以前音楽療法のために行っていた心療内科には

臨床心理士さんが複数おられました。その心理士

さんたちが話していたことで、小耳にはさんだ事が

あります。

 

別の言い方をすると、たまたま聞えてきて印象に

とても残ったことです。

 

聞えてきた内容は

 

「親と確執があって疎遠になっていた子供が、

親が死ぬってなった時、急に帰ってきて、

お母さんごめんねとか、仲直りしたとかって

よくある話だよね」

「ほんと死ぬ時になって、仲直りしたって
しかたないのね。それじゃ遅いんだけどね。。。」

 

これを聞いていたその時の私の感想は、

「この心理士さんたち覚めてるな~。

死ぬ寸前でも親子なんだから仲直りできた

ほうがいいんじゃないの」と思いました。

 

そして今日はこの事にとても関係する重要な

お話し。

 

なぜ親が死ぬ時、子どもは急に帰ってくるので

しょうか。

 

非常に冷静に取ると、「最後でもう会えない」

「悪いことをしたけど謝れなかった」と思って
いる場合もありますが、自己本位にとると

 

「このまま別れては自分に悔いが残る」

「後味が悪い」

 

と思って親に会いにもどる子供も、本心的には

多いのではと思います。そしてこれをもう1歩

深めて考えると、なぜこうなるか。

 

もちろん親が悪いからそうなった場合もあり
ます。しかしそれでも本当に仲直りしたいなら、

やはり元気なうちに、死ぬ直前ではない時に、

親に会いに行くべきではないでしょうか。

臨床心理士さんの言っていた通りですね。

 

 

さてこれは大きな目で見ると、

「相手の立場に立っていない」という事に

なります。

 

親はどんどん年老いて、思考能力も体の健康度も

衰えていくのです。これは少し考えればわかる事

です。思いやりもなくなっていると思います。

 

 

ご長寿が増えた現代、「命」を身近に考えて生きて

いる人は、病気をされている方以外では、あまりい
ない世の中です。

 

 

今が戦国時代の武士なら、明日死ぬかもと思って

毎日過ごしていますし、モーツアルトやショパンでも

30代で亡くなっていたのは、やはり病気が治らない、
衛生面などが昔は非常に悪いことがあげられる

からです。食生活も乏しかったでしょう。

 

彼らも今思えば早死にですが、この時代はこのくらい

の歳で亡くなるのが、普通だったようです。

 

そんな意味では現代は「命」について身近に感じる

ことはあまりなく、だからどんどん親孝行は消え、死ぬ

時になって「死ぬんだ!」と思って、子どもが急に自分を
改め、親に会いに行く。

 

これは本当に命を身近に感じていた時代からすると、
先を感じていない、命を大事に思っていない、先を想像
できな現代人がとても多いという事になります。

 

 

そしてこの「先を感じる」「相手(親)を大事にする」「想像する」

が欠けていることが、「人間の低年齢化」だと思います。

 

私が大学を出たばかりの頃にレッスンしていた生徒さんに、

「田中さん」というお嬢さんがいました。よく練習しまじめな

かわいい女の子だったのですが、小学校2年生で誰にも

聞かず(お母さんはピアノができませんでした)、一人で

ちゃんと譜読みをし、「エリーゼのために」が弾けるように

なりました。

 

 

間違った音やリズムはたくさんありましたが、

間違った音で上手に弾いてきましたビックリマーク  つまり

 

「自分なりに一生懸命努力した後があった」という

 

事です。これは

 

1、先生に叱られる?

2、うまくなりたい!

3、これを弾きたい

 

と思う意識があったから練習してきたのですが、

よく考えると、1~3は全て「想像力」です。

 

たぶんこの田中さん、今はもう立派なお母さんに

なっておられると思いますが、その時の田中さんは
今の2年生と比べると、5歳ぐらい年上のように思い
ます。

 

自分で考え、それになりに先を見通し、

自分で戦ってきた田中さん。立派でした。

そして「大人」でした。

 

 

社会全体的に自己主張が強く、想像力が下がり、
人を思いやれない傾向が強くなっている現代。

 

通り魔殺人やモンスターペアレントが増えるのも、

人の低年齢化で、自己中心的な考えしかできない

からではないでしょうか。これ以上世の中が、悪く

ならないようになってほしいものです。

 

親孝行=思いやり=相手(親)の先を考えた
「思い」、「行動」だと思います。

 

精神年齢を上げたいものですね。