僕のクレジットカード支払いを見ると、以前は毎月けっこう大変な額に行ってて、、でも、そんなに何を買ってるんだろうって不思議に思うぐらい身の回りには大したものが何もなくて、、、って感じだった。

 

それが最近は、通常の支払いははるかに少額で収まってる。でも、我慢してるって感覚は、ぜんぜん、ない。

 

そして、ときおり、「あ、これ、ほしいいっっっ❤️」っていうものがあった時に(たとえばギターとか)、どかっと出費がある。

 

それでも、トータルの出費は、以前より減ってる。

 

で、ココロの充足度は、前よりずっと高い。

 

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ココロが感じることって、理性的に見ると、「いや、無理でしょ」「ありえないっ」って言いたくなるものも、少なくない。

 

頭で考えたら絶対に出てこないような突飛なひらめきとか。

 

理由もなく好きでたまらない衝動が湧いてくる、とか。

 

逆に、これだけはやめて、もうちらっと姿が見えるだけでイヤ、とか、そういうのもある。

 

こういうのって、その根底では、動物的(生理的)なメカニズムが強く働いていたりする。

 

生きるため、あるいは、心身の容態をよりよく保つため、これを選ぶといいぞ、って、本能レベルで伝わってくる、強い衝動。

 

そこには、理性的なロジックとは全く異なる拠り所が、根拠になっていたりする。

 

そしてそれは、自分を守ったり、周囲との関係を滑らかに保つ上で、とても大切なものごとだったりする。

 

だから、軽く扱ったらダメなんだ。

 

でも僕らはつい、世の中のルールとか、社会の常識みたいな枠組みを優先させて、自分のココロにふと湧く「本当はこんなことしたい」を、押さえ込んでしまう。

 

大人の人は、長年にわたって抑えてきてるから、それが当たり前、何が湧いてるのかもうわからない、って場合も多い。

 

でも、、、そういう我慢の積み重ねによって、心身のバランスを損なっている人が、今はとても多いように思う。

 

思い当たる人は、、まずはランチから。

 

ちゃんと落ち着いて、「いま、何が食べたい?」って、自分に聞いてみる。

 

案外、それだけでも、日々の暮らしにおけるココロのあり方が、ころっと変わってきたりするものだ。