北総新選組って何よ!(2013年)
北総新選組って何よ?(2013年)
平成25年09月18日、遂に全く夢の夢の夢でございました磁気浮上式高速鉄道の本格的実用計画が、初歩で一部で先行的であるものの発表されました。
終戦直後の運輸逓信省鉄道総局鉄道技術研究所でその種子が誕生して以来半世紀以上を経てリニアは実用化されます。
海外では実用化されているリニアウェイ、実は形態は異なりますものの、東京都営地下鉄大江戸線も「リニア」であります。
但し磁気推進方式で浮きはしないのですが、立派なリニアである事に間違いは無いでしょう。
始まりは日本国有鉄道
私共特定非営利活動法人交通文化連盟は、元来が昭和54(1979)年10月01日に発足した学生の鉄道など愛好者によるサークル「日本トレインクラブ」でありました。
当時から日本国有鉄道に就職を希望する者が中心で、実際に昭和55年頃より国鉄上野駅の学生臨時雇用員が会員として加わる様になり、その後国鉄を始めとして鉄道企業に就職する者を多く輩出しております。
昭和56年11月28日には北海道小樽市に静態保存されていた日本最大最速最美の蒸気機関車C623機を無謀にも復活させたいと夢の夢の夢の夢を抱いた一部メンバーにより組織内組織が生まれてこれが北海道鉄道研究会として後に独立化致します。
この北海道鉄道研究会は表面的には毎年夏に一ヶ月近く北海道内の鉄道乗り回しなど実に能天気な旅を定例として行っていたものですが、メンバーはほぼ全員「国鉄」で、内実には蒸気機関車の復元や団体専用列車の運転実施に関する研究や分析を行っておりました。
未成年者ばかりの若い衆団体が蒸気機関車復活運行には数億円が必要となる結論に突き当たるのに其れ程の時間は掛かりませんでした。
ならば銭は無理でもやるべき事はあるだろう、と北海道研設置と同時に実施していた自主警備が活動の中心となって参ります。
昭和50年代初頭から一部の鉄道マニアによる無謀な撮影行為による大小様々な事故は頻発しておりましたし、中には恐喝・詐欺・通貨偽造・有価証券偽造など完璧な犯罪となる行為も、学生層が被疑者にも被害者にもなりまま見られました。
特にメンバーは鉄道マニアが多く集まる上野駅で駅務をしていたもので、この表裏の「治安低下」は鉄道屋精神を大きく刺激し、民間の一市民として可能な限りの「防犯防災」をどうすれば実現出来るのか、など仲間内で討論していたものでありました。
後に鉄道輸送警備隊と名付けたこの完全市民セクターによる日本最初の鉄道輸送に特化したボランティアチームは、上野駅を始めとして関東一円で目立たない様にひっそりと活動を展開しておりました。
蒸気機関車運行で最大の懸案はこの防災防犯対策で、当時から警備会社ではこの事案に若干は抑止となっても防圧にはならない事を既に私共は知っておりました。
加えてその活動は偉いものでも輝かしいものでも無く、同じ鉄道ファンとして恥ずかしい行為を自主的に自浄する作用としてやらなければならないものであって、一部には端くれでも鉄道屋の意地であり、もう一部はそんな低劣となっている鉄道趣味に対する嘆き、そんな気持ちで各メンバーは手弁当でマニアの恨みを買いに休暇を使って出掛けていたものてす。
リアルに新選組な日々
国鉄に就職したい連中による組織でありました私共が、国鉄の新規採用停止によって「失業者決定」者の集団となる事が確定した昭和57年秋、その不安や憤りなどをぶつける「点」として団体専用臨時列車、つまりオーダーメイドによるイベントを画策致しました。
その間、鉄道輸送警備隊をどう実戦対処可能な、単なるボランティアさんの集まりからボランティアシステムとするか、さわりさわりと多々試験し分析し、と今日も続く明確な目的「列車の定時運行確保と無事故の実現」を根幹とした「休日だけの警備隊」となって参ります。
昭和60年になり具体的にどの方向で組織を展開するのかの方針を決議し、早速試験的実施となる団体専用列車の企画実施に動き、これが昭和61(1986)年08月16日に札幌~歌志内~上砂川~砂川間「そらち」号として実現致します。
この企画の目的は列車添乗警備の仕上げ的実施と、列車運営と言う概念の確立でありました。
「そらち」号では目的地の商工会と連携し企画に幅を持ちましたが、その一方で事後調査の途上、特定の土地に集中した企画は近隣市町村が「相乗」を敬遠する傾向もある事を知ります。
