ある本を探していて、たまたま「毒親」という本が

こんなにあるのかと思うほど、出版されている

ことに驚いた。

 

虐待が騒がれ、どんどん増える中、反対に

親を捨てる子供も多い。子供と言っても大人だが。

 

 

捨てる、と思っていなくても、年老いた親を

 

高齢者施設に入れたまま全然会いに行かない、

デーサービスに来た高齢者の体があざだらけ、

 

等は、子供の虐待と同じだけいるのではないだろうか。

 

 

少子化が進むため、子どもの虐待だけが取り上げら

れ、その反対は取り上げられないような気がする。

 

 

高齢化が進むことは、生態系から言えば不自然で、

現に親を殺す殺人事件はあるサイトによると、

昭和25年の5倍増えているそうだ。

 

 

介護疲れから親を殺してしまうという事ではなく、

現代の暴力性がそうさせている、と私は感じてしまう。

 

現に事件になる親殺しは、介護疲れからくる殺人など

より、お金が欲しいなどの、自己中心的殺人の方が多い

かもしれない。

 

 

子どもの虐待も、やはり人が暴力的になっているから

ではないだろうか。そんな中面白い記事を見つけた。

 

 

毒親ブームの背景には何があるのか

 

 

という記事だ。そこの一説をお借りすると、

 

>故なら家族以外の人付き合いが乏しい方が

増えてるのですから、蓋然的に家族が持つ関係性の

ウェイトは当然重くなっていると考えられます。

 

そして人間関係における家族のウェイトが重くなった

からこそ、親がどうであるか?の重要性があがり

「毒親が~」と騒ぐ方も増えたのだと、自分は推測しています。

 

 

本当にそうだと思う。昔は大家族で、そこにご近所がいて、

いろんな人が子育ても助け、それ以外の生活にも関わり、

色々な意味で助け合ってきたのが日本だと思う。

 

 

だから以前は良い意味の「資本主義である社会主義」

だった日本。

 

 

ところが核家族になり、「いちいち良い親とは」と

話題にされることが多くなったが、「良い子供とは」と

話題になることはないし、昔は近所に一人や二人

変なおじさんがいたり、「雷親父」「怖いお父さん」は

普通に存在した。

 

また普通は親に感謝した。たとえ悪い親でも、

親を尊び感謝する子供が多かった。これは

やはり良い意味の「資本主義である社会主義」

であったからではないか。

 

 

これらはある意味、子供が王様になりすぎた

せいではないかと私は思う。だから学校への

苦情が殺到したり、何でも先生のせいにする

モンスターペアレントが増えているのではない

だろうか。

 

 

また毒親と叫んでいるのは女性が多いとか。

そこでこんな記事も見つけた。

 

メンヘラ女

 

メンタルヘルスから来ている言葉のようだが、

こちらも現代を表す言葉、人間性だなとつくづく

思った。

 

 

無差別殺人のように、全然自分と関わりのない

人を殺すような、殺人鬼が増える現代。

 

 

これは今日書いた総称として、人は確実に

暴力的になってきているのだと思う。

 

 

歴史は繰り返す。

母が言っていた。「戦争はまたあるよ」。

 

人間が暴力的になってきた時、戦争は起こる。

そして戦争を経験して初めてやさしくなる。

相手を思う。

 

戦争が起きないと人は分からないのか。

 

こうやって人は何百年も、何千年も生きてきた。

なぜ遺伝子で「やさしさ」を継続できないのだろうか。

そうすれば戦争なんてなくなるのに。

 

なぜやさしさ、思いやりは自然に心から減って

いくのだろうか。神様に聞いてみたい。

 

 

今日はあまりに「毒親」という本が多くて、

悲しくなった。