只今レッスン終了
音楽を表現する時、私が接してきた崇高な演奏家は非常にイメージを大切にし、細かいところまで表現するために、イメージしていたと言っても過言ではない。
昔私が習ったような、「花のように」などとは全然違い、1つの音、1つのフレーズを細かくこまかくイメージする。
音符を音に変える作業でなく、曲を創って行く作業は私も大好きだ。
今日の生徒さんではないが、ある生徒さんが素晴らしいイメージをしてきたので、ご紹介
皆さんご存知のソナチネアルム1のNO9、クレメンティの「ソーミドソドソ」で始まる曲だ。
これを小学校5年生のAちゃんは、遅刻しそうな少年が、自転車をすっ飛ばしている所をイメージしてきた。
途中美しいメロディでドルチェで演奏する所は、お金持ちのお嬢様の同級生が「まあ自転車での通学は大変ね、お先に」と、じいやが運転する自家用車で 少年を抜かして行くところだ。
ここは楽しくて、二人で笑った
おかげでAちゃんの演奏はより楽しくなり、イタリア人のご陽気さとピッタリ一致した気がした

こんなレッスンをいつも心がけています
Android携帯からの投稿

音楽を表現する時、私が接してきた崇高な演奏家は非常にイメージを大切にし、細かいところまで表現するために、イメージしていたと言っても過言ではない。
昔私が習ったような、「花のように」などとは全然違い、1つの音、1つのフレーズを細かくこまかくイメージする。
音符を音に変える作業でなく、曲を創って行く作業は私も大好きだ。
今日の生徒さんではないが、ある生徒さんが素晴らしいイメージをしてきたので、ご紹介

皆さんご存知のソナチネアルム1のNO9、クレメンティの「ソーミドソドソ」で始まる曲だ。
これを小学校5年生のAちゃんは、遅刻しそうな少年が、自転車をすっ飛ばしている所をイメージしてきた。
途中美しいメロディでドルチェで演奏する所は、お金持ちのお嬢様の同級生が「まあ自転車での通学は大変ね、お先に」と、じいやが運転する自家用車で 少年を抜かして行くところだ。
ここは楽しくて、二人で笑った

おかげでAちゃんの演奏はより楽しくなり、イタリア人のご陽気さとピッタリ一致した気がした


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