その頃、国鉄北海道総局小樽築港機関区を中心として、活発化していたC623機復元運動に接触しました。
簡単に言えば、幕末の新選組が京都守護職であった陸奥若松藩松平家(会津藩)の「御預」、つまり所管下となったものに似て、京都では無く北海道後志の山々に、徳川将軍てでは無く走将・C623機と多くの人々を守る為に、不逞浪士に似た素行不良な鉄道マニアを相手に戦うと言う、いわばリアルな新選組を実戦闘争を伴って再現していた様なものでありました。
昭和62年03月31日に奇跡的な自力走行状態へ復活したC623機は翌年04月29日から小樽~倶知安間で運行を実施。その当初の列車添乗警戒は関東から集まった北海道鉄道研究会鉄道輸送警備隊によるものでありました。
またリアル新選組の通り、数々のマニアによる威力業務妨害・詐称詐欺・暴力威圧などの事案を調査し制圧し、時には告発するなどして陰に徹した戦いを繰り広げておりました。
ところが妙な点までリアル新選組化してしまい、一部の鉄道撮影マニアによる北海道内のボランティアが主流となった運行主体組織の北海道鉄道文化協議会(ここが資金調達・運行主体で北海道旅客鉄道はその受託運行をしていたもの。)から「余所者は不要」とたたき出されてしまいまして、まさに「浪士集団」となった鉄道輸送警備隊は、既にC623機計画が健全で永続的な事業とならないと独自に「列車運営」を完成させるべく、オーダーメイド列車の試験実施に傾注して参ります。
一方では「小樽守護職」と言うべき北海道鉄道文化協議会中枢と連絡を緊密化させ、「その次のシロクニ」を画策し始めます。
そんな粗雑で責任所在の不明確な企画は平成07年11月03日に運行を終結させて、翌年には「倒幕」されてしまいます。
この内乱をつぶさに、或る意味で完全に傍観出来る立場であったからこそ、「C623」に誰が何だったのか、明確に観察する事も出来ましたし、同時にこの巨額を投じた画期的に完全民間資本による観光創造型インフラ活用策は、その近隣に生活する人々には其れ程に大きな影響も及ぼさず、ましてや北海道の観光旅客流動を変化させるまでにも至らなかった事が理解出来もし、これは私共には深刻で大きな衝撃でありました。
どれだけ大騒ぎをしても・・・実際、運行日には沿線80キロに平均して少なくても千人、多ければ二万人が集まりカメラを向けていたものの、その沿線の駅前に住む大多数の人々には単なる七年でしか無かったのです。
浪士の挑戦は模索の連続
万キロを超える列車運営や保安警戒の実績を重ねた私共がようやく「本来の目標」を見出したのは平成も十年を過ぎた頃でした。
観光旅客を単に集めるだけでは何も変わらないし、年に一度のイベントでは結局「産業」を創り出す事も出来ない、もっと言えば「箱モノ」観光施設は的確に大規模にしなければ継続的な実益は得られず、何よりその土地に住む人々が多角的に関与し、加えて「足」と「安心」が無ければ観光地など成立しない、その原則を激痛と引き換えに体感出来たのは不幸中の幸いでした。
一方で全国のローカル鉄道は危機的状況にありまして、私共の地元とも言える千葉県の総武流山電鉄(当時)も将来的展望は暗いとの話を多々伺っておりました。
全く知らない土地でも無く、今日も続く鉄道模型イベント「レールフェステ」が国鉄南流山駅発祥である事などから流山駅を散策し、改めて見回した時にこの沿線で「全国区的観光要素」が新選組と小林一茶、小金城くらいなもので、肝心の新選組史跡=近藤勇陣屋跡は駅から徒歩五分もしないのに住宅地の路地に面して辿り着け無い人も多いと伺い、翌年の大河ドラマが新選組となる情報もあり、ここで地道な、私共としては全く未知なポイント型観光ボランティアをやってみようと言う事に平成15年夏になりました。
目的は先ず、流山電鉄の観光旅客実利用の増加と流山駅近辺の観光来訪者誘引、次にその域内滞留時間の延長、続いて流山線そのものの観光資源化で、ここは完全市民セクターの強さで縦横無尽に何でも出来たのです。
また「そらち」号で経験した特定の市町村に特化した企画ではその効果範囲が狭隘となり、結果として企画が継続しない弱点も知っていたものですから、むしろ「余所者」の「浪士集団」が最適だと考えたものです。
平成14年に特定非営利活動法人とその組織形態を改編していた私共は、それまでの日本トレインクラブ・北海道鉄道研究会のスタイルを踏襲して現場運営はあくまで鉄道輸送警備隊の管轄とするものとしておりました。
