私は小さい頃から母に

「感謝しなさい」と、日々「感謝」を

色々な意味で教えられました。

 

その頃は「うるさいな」と、恩着せがましく

思ったものです。そしてそれが嫌で、

私は自分の娘たちに「感謝」について、

あまり言いませんでした。これは失敗だった

かなと思います。

 

 

しかし「感謝」とは今思うと、

 

「喜びを教える事」

 

だと思うのです。

 

教えてもらってよかったね。

美味しいものを食べられて嬉しいね。

人からこんな事をしていただいてありがたいね。

 

感謝とは喜びです。

 

時代が貧しい頃、ちょっとしたことでも嬉しかった。

戦争があったころは、互いに人を思い合った。

物がなかった時代、卵1つでもご馳走だった。

 

 

かの松下幸之助さんが言った名言。

 

「神様は私に3つの素晴らしいプレゼントを下さった」

 

1つは病弱だったこと、

もう1つは家が貧しかったこと、

3つめは小学校しかでていなかったこと。

 

普通の人が「不幸」と呼ぶものを、松下さんは

3つの素晴らしいプレゼントととって、

「これらがなかったら今の自分はない」

とおっしゃったそうです。

 

これは裏を返せば、この不幸な3つが

「自分を成長させた」という事になります。

 

時代が貧しいと、全ては自分のせい、

自分がちゃんとしないといけない、と

感じ、人のせいにしません。

 

松下さんは家が貧しかったことや、小学校

しか行けなかったことを、親のせいにして

いません。

 

昔は兄弟が多いと、親がちょっとしてくれた

ことでも、とても嬉しく親に感謝したのだと

思います。

 

先ほどNHKを見ていたら「毒親」の

特集をしていました。もちろん変な親もいる

でしょう。

 

でも「毒親」という言葉のブームで、親が

可愛がってくれた記憶は忘れ、また親への

礼儀や感謝も忘れ、被害者意識だけが

発達したのではと思います。

 

ネットが発達した今、なんでも比べ、批評し、

すぐに審査員や評論家になり、

「審査する立場」に誰もがなります。

 

全て「上から目線」です。だから謙遜や

謙虚、相手を立てるという行為や心が

無くなり、被害者意識だけが残り、それが

攻撃性に変わりクレーマーやモンスター

ペアレントが増えるのだと思います。

 

先日も優先座席の真ん中にあぐらをかいて

座り、必死でゲームをしている高校生が

いました。彼が普通に座ればもう1人

座れます。

 

悪気ではなくても、公共の場と言う礼儀、

もう1人座れるかも、と言う察する心は

育っていないのだと思いました。

 

これはやはり感謝が足りない、感謝を

教わっていないからだと思います。

 

平和、物が豊か、これは素晴らしい事なのに、

人の心を成長させず、傲慢にさせます。

 

反対に戦争、貧しい、物がないは、

人の心を育て謙虚にするのだと思いました。

 

「審査する立場」にばかりならず、ささいな

ことにでも感謝する気持ちを忘れないで

いたいと思います。

 

亡き母が言っていました。

「いくちゃん、今も世界のどこかで戦争で

苦しんでいる人がいるんですよ」

「今日も貧しくて、ご飯が食べられない子も

いるのよ」