子どもの頃の季節感を妙に明確に覚えている私。木の葉の色づきも、朝窓を開けたときの寒さも、11月上旬はもっと秋もたけなわ、着実に冬に近づいていたと思います。
それでもわが家の庭にも枯れ葉が積もるこのごろ。
私の仕事は、まったくもってムラがあり、今はなかなか終わらない原稿に追われています。気づくと日が暮れて暗くなり、洗濯物を取り込まなくちゃ、掃除しなくちゃ、晩ごはんのことどうにかしなくちゃ、と焦ります。
何かに追われるこの感じ、〆切りのある仕事に追われているときだけのことだろうか、と考えます。
出版社勤めのころ、今から思えば時間的にはブラック企業並の働き方をしていました。夫は一般的な働き方だったので、私のような深夜残業や休日出勤はなく、もっと家事を手伝ってほしいというのが慢性的な不満でした。このことで衝突することはしばしばで、そんなある日、夫が言った言葉があります。「女性は、生き方が自由だけれど、男性は、特に結婚したら、現金を得るために働き続けるのが普通。うちもおそらくその道を行くわけだから、俺は長距離ランナーなんだ。あれこれ欲張ってエネルギーを使い果たしたら倒れてしまうんだ」
男女のあり方の多様性が言われる中、古くさい、というのも事実ながら、そのときの私はもやもやとこう考えました。たしかに子どもが生まれたらおそらく私のほうがめんどうを見るのに向いている、夫の海外赴任などが決まって生活が一変することになったら、たしかに私が料理や家の中を整える担当をしたほうが向いている。私のほうが変化に富んだ人生になるかも。そもそも男性のほうが企業で現金収入を得るには、手堅い制度が多いし……だからって、へとへとの私が負担する家事のほうが多いって?腑に落ちない。
今は、明確に反対意見を言葉にできます。長距離ランナーはどっちだ?いや女性も男性も関係なく長距離ランナーだ!
会社を辞めて、海外赴任にも帯同して、最近は仕事がない期間も多くて、つまりは専業主婦の期間も経験してきたけれど、だけど、それはそれで自分を気持ちで支えるために何かしているし、ましてや閑だったことなんて一度ない。家事は、どんなに仕事が忙しかったときも、外での仕事がないときも、同じようにやるべきことが待っている。それもオンオフなし。24時間、365日、何かしら、ある。つまり、家事、という言葉になっているが、生きるための仕事なです。動物が子育てをしたり、巣の安全を保ったり、細菌やウィルスからの感染を防ぐために清潔を保ったりすることに当たります。餌を探してくること、これが人間的には現金収入を得ることに当たるなら、同等に必要。
ニンゲン様は、便利を追求するから、一見、家事はラクに済ますべきことのように考えられがちですが、暮らしをきちんとする、これはとても重要なことです。きちんとの仕方は人それぞれなのが、ニンゲン様の社会であることはまちがいないけれど、やはり暮らしは大切です。
身体が動く限り、家事はします。これぞ長距離ランナーではないか。
当時の夫に言い返したいなぁ。そのとき、できるほうが巣を守るのです。
だから、原稿に追われて、あっという間に夜が来るこの頃も、掃除はします。庭も掃きます。いつだって変わりません。
庭掃除をしたら、つぼみだったツワブキが黄色い花を咲かせていることに気づきました。