平成16年03月初頭、流山駅頭に立ちまして観光案内を始めたものの、実態として鉄道があるのに近藤勇陣屋跡にお越しとなる観光旅客はその八割が自動車か自転車で、当時その陣屋跡で土日祝日のみ臨時売店を展開していた商工会第二支部の皆様や、現所有者である秋元様の御厚意もありゴールデンウィークからその「現地」で観光案内カウンターを設置させて頂き、定型通年型現場案内を開始したものであります。
新規のボランティアスタッフはそんなに来ないだろうが筋骨隆々体育会系男子が若干は加わるだろうと想定していたものの、集まって来たのは中学一年生の女子、それも三十人が夏までには登録し、私共は全てに於いて未知の活動に埋没して参ります。
それは模索の連続でありました。
フリー切符実現が目標、でした
北総新選組は前述の様な経緯により形作られたもので、新選組ファンは居りますがそのファン組織ではございません。
また主題はあくまでも流鉄そのものが観光資源となる事でありまして、この首都圏にありながら全区間単線二両固定編成の電鉄に如何に多くの御客様にお出で頂くかが課題です。
その代表的な活動として流鉄の電車引退時の花束贈呈がございます。
丁度運用車両の交換時期となる頃にこの流山新選組本陣跡の史跡運営事業を始めたもので、ほぼ全ての編成が十年以内に交換されると伺い、せめてその盛り上げの支援として花束贈呈をさせて頂きたいと申し出たのは平成17年の事でありました。
この間にも新選組サミットと言うイベントに関係して、茨城県鹿島鉄道での添乗警戒など支援させて頂いておりましたが、あくまで北総新選組は鉄道輸送警備隊の一部隊であり、むしろ防圧・制圧・犯罪捜査支援と言う実戦経験を持つ「新選組」は全国的にも珍しいものでございます。(全国新選組サミット協議会加盟組織などから調査)
北総新選組を通じて私共が根幹の主眼は「公的資金に依存しない市民力を中核とした継続的な地域密接連携となる帯型の観光創造の方程式を確立する」ことで、近々には「流鉄にフリー切符が出来るまでは続ける」なんて言っておりました私ですが、この平成25年06月15日にそれが発売されてむしろ大慌てをしております。
どんな形にしろ、この鉄道に乗ってこの沿線の駅を降りて頂く事が肝心です。
その街に何か個々の心安らぐ或は心躍る空間を発見して頂く事が何より必要なのです。
現状の北総新選組
大河ドラマの殺陣武術指導者として、また現役最年長の殺陣師として活躍されている林邦史朗先生に殺陣をお教え頂いて五年以上が経ちました。
原則として殺陣は緻密に計算された演出技術で、チャンバラごっことは訳が違いますし、今日平成の時代に於いて刀を腰にする文化は市井にはありません。
そんな文化の違いから幕末を体感出来る場として、流山新選組本陣跡・閻魔堂を「幕末を知るゾーン」にする企画をこの春から着手致しました。
具体的には、殺陣演武披露や和装して刀技や所作の基礎を体験する「武士体験」(武士入門)、今後の実施となります「歴史寺子屋」などのコンテンツの拡充ですが
ここで課題なのは多くの方が殺陣と言えば斬り合いを想定される事ですが、その時代ですら刀を抜けば墓穴二つ、斬る方も斬られる方も命懸けな事件で、些細な小競り合いでも司法当局の捜査やその記録を提出する義務がございました。
北総新選組が御披露するのはその殺陣の基本で、まして斬り合いの本格的なものはかなりの修練と安全性確保が絶対条件です。
自称殺陣師が多く、刀技の基礎どころか「実戦」も知らない輩が危険なチャンパラごっこをしている中で、本気の実戦を経験した鉄道輸送警備隊所管北総新選組は如何に受けが良いとしても、そんな遊びは許されません。
但し、林先生から直々に授けて頂いた「北総新選組専用の殺陣」もあり、その御披露に向けて要員の確保と修練を行っている次第であります。
また多く市販されて来た図書は創作や独自解釈による「通説」が溢れており、そもそもが新選組を知らない私共執行幹部からすれば、通史と比較して矛盾だらけでございました。
それでも年間平均一万人の御客様に御案内する役割もある観光ボランティアとしては、決して嘘は言えません。
歴史家として活躍されている大山格先生(国際関係・軍事史)とあさくらゆう先生(政治・個別史)の御支援と御厚意のもと、各種史料・資料から御指導を賜り創作の世界ですら忌避されていた「新選組流山転陣の顛末」についてほぼ全容が解明されて参りました。
