岩切良文です。
 自粛要請で鹿屋の実家で過ごす時間が長くなり、コロナ禍で自給自足の大切さを感じた勢いで初めての野菜づくりに挑戦、早速レタスを初収穫しました。実家周辺には店がないので朝運動がてら隣町の店まで新聞を買いに往復1時間かけ裏の高台の台地の農道を歩いて行きます。目の前には錦江湾が広がり美しい開聞岳を眺められるのは、至福の時です。途中で軽トラや耕運機、トラクターに乗ったあんちゃんやおじいちゃん、おばちゃんが見ず知らずの私に挨拶をしてくれます。店の近くまで行ったら立て看板がありました。「あいさつは かきねをなくす 岡泉公民館」と書いてあり、なるほどと納得しました。


 先日は友人のびわ園に行きましたがびわは猿に食べられほとんど残っていませんでした。農道から一望できるからいも畑や落花生畑には猿やいのしし対策が施されており、農家の大変さがよくわかります。


 実家で断捨離をしていたら「からいも交流´83春」のグラフが出て来ました。私は企画の段階から参画し、2回目までを代表補佐として手伝いました。当時新宿日本語学校に旧知の江副校長や国際交流基金に故三笠宮崇仁親王を訪ねて協力のいらをしました。また留学生の母と言われた故東文子さんの「かきね」をなくす努力も見て来ました。


 以下に1983年にからいも交流に参加した留学生のメッセージを紹介します。外国人を心配する声を沢山見聞きする昨今ですが、今また初心にかえって彼らに向き合いたいと思います。

 

【香港出身 ICU国際基督教大学学生】
鹿児島に来て初めて¨本音¨で付き合える日本人を発見した。親切で思いやりがあり、明るい人達・・・。ここの習慣や伝統について私ががんがん批判しても、人々の反応はオープンで、ひところが広いのだ。東京とはお大違いだ。何を話しても本音で付き合える。これがアジアの国々との交流で一番大事だろう。