このところ、子育ての悩みや問題を
実感することがありましたが、それらは

総じて「親育て」と感じます。

 

ピアノのレッスンや子育ての問題で、

子供に問題がある場合、それはほとんど

「親の問題」です。

 

例えば親の判断力。

「この子に決めさせます」

「この子が嫌がるので。。」

 

もちろん本人の気持ちを尊重することは

大切です。しかし子供の判断が100%

正しいとは限りません。また全て子供の

判断に任せるなら、親は要りません。

 

何のための親でしょうか。

判断力は親と子供とでは、何が違うのでしょうか。

 

それは親の判断には経験と知識が加わり、好みだけ

ではないより良い判断が、経験のない子供より

できるという事ではないでしょうか。

 

子供に好みとしての判断があっても、親として

生きてきた経験からそれが間違っていたり、

良くない場合は反対すべきだと思います。

 

 

そしてもう1つが大切な事が「管理力」。

子供を管理できない親が増えています。

 

昔は兄弟が多かったり、時代的に我慢する

事が多かったため、「自分の自由」が今より

なかったと思います。

 

それは裏返すと「時代に管理されていた」と

いう事にもなります。それが今では、兄弟も

すくなく、時代も豊かになり、

・なんでも自分で選べる

・何でも自分で決められる

となってきました。

 

すると我慢することが減り、管理される事が

とても大変、窮屈と思われるようになってきました。

 

またその「我慢」が以前は「自主的」でした。

「うちは貧乏だから〇〇を我慢しよう」等の

ような事は、ごく普通で誰にでもある事でした。

また

「お母さんのためにこれをしてあげよう」

「妹に私の分をゆづろう」

なども、ごく自然とありました。

 

しかし今はそれがあまりありません。

そして「我慢させられている」となってきて

います。

 

さらにそれら我慢させていることが、親に
とって、「自分の責任」という観念が減っきました。

だから学校のせいにしたり、

「お金を出しているのだからやってもらって当たり前」

のような状態になってきています。

 

少し前なら何か不祥事があると親は、

「自分のせい」

「自分の教育が至らないから」

と、例えば学校の先生に文句を言いに

行くようなことは、謝りに行ってもなかったと

思います。

 

これはひとえに親の管理能力が下がったから。

お金で解決しようとする人が増えてしまったからです。

つまり自分が管理せず、お金に(人に)管理して

もらっているという事です。

 

昔はお金がなかったから、親は自分で何とか

するしかなかったのではないでしょうか。

 

ちゃんと宿題をする、

決められたことはきちんと行う、

人に迷惑をかけない、

挨拶をちゃんとする、

人の気持ちを考える、

 

これらのほとんどが、家庭教育です。

つまり親の子供への管理能力。

 

 

昔の親が偉かったと思うのは、私の独断と偏見

でしょうか。