それは地元や従前創作による新選組のファンとされる皆様には衝撃的なものかも知れませんが、「嘘」や「虚構」は御案内出来ません。
これまでも新たに解明された部分があれば、分析した上で「適性」を判断し解説内容を幾多変更して参りましたが、個々が大切にする「萌え」な幕末は、所詮フィクションでしかございません。
何故そんな事にこだわるか、と申しますれば、私共三十余年関与し続けているC623機に関して、巷間流布されている殆どの情報が空想や偏向であり、肝心な点が黙殺されて居りまして、その憤りを痛感し続けている鉄道輸送警備隊が北総新選組の母体だと言う理由がございます。
幕末と異なり、その目撃者で関与者で冷静密接に傍観出来た者達として、その「嘘」は到底受け入れられません。
それと方程式は同じです。
加えて百五十年前、この千葉県には確かに彼等が呼吸し歩いた事実がございます。
その名誉不名誉に関わらず客観的史実を知り、特定不利益となる影響の最も少ない内容でなるべく真実に近い歴史を御案内する事が、まさにの土地に呼吸していた人々への供養となる、と私共は考えます。
そして何よりこの十年、私共を支えて下さったのは流山新選組本陣跡=近藤勇陣屋跡の現所有であられる秋元様、老人会長の鈴木様、町会長の寺島様、本陣保存会の牧野様、富塚様、大塚様、呉服ましやの古坂様をはじめとした流山根郷の皆様の御支援御声援があればこそ、一切行政から資金を含めて表立った支援も無く継続出来たものであります。
更に、来年春に十年となるこの観光防犯ボランティア=北総新選組の次の段階への展開として、ようやく地域と密接した形態で流鉄利用促進の支援活動の試験的実施に着手致しました。
お祭り騒ぎをするだけでは三千万人巨大都市域に隣接するこの沿線の観光創造は実現しません。
簡単に申し上げれば、老若男女この土地にちょっとほっとして頂ける、ちょいと時間の流れが緩やかな、それでいて何時でも行ける、そんな人と人が気取らずに触れ合う場を点在させて、その点を帯にす事で「普段着でちょいと行ける柔らかい街の電鉄」の実現を目指したいと考えております。
簡単に言えば「頑固な変態」
無論、北総新選組にしろ鉄道輸送警備隊にしろ特定非営利活動法人交通文化連盟にしろほぼ全員は至って一般的な庶民ですが、永年関与しているメンバーはやはりどうしても経緯や経験から頑固な変態にならざるを得ません。
ただ、ボランティアはどなたでも御参加頂けます。
性別や経歴、居住地、趣味や事前の知識など全く関係がございません。
それには理由がありまして、例えば特定非営利活動法人交通文化連盟の活動の一つである北総新選組にしろ、全員が史実を勉強した上で解説をして殺陣を修練して・・・と言うものではございません。
刀技や所作を披露し御客様に御指導する者も必要ですし、史跡周辺を警戒する者、印刷物や掲示物を制作し配布する者、資材の運搬をする者、告知や広報の支援をする者、衣装や装備品の修繕をする者、それら運営の裏方をする者、その要員の監理をする者、全て揃って北総新選組なのであります。
また今後は「寺子屋」運営や新拠点の準備をする者、企画をする者とその実現を担う者も必要となります。
その中に創作も含め新選組や幕末を趣味とする者も必要です。
但しそれが必須ではありせん。
北総新選組にしろ鉄道輸送警備隊にしろ、掲げられた目標を個々のスタイルと楽しみと性格で実現する、その志を共有し悔しさも怒りも楽しみも喜びも同感出来る人間であれば・・・それと出来れば所定時刻に現場に着任出来る方ならもっと嬉しい(監理担当者の心叫)のですが、それ以下でも以上でもございません。
この活動は簡単に到達点が得られるインスタントなボランティアではございません。
但し、まさに教科書にも載りませんし勲章も貰えないものですが、確実に「日本の観光創造運動」を大きく牽引する先陣武将団として、最先端を疾走して居りますし、今後も「創造こそ使命」なのです。
確実にこれからの歴史を創る、その現場に立つ人間が北総新選組が求める人間なのです。
但し単なるコスチュームプレイのグループではございません。
そこに御客様がいらっしゃり、その適切な御案内と防災防犯をする事が任務の自主警備隊なのです。
(北総新選組の活動や予定などについては北総新選組ブログを必ず御確認下さい)
