私の小さい頃は学校で、「道徳」という授業が
ありました。学校で人との接し方や勉強に
対する態度、目上の人や困った人を助ける事。
この他にもいろいろありました。
どうしてこんな良い授業がなくなってしまった
のでしょうか。
家で親から私は、
人に迷惑をかけない
親を尊敬する、親をたてる、
姉妹仲良くする、友達と仲良くする
物を大切にする、
学校や社会の決まりを守る。
他にもいろいろ習い、教えられました。
しかしこれらはどんどんなくなり、
「先生を尊敬する」等という事は、もうないのかな、
と最近感じます。
先生とインストラクターの違いは何でしょうか。
先生はサービス業でしょうか。
また自分を大切にしない子供も増えています。
「命」とは「生きている時間」です。
それを無駄に使う事は神への冒涜だと
思います。私宗教は何もやっていませんが、
神様、仏様はいらっしゃると思っています。
与えられた命の時間を大切に、前向きに
使いたいものです。
昔子供がたくさんいたころ、親は1人ずつの
子供を気持ちはあっても、そんなにかまえ
なかったかもしれない。
そんなころの子供はかまってほしいからかも
しれませんが、親を敬い大事にし、そして
どんなに貧しくとも自分も大事にしていた。
その証拠として、そのほとんどの子供が
希望を持ち、どんなに貧しくても歯を食い
しばって「良くなろう」と努力していた。
前向きだった。
ところが子供の数が減り、親の手が行き届き
すぎると、耐えられない、すぐに投げてしまう、
親を敬わない、希望を持たないなどの子供が
増えているように感じます。
つまり子供の頃経験した我慢の量が、うんと
少ないんですね。また我慢の積み重ねもない。
その結果が自分本位になり、礼儀がなくなる。
感謝がなくなる。
礼儀とは社会の秩序を守る、という事のほかに、
人と人をつなぐルールでもあると思います。
今そのルールがなくなってきているから、
社会がおかしくなったり、人間関係にひずみが
出来たりするのだと思います。
教室に来たら大きな声で「こんにちは」と、
奥にいる先生に聞こえるように言いなさい。
靴はこっちに向けて脱いでそろえなさい。
先に楽譜を出し、呼ばれたらすぐレッスンに
いける用意をしておきなさい。
返事はちゃんとしなさい。
目を見てものを言いなさい。
。。。
こんな事は家庭のしつけです。
そして社会としての礼儀です。
なぜこんなことができないのでしょうか。
幼稚園児ができる礼儀を、それ以上の
子供たちができない社会になりつつあります。
家庭でもっと、「家庭の責任」として、
礼儀を教えてほしいです。