皆様、今世の中から消えつつある言葉が
たくさんあると思いませんか。
もちろん言葉だけではなく、「心」が消えつつあります。
尊敬、愛情、思いやり、親孝行、
人を立てる、目上の人を思いやる。。
これらは全て
与える愛、自分の心の中から湧いてくる愛
です。
どうしてこれらが減ったのか。
今日は少し告白のようにもなりますが、
私自身子育ては失敗だったかと、深く反省して
います。
その理由は「思いやり」を意識して育てなかったこと。
これは人としてとても重要な事です。
私は自分自身が母が年をとって生まれた子供でした。
今考えるとそんな方はいくらでもおられますが、主人の
母(姑)と比べると、私の母は20才も年が違うので、姑が
主人のお姉さんのように最初は感じました。
若い!
そんな環境で育ったので、自然と私は両親をかばい、
いたわり長生きしてほしいと願いながら成長しました。
人に対する感覚が、一世代古いとも感じました。
また学校の参観日などで、母を見た友達が
「おばあちゃんがきたの?」
と聞かれたことが何度かあり、それがその頃はとても
嫌で、若くてきれいなお母さんを見ると良いなぁと思い
ました。そんな意味では若い母を持つ主人が、とても
うらやましかったのです。
そして自分は早めに子供を産みたい、いつまでも
若い親でありたい、自立して情けない姿、特に
年寄っぽくならない親でいようと、無意識に思うように
なっていきました。
ですので子供たちにもいつも元気で、前向き、
若いお母さんを演出しました。娘たちには
厳しいお母さん、怖いお母さんだったと思いますが、
理想は「若くて元気なお母さん」。
しかしそれは「思いやり」の心を育ませなかったと
今では後悔しています。例えば電車で席が空くと、
私が立って、子どもたちを座らせるタイプの親でした。
これは親心で座らせたのですが、お母さんを座らせる
事で「母を思いやる心」が育ちます。言葉で書くと
微妙で誤解を招くといけませんが、こんな「思いやり」も
行動を伴って子供たちに体験させないと、心は育たない、
自分本位になるんだとつくづく思います。
ですので先ほどの電車を例にとると、子どもは自分が
座らせてもらってばかりいると、「自分が座って当たまえ」
になり、母親を思いやる心が育たず、例えば母親が重い
荷物を持っていても、持とうしない子供なってしまいます。
母親が座って子供を立たせると、「自分本位な母親」と
自分自身で思ってしまい、つい子供たちを座らせて
しまいますが、それは同時に
子供から思いやりの心が育つチャンスを失わせている
ということになるのだと思いました。
お母さんがひ弱、わがままでいうのではなく、
助け合う、思いやる、親をたてる、目上の人を
敬うなどの気持ちは、そんな席を譲るような
些細な日常の行動から生まれる、育まれる
のだとつくづく思います。