特定非営利活動法人交通文化連盟鉄道輸送警備隊 執行幕僚長 指令 吉野義将
平成25年09月18日、遂に全く夢の夢の夢でございました磁気浮上式高速鉄道の本格的実用計画が、初歩で一部で先行的であるものの発表されました。
終戦直後の運輸逓信省鉄道総局鉄道技術研究所でその種子が誕生して以来半世紀以上を経てリニアは実用化されます。
海外では実用化されているリニアウェイ、実は形態は異なりますものの、東京都営地下鉄大江戸線も「リニア」であります。
但し磁気推進方式で浮きはしないのですが、立派なリニアである事に間違いは無いでしょう。
始まりは日本国有鉄道
私共特定非営利活動法人交通文化連盟は、元来が昭和54(1979)年10月01日に発足した学生の鉄道など愛好者によるサークル「日本トレインクラブ」でありました。
当時から日本国有鉄道に就職を希望する者が中心で、実際に昭和55年頃より国鉄上野駅の学生臨時雇用員が会員として加わる様になり、その後国鉄を始めとして鉄道企業に就職する者を多く輩出しております。
昭和56年11月28日には北海道小樽市に静態保存されていた日本最大最速最美の蒸気機関車C623機を無謀にも復活させたいと夢の夢の夢の夢を抱いた一部メンバーにより組織内組織が生まれてこれが北海道鉄道研究会として後に独立化致します。
この北海道鉄道研究会は表面的には毎年夏に一ヶ月近く北海道内の鉄道乗り回しなど実に能天気な旅を定例として行っていたものですが、メンバーはほぼ全員「国鉄」で、内実には蒸気機関車の復元や団体専用列車の運転実施に関する研究や分析を行っておりました。
未成年者ばかりの若い衆団体が蒸気機関車復活運行には数億円が必要となる結論に突き当たるのに其れ程の時間は掛かりませんでした。
ならば銭は無理でもやるべき事はあるだろう、と北海道研設置と同時に実施していた自主警備が活動の中心となって参ります。
昭和50年代初頭から一部の鉄道マニアによる無謀な撮影行為による大小様々な事故は頻発しておりましたし、中には恐喝・詐欺・通貨偽造・有価証券偽造など完璧な犯罪となる行為も、学生層が被疑者にも被害者にもなりまま見られました。
特にメンバーは鉄道マニアが多く集まる上野駅で駅務をしていたもので、この表裏の「治安低下」は鉄道屋精神を大きく刺激し、民間の一市民として可能な限りの「防犯防災」をどうすれば実現出来るのか、など仲間内で討論していたものでありました。
後に鉄道輸送警備隊と名付けたこの完全市民セクターによる日本最初の鉄道輸送に特化したボランティアチームは、上野駅を始めとして関東一円で目立たない様にひっそりと活動を展開しておりました。
蒸気機関車運行で最大の懸案はこの防災防犯対策で、当時から警備会社ではこの事案に若干は抑止となっても防圧にはならない事を既に私共は知っておりました。
加えてその活動は偉いものでも輝かしいものでも無く、同じ鉄道ファンとして恥ずかしい行為を自主的に自浄する作用としてやらなければならないものであって、一部には端くれでも鉄道屋の意地であり、もう一部はそんな低劣となっている鉄道趣味に対する嘆き、そんな気持ちで各メンバーは手弁当でマニアの恨みを買いに休暇を使って出掛けていたものてす。
リアルに新選組な日々
国鉄に就職したい連中による組織でありました私共が、国鉄の新規採用停止によって「失業者決定」者の集団となる事が確定した昭和57年秋、その不安や憤りなどをぶつける「点」として団体専用臨時列車、つまりオーダーメイドによるイベントを画策致しました。
その間、鉄道輸送警備隊をどう実戦対処可能な、単なるボランティアさんの集まりからボランティアシステムとするか、さわりさわりと多々試験し分析し、と今日も続く明確な目的「列車の定時運行確保と無事故の実現」を根幹とした「休日だけの警備隊」となって参ります。
昭和60年になり具体的にどの方向で組織を展開するのかの方針を決議し、早速試験的実施となる団体専用列車の企画実施に動き、これが昭和61(1986)年08月16日に札幌~歌志内~上砂川~砂川間「そらち」号として実現致します。
この企画の目的は列車添乗警備の仕上げ的実施と、列車運営と言う概念の確立でありました。
「そらち」号では目的地の商工会と連携し企画に幅を持ちましたが、その一方で事後調査の途上、特定の土地に集中した企画は近隣市町村が「相乗」を敬遠する傾向もある事を知ります。
