今日は少し残念モードのお話です。
私は最近つくづく日本から、喜び、感謝が
減ったと思います。
例えば習い事。
私の小さい頃は習い事を1つやっているのが
普通で、何もやっていない人もたくさんいました。
2つやったとしても、1つをやめて次に何かを、と
いう時代。また1つ習い始めたら、そう簡単に
「やめてはいけない」という親がほとんどで、
少々子供が嫌気をさしても、
「何をいっとるか!!」
てな具合に、そう簡単に習ったことを
辞められなかったし、そんなことを親に言うのも
気を使った。
それらはすべて「私は親に習わせてもらっている」
という感謝からだ。「家のお金を使って私は贅沢、
または好きな事をさせてもらっている」という感が
非常にあった。
私は最初にピアノを、次にそろばんを習った。
そろばんは3級で辞めましたが、辞めると親に
言いにくかったのと、ある意味辞めて、1つは
お金を親に払わせずに済むようになった、という
親への気遣いがとてもありました。
ところが今は「習って当然」という時代。
これだと親への感謝がありません。
この感謝はお金だけではなく、好きな事にさく
時間を与えられた感謝、その送り迎えなどに親の
手間を取らせていることへの感謝もあります。
そして「好きな事を習える」という感謝が、
さらに大きかったです。ところが今はこの
「喜び」がないため、初めの物珍しさが過ぎると、
「やらされている感」が強くなってきます。
これはなぜでしょうか。
全て習えて当たり前、親の送り迎えは当たり前、
いやなら違う事を習えばよい、といった、
ある意味非常に贅沢な感覚が身についてしまった
からだと思います。
私の時代、例えばいくら生徒さんが少ないピアノの
先生でも、先生からあまりに下手で生徒の私に
「あなたはもう来なくていい」
と言われたどうしよう、と思う気持ちがありました。
でもこんな気持ちは、今の生徒さんたたちにはないでしょう。
だから先生に対しても、私はあまりピアノの先生から
ほめていただいた記憶はありませんが、ちょっと
ほめてもらうと、非常に嬉しくルンルンでした。
つまり叱られたことより、喜びの方が大きかったの
ですね。もちろん私のころは、ものすごく叱られて、
先生は怖かった。
でもその怖かったことより、発表会に出られることや
たまーーーに先生から褒めてもらう事の方が、よほど
嬉しく、怖さなんかふき飛びました。
これは裏返すと、「喜び」を感じる心が豊かだったのだと
思います。
物に恵まれ、環境に恵まれると、喜びや感謝を感じる
心が減るのですね。
時代が貧しく、今と比べれば、そんなにほいほい物を
買ってもらえなかった貧しい時代は、「喜び」「感謝」
を感じる心を育ててくれるのですね。
ふと今日はそんなことを感じた1日でした。
私は最近つくづく日本から、喜び、感謝が
減ったと思います。
例えば習い事。
私の小さい頃は習い事を1つやっているのが
普通で、何もやっていない人もたくさんいました。
2つやったとしても、1つをやめて次に何かを、と
いう時代。また1つ習い始めたら、そう簡単に
「やめてはいけない」という親がほとんどで、
少々子供が嫌気をさしても、
「何をいっとるか!!」
てな具合に、そう簡単に習ったことを
辞められなかったし、そんなことを親に言うのも
気を使った。
それらはすべて「私は親に習わせてもらっている」
という感謝からだ。「家のお金を使って私は贅沢、
または好きな事をさせてもらっている」という感が
非常にあった。
私は最初にピアノを、次にそろばんを習った。
そろばんは3級で辞めましたが、辞めると親に
言いにくかったのと、ある意味辞めて、1つは
お金を親に払わせずに済むようになった、という
親への気遣いがとてもありました。
ところが今は「習って当然」という時代。
これだと親への感謝がありません。
この感謝はお金だけではなく、好きな事にさく
時間を与えられた感謝、その送り迎えなどに親の
手間を取らせていることへの感謝もあります。
そして「好きな事を習える」という感謝が、
さらに大きかったです。ところが今はこの
「喜び」がないため、初めの物珍しさが過ぎると、
「やらされている感」が強くなってきます。
これはなぜでしょうか。
全て習えて当たり前、親の送り迎えは当たり前、
いやなら違う事を習えばよい、といった、
ある意味非常に贅沢な感覚が身についてしまった
からだと思います。
私の時代、例えばいくら生徒さんが少ないピアノの
先生でも、先生からあまりに下手で生徒の私に
「あなたはもう来なくていい」
と言われたどうしよう、と思う気持ちがありました。
でもこんな気持ちは、今の生徒さんたたちにはないでしょう。
だから先生に対しても、私はあまりピアノの先生から
ほめていただいた記憶はありませんが、ちょっと
ほめてもらうと、非常に嬉しくルンルンでした。
つまり叱られたことより、喜びの方が大きかったの
ですね。もちろん私のころは、ものすごく叱られて、
先生は怖かった。
でもその怖かったことより、発表会に出られることや
たまーーーに先生から褒めてもらう事の方が、よほど
嬉しく、怖さなんかふき飛びました。
これは裏返すと、「喜び」を感じる心が豊かだったのだと
思います。
物に恵まれ、環境に恵まれると、喜びや感謝を感じる
心が減るのですね。
時代が貧しく、今と比べれば、そんなにほいほい物を
買ってもらえなかった貧しい時代は、「喜び」「感謝」
を感じる心を育ててくれるのですね。
ふと今日はそんなことを感じた1日でした。