【国語】読書をしたら「国語力」は上がる?
6月から面談期間に入り、保護者の方からよく聞く話が、今回の「読書」です。
「国語や算数・数学の文章題が苦手で…」
という話になると必ずと言っていいほど、「うちの子は読書をしなくて…」という話題になります。
そこで、果たして「読書」をしていないから「文章の理解度が低い」のか、そして、学習において「読書」はすべきものなのか?について、お話しできればと思います。
「文章を理解できる」とはどういうことか
「読書」の有効性の前に、子どもたちが抱えている「文章を理解できない」という課題に対して、問題点や原因を明らかにしていきましょう。
国語の文章、算数・数学の文章題、はたまた教科書に書いてある内容……。
子どもたちが目にする「文章」は学校だけでも数多くあります。
その「文章」を「理解できない」とはどういうことなのでしょうか?
保護者を含む大人たちは、自然と文章を読み、理解することができている人が多いはずです。
特に仕事をしている大人は、メールや資料など様々な文章を扱いますから、文章を読まないと仕事ができません。
ホワイトカラー・ブルーカラーなどの職種・職場環境の違いはあるでしょうが、どの仕事にせよ、文章は出てきます。
さて、そんな大人たちが理解できてきた「はず」の、教科書や文章題の文字。
自分の子どもは、それらがなぜ理解できないのか?を逆に理解することができません。
なぜなら、我々はこう思うからです。
「だって、書いてあるじゃないか」
と。
確かに日本語で書いてあります。では、日本語で書かれていれば、だれでも理解できるのでしょうか。
大人も読んでみよう
では、以下の文を読んでみてください。
「大抵のイズムとか主義とかいうものは無数の事実を几帳面な男が束にして頭の抽出へ入れやすいように拵えてくれたものである。一纏めにきちりと片付いている代りには、出すのが臆劫になったり、解くのに手数がかかったりするので、いざという場合には間に合わない事が多い。大抵のイズムはこの点において、実生活上の行為を直接に支配するために作られたる指南車というよりは、吾人の知識欲を充たすための統一函である。文章ではなくって字引である。」(夏目漱石「イズムの功過」青空文庫より)
上記は夏目漱石の文章の一節です。現代の日本語と同じ書き方で書かれています。
大人たちに言いましょう。
「だって書いてあるじゃないか」と。
この上記の文章がスラスラと読んで理解できたのなら、まずは及第点といったところです。
子どもたちは、大半の大人が上記の文章を見て、感じた戸惑いや感覚を、教科書の文章に感じているだけの話です。
なぜそういった感覚を大人だろうが、子どもだろうが抱いてしまうのか。
単純です。「語彙を知らない」うえに「イメージすることが苦手」だからです。
「語彙力」がある
語彙とは言葉のことで、言葉を多く知っていれば「語彙力がある」と言うことがあります。
しかし、単純に言葉を数多く知っているだけでは、「語彙力がある」とは言えません。
真の意味で「語彙力がある」とは、「1つの事柄を複数の言葉に変換できる」ことを言います。
例として、「家」という言葉を別の言葉に変換してみましょう。
・自宅
・御宅
・ウチ
・我が家
・邸宅
・住処
・住居
・住宅
・城
・マンション
・アパート
・一軒家
など、様々な言い方ができますよね。
※ちなみに、筆者は検索などせずに思いついたものだけ列挙しました。
一番ひっかかるのは「城」でしょうが、年配の男性は使うことがあります。
今までは賃貸住宅で暮らしていて、ようやく自分の家を建てたとき「一国一城の主」だ、と。
このように、同じ「家」という建物を指す言葉であっても、別の言葉に変換することが可能なのです。
しかし、同じ「家」から変換した言葉なので、「家」という意味を持っていますが、「マンション」と「アパート」は同じ言葉でしょうか?
また、「邸宅」と「自宅」は同じ言葉でしょうか?
感覚として全く違うはずです。
なぜなら、「マンション」は多層階建て+鉄骨の建物を、「アパート」は低層階建て+木造の建物を指す言葉して使われる場面が多いからです。
「邸宅」は相手に対して敬語的な使い方で言いますが、「自宅」は自分に対して使う言葉ですね。
※「ご自宅」の場合は、相手に対して使う
このように、同じジャンル・意味を持つ言葉であっても、「使う場面」「敬意」「定義」が異なるのです。
この異なる部分まで注意して理解できていることを「語彙力がある」と言います。
「イメージをする」
そして、持っている語彙から、それらの言葉の羅列がどのような情景・場面を描いているのかを、頭の中で映像化することを「イメージをする」と言います。
この、イメージができた状態で、ようやく、目の前に書かれている文字が「理解できた」と言ってよいのです。
無意識を意識する
文章を理解する前提には、「語彙」「イメージ」が不可欠です。
そしてそのプロセスを、大人たちは自然と身に着けてきたのです。
学校、家庭、仕事、友人とのやりとり……。
様々な場面で身に着けた「経験」であって、今回話した内容を「教わった」ことはほぼ無いはずです。
しかし、子どもたちは大人たちがたどったプロセスを「経験」していません。
そして教わってもいない。
そのような状況で、「目の前に書いてあるのだから、そのまま読んで理解すればいい」というのは乱暴でしょう。
そこで、私が生徒たちに指導していることは「無意識を意識しろ」ということ。
普段何気なくやっていること、考えていることを言語化しなさい、と常々言っています。
だからこそ私の授業では、「なぜ?」「どうやって考えたの?」「次どうするの?」という発言が多用されます。受験直前だと、この3つしかほぼ話さない授業すらあるくらいです。
目の前の文字を理解する前に、自分自身の思考回路を理解し、「何がわからなくて、何がわかっているのか」を把握することが最優先です。
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長くなりましたので、無意識の思考過程を意識し、語彙とイメージを可能にした状態を目指すために読書は有効か?について、次回も述べたいと思います。