その頃、国鉄北海道総局小樽築港機関区を中心として、活発化していたC623機復元運動に接触しました。
簡単に言えば、幕末の新選組が京都守護職であった陸奥若松藩松平家(会津藩)の「御預」、つまり所管下となったものに似て、京都では無く北海道後志の山々に、徳川将軍てでは無く走将・C623機と多くの人々を守る為に、不逞浪士に似た素行不良な鉄道マニアを相手に戦うと言う、いわばリアルな新選組を実戦闘争を伴って再現していた様なものでありました。
昭和62年03月31日に奇跡的な自力走行状態へ復活したC623機は翌年04月29日から小樽~倶知安間で運行を実施。その当初の列車添乗警戒は関東から集まった北海道鉄道研究会鉄道輸送警備隊によるものでありました。
またリアル新選組の通り、数々のマニアによる威力業務妨害・詐称詐欺・暴力威圧などの事案を調査し制圧し、時には告発するなどして陰に徹した戦いを繰り広げておりました。
ところが妙な点までリアル新選組化してしまい、一部の鉄道撮影マニアによる北海道内のボランティアが主流となった運行主体組織の北海道鉄道文化協議会(ここが資金調達・運行主体で北海道旅客鉄道はその受託運行をしていたもの。)から「余所者は不要」とたたき出されてしまいまして、まさに「浪士集団」となった鉄道輸送警備隊は、既にC623機計画が健全で永続的な事業とならないと独自に「列車運営」を完成させるべく、オーダーメイド列車の試験実施に傾注して参ります。
一方では「小樽守護職」と言うべき北海道鉄道文化協議会中枢と連絡を緊密化させ、「その次のシロクニ」を画策し始めます。
そんな粗雑で責任所在の不明確な企画は平成07年11月03日に運行を終結させて、翌年には「倒幕」されてしまいます。
この内乱をつぶさに、或る意味で完全に傍観出来る立場であったからこそ、「C623」に誰が何だったのか、明確に観察する事も出来ましたし、同時にこの巨額を投じた画期的に完全民間資本による観光創造型インフラ活用策は、その近隣に生活する人々には其れ程に大きな影響も及ぼさず、ましてや北海道の観光旅客流動を変化させるまでにも至らなかった事が理解出来もし、これは私共には深刻で大きな衝撃でありました。
どれだけ大騒ぎをしても・・・実際、運行日には沿線80キロに平均して少なくても千人、多ければ二万人が集まりカメラを向けていたものの、その沿線の駅前に住む大多数の人々には単なる七年でしか無かったのです。
浪士の挑戦は模索の連続
万キロを超える列車運営や保安警戒の実績を重ねた私共がようやく「本来の目標」を見出したのは平成も十年を過ぎた頃でした。
観光旅客を単に集めるだけでは何も変わらないし、年に一度のイベントでは結局「産業」を創り出す事も出来ない、もっと言えば「箱モノ」観光施設は的確に大規模にしなければ継続的な実益は得られず、何よりその土地に住む人々が多角的に関与し、加えて「足」と「安心」が無ければ観光地など成立しない、その原則を激痛と引き換えに体感出来たのは不幸中の幸いでした。
一方で全国のローカル鉄道は危機的状況にありまして、私共の地元とも言える千葉県の総武流山電鉄(当時)も将来的展望は暗いとの話を多々伺っておりました。
全く知らない土地でも無く、今日も続く鉄道模型イベント「レールフェステ」が国鉄南流山駅発祥である事などから流山駅を散策し、改めて見回した時にこの沿線で「全国区的観光要素」が新選組と小林一茶、小金城くらいなもので、肝心の新選組史跡=近藤勇陣屋跡は駅から徒歩五分もしないのに住宅地の路地に面して辿り着け無い人も多いと伺い、翌年の大河ドラマが新選組となる情報もあり、ここで地道な、私共としては全く未知なポイント型観光ボランティアをやってみようと言う事に平成15年夏になりました。
目的は先ず、流山電鉄の観光旅客実利用の増加と流山駅近辺の観光来訪者誘引、次にその域内滞留時間の延長、続いて流山線そのものの観光資源化で、ここは完全市民セクターの強さで縦横無尽に何でも出来たのです。
また「そらち」号で経験した特定の市町村に特化した企画ではその効果範囲が狭隘となり、結果として企画が継続しない弱点も知っていたものですから、むしろ「余所者」の「浪士集団」が最適だと考えたものです。
平成14年に特定非営利活動法人とその組織形態を改編していた私共は、それまでの日本トレインクラブ・北海道鉄道研究会のスタイルを踏襲して現場運営はあくまで鉄道輸送警備隊の管轄とするものとしておりました。
