とても音楽的、ピアノ的なお話しです。

 

学生時代の頃、ドビュッシーは聴くのは好きですが、

弾くのはどう弾いて良いか分からず、弾くのは好き

ではありませんでした。

 

昨日もレッスンで近現代の「フランスの花々」の中の

1曲を生徒さんとレッスンしていたのですが、

 

「なぜフランス物が弾きにくいのか」。

 

 

昨日のレッスンで説明してい、自分でも納得できた

ので書いておこうと思います。

 

昔は先生から古典派とロマン派の違いや、

感じ方の違いなどあまり習えませんでした。

奏法の違いは教えていただきました。 

 

だからモーツアルトやショパンは歌えても、

ドビュッシーはどう歌うか、が分からず悩みました。

 

昨日レッスンはモーツアルトのソナタと、

タイユフェールのフランスの花々から1曲の

レッスンだったのですが、モーツアルトは作曲

する時、そのメロディやリズムが

 

「湧いてくる」「浮かんでくる」、

 

だから現代の私たちが弾く場合、気持ちを込め

やすい、弾きやすいのだと思います。

 

湧いてくる=自然 だからです。

 

これはショパンやベートーヴェンもある意味同じ

だと思います。

 

 

ところが「見たものを曲にしたい」と思って作られた

曲は、どこか客観的で歌いにくい。又は歌い方が

違う、のだと思います。なぜなら湧いてきたメロディ

とは違い、「意図的」だからです。

 

もちろんメロディは湧いてきたのだと思いますが、

動機が違います。

 

 

そして近現代は聴いただけで、映像が浮かぶ

ように感じてほしいため、「音色」を創る方に

パワーがいるのだと思います。

 

文字に書きにくいですが、「モーツアルトらしい音色」

と言うのはもちろんあります。

 

でもドビュッシーの月の光を弾く時の音色の創り方は、

「モーツアルトらしい音色の創り方」とはまた違います。

そしてそこが、ピアノを弾いていて面白く楽しい

部分だと思います。曲の創り方が違うからです。

 

 

創り方という言葉が適切かどうかわかりませんが、

その「創る」には「気持ちが入る」「うたう」という部分と、

客観的に「音色を創る」という部分に分かれ、それぞれの

時代、作曲家に応じてその創り方を変え、味わい方、

楽しみ方が分かると、本当にピアノは面白いな、楽しいな

と思えるのだと思います。

 

弾いて説明できないのでややこしいですが、

ピアノって楽しいなと思ったレッスンでした。