平成16年03月初頭、流山駅頭に立ちまして観光案内を始めたものの、実態として鉄道があるのに近藤勇陣屋跡にお越しとなる観光旅客はその八割が自動車か自転車で、当時その陣屋跡で土日祝日のみ臨時売店を展開していた商工会第二支部の皆様や、現所有者である秋元様の御厚意もありゴールデンウィークからその「現地」で観光案内カウンターを設置させて頂き、定型通年型現場案内を開始したものであります。
新規のボランティアスタッフはそんなに来ないだろうが筋骨隆々体育会系男子が若干は加わるだろうと想定していたものの、集まって来たのは中学一年生の女子、それも三十人が夏までには登録し、私共は全てに於いて未知の活動に埋没して参ります。
それは模索の連続でありました。
フリー切符実現が目標、でした
北総新選組は前述の様な経緯により形作られたもので、新選組ファンは居りますがそのファン組織ではございません。
また主題はあくまでも流鉄そのものが観光資源となる事でありまして、この首都圏にありながら全区間単線二両固定編成の電鉄に如何に多くの御客様にお出で頂くかが課題です。
その代表的な活動として流鉄の電車引退時の花束贈呈がございます。
丁度運用車両の交換時期となる頃にこの流山新選組本陣跡の史跡運営事業を始めたもので、ほぼ全ての編成が十年以内に交換されると伺い、せめてその盛り上げの支援として花束贈呈をさせて頂きたいと申し出たのは平成17年の事でありました。
この間にも新選組サミットと言うイベントに関係して、茨城県鹿島鉄道での添乗警戒など支援させて頂いておりましたが、あくまで北総新選組は鉄道輸送警備隊の一部隊であり、むしろ防圧・制圧・犯罪捜査支援と言う実戦経験を持つ「新選組」は全国的にも珍しいものでございます。(全国新選組サミット協議会加盟組織などから調査)
北総新選組を通じて私共が根幹の主眼は「公的資金に依存しない市民力を中核とした継続的な地域密接連携となる帯型の観光創造の方程式を確立する」ことで、近々には「流鉄にフリー切符が出来るまでは続ける」なんて言っておりました私ですが、この平成25年06月15日にそれが発売されてむしろ大慌てをしております。
どんな形にしろ、この鉄道に乗ってこの沿線の駅を降りて頂く事が肝心です。
その街に何か個々の心安らぐ或は心躍る空間を発見して頂く事が何より必要なのです。
現状の北総新選組
大河ドラマの殺陣武術指導者として、また現役最年長の殺陣師として活躍されている林邦史朗先生に殺陣をお教え頂いて五年以上が経ちました。
原則として殺陣は緻密に計算された演出技術で、チャンバラごっことは訳が違いますし、今日平成の時代に於いて刀を腰にする文化は市井にはありません。
そんな文化の違いから幕末を体感出来る場として、流山新選組本陣跡・閻魔堂を「幕末を知るゾーン」にする企画をこの春から着手致しました。
具体的には、殺陣演武披露や和装して刀技や所作の基礎を体験する「武士体験」(武士入門)、今後の実施となります「歴史寺子屋」などのコンテンツの拡充ですが
ここで課題なのは多くの方が殺陣と言えば斬り合いを想定される事ですが、その時代ですら刀を抜けば墓穴二つ、斬る方も斬られる方も命懸けな事件で、些細な小競り合いでも司法当局の捜査やその記録を提出する義務がございました。
北総新選組が御披露するのはその殺陣の基本で、まして斬り合いの本格的なものはかなりの修練と安全性確保が絶対条件です。
自称殺陣師が多く、刀技の基礎どころか「実戦」も知らない輩が危険なチャンパラごっこをしている中で、本気の実戦を経験した鉄道輸送警備隊所管北総新選組は如何に受けが良いとしても、そんな遊びは許されません。
但し、林先生から直々に授けて頂いた「北総新選組専用の殺陣」もあり、その御披露に向けて要員の確保と修練を行っている次第であります。
また多く市販されて来た図書は創作や独自解釈による「通説」が溢れており、そもそもが新選組を知らない私共執行幹部からすれば、通史と比較して矛盾だらけでございました。
それでも年間平均一万人の御客様に御案内する役割もある観光ボランティアとしては、決して嘘は言えません。
歴史家として活躍されている大山格先生(国際関係・軍事史)とあさくらゆう先生(政治・個別史)の御支援と御厚意のもと、各種史料・資料から御指導を賜り創作の世界ですら忌避されていた「新選組流山転陣の顛末」についてほぼ全容が解明されて参りました。
それは地元や従前創作による新選組のファンとされる皆様には衝撃的なものかも知れませんが、「嘘」や「虚構」は御案内出来ません。
これまでも新たに解明された部分があれば、分析した上で「適性」を判断し解説内容を幾多変更して参りましたが、個々が大切にする「萌え」な幕末は、所詮フィクションでしかございません。
何故そんな事にこだわるか、と申しますれば、私共三十余年関与し続けているC623機に関して、巷間流布されている殆どの情報が空想や偏向であり、肝心な点が黙殺されて居りまして、その憤りを痛感し続けている鉄道輸送警備隊が北総新選組の母体だと言う理由がございます。
幕末と異なり、その目撃者で関与者で冷静密接に傍観出来た者達として、その「嘘」は到底受け入れられません。
それと方程式は同じです。
加えて百五十年前、この千葉県には確かに彼等が呼吸し歩いた事実がございます。
その名誉不名誉に関わらず客観的史実を知り、特定不利益となる影響の最も少ない内容でなるべく真実に近い歴史を御案内する事が、まさにの土地に呼吸していた人々への供養となる、と私共は考えます。
そして何よりこの十年、私共を支えて下さったのは流山新選組本陣跡=近藤勇陣屋跡の現所有であられる秋元様、老人会長の鈴木様、町会長の寺島様、本陣保存会の牧野様、富塚様、大塚様、呉服ましやの古坂様をはじめとした流山根郷の皆様の御支援御声援があればこそ、一切行政から資金を含めて表立った支援も無く継続出来たものであります。
更に、来年春に十年となるこの観光防犯ボランティア=北総新選組の次の段階への展開として、ようやく地域と密接した形態で流鉄利用促進の支援活動の試験的実施に着手致しました。
お祭り騒ぎをするだけでは三千万人巨大都市域に隣接するこの沿線の観光創造は実現しません。
簡単に申し上げれば、老若男女この土地にちょっとほっとして頂ける、ちょいと時間の流れが緩やかな、それでいて何時でも行ける、そんな人と人が気取らずに触れ合う場を点在させて、その点を帯にす事で「普段着でちょいと行ける柔らかい街の電鉄」の実現を目指したいと考えております。
簡単に言えば「頑固な変態」
無論、北総新選組にしろ鉄道輸送警備隊にしろ特定非営利活動法人交通文化連盟にしろほぼ全員は至って一般的な庶民ですが、永年関与しているメンバーはやはりどうしても経緯や経験から頑固な変態にならざるを得ません。
ただ、ボランティアはどなたでも御参加頂けます。
性別や経歴、居住地、趣味や事前の知識など全く関係がございません。
それには理由がありまして、例えば特定非営利活動法人交通文化連盟の活動の一つである北総新選組にしろ、全員が史実を勉強した上で解説をして殺陣を修練して・・・と言うものではございません。
刀技や所作を披露し御客様に御指導する者も必要ですし、史跡周辺を警戒する者、印刷物や掲示物を制作し配布する者、資材の運搬をする者、告知や広報の支援をする者、衣装や装備品の修繕をする者、それら運営の裏方をする者、その要員の監理をする者、全て揃って北総新選組なのであります。
また今後は「寺子屋」運営や新拠点の準備をする者、企画をする者とその実現を担う者も必要となります。
その中に創作も含め新選組や幕末を趣味とする者も必要です。
但しそれが必須ではありせん。
北総新選組にしろ鉄道輸送警備隊にしろ、掲げられた目標を個々のスタイルと楽しみと性格で実現する、その志を共有し悔しさも怒りも楽しみも喜びも同感出来る人間であれば・・・それと出来れば所定時刻に現場に着任出来る方ならもっと嬉しい(監理担当者の心叫)のですが、それ以下でも以上でもございません。
この活動は簡単に到達点が得られるインスタントなボランティアではございません。
但し、まさに教科書にも載りませんし勲章も貰えないものですが、確実に「日本の観光創造運動」を大きく牽引する先陣武将団として、最先端を疾走して居りますし、今後も「創造こそ使命」なのです。
確実にこれからの歴史を創る、その現場に立つ人間が北総新選組が求める人間なのです。
但し単なるコスチュームプレイのグループではございません。
そこに御客様がいらっしゃり、その適切な御案内と防災防犯をする事が任務の自主警備隊なのです。
(北総新選組の活動や予定などについては北総新選組ブログを必ず御確認下さい)
特定非営利活動法人交通文化連盟鉄道輸送警備隊 執行幕僚長 指令 